楽しいクリスマス
シュナイダーは憂鬱だった。何故なら今日は所属しているハンブルクJr.ユースチームの、年内最後の練習日。今日の練習が終わったら、愛しい若林とは来年まで会えなくなってしまう。 (結局、若林と恋人になれなかったなぁ・・・) シュナイダーは冬期休暇前までに若林と恋人になり、休みの間は連日デートしてバラ色の毎日を過ごしたいと思っていた。しかし現実には若林とは色恋抜きの、サッカーを通じた友人関係しか築けていない。 こうなったからには、休みの間はサッカーを口実にして自主トレに若林を誘ってみよう。若林は練習好きだから、多分喜んで承知してくれるだろう。しかしそれは、サッカー抜きでは若林と親しい関係になれていないと思い知らされる事でもあり、やはりシュナイダーの気分は重い。 しかも年内最終日ということで、今日は練習場の時間外使用許可が下りなかった。毎日続けてきた若林との居残り練習も出来ない。もし若林がシュナイダーの自主トレ話に乗ってこなかったら、今日が若林と過ごせる今年最後の日になってしまう・・・シュナイダーはタメイキをついた。 練習が終わった。監督が選手達を集め、いつもより長めの訓示を行う。 「・・・判ってるとは思うが、休みだからといって気を抜かない事。遊びすぎて羽目を外し、体調を崩すなどもっての外だ。各自自己管理を・・・」 シュナイダーのすぐ横には、真面目な顔で監督の顔を見上げ、話に聞き入っている若林がいる。 (あぁ〜、若林と遊びたい。楽しく過ごして、ちょっとどころか大いに羽目を外したりなんかして・・・) 若林の顔に見惚れて妄想に耽っている間に、監督の長い話も終わった。選手達は監督にあいさつをして、ぞろぞろとロッカールームに引き上げていく。 シュナイダーも皆と一緒にロッカーで着替えを始めた。少し離れた若林のロッカーを見ると、若林の隣で着替えているカルツが、若林に何か話しかけているのが聞こえた。 「源さん、クリスマスの予定は?」 「クリスマス? 多分、家にいると思う」 「源さん、コーチと二人暮らしなんだろ? コーチと二人っきりでお祝いすんの?」 クリスマスといえば家族揃ってクリスマスマルクトに出掛けたり、家を飾り立てて家族間でプレゼントを交換したり、とにかく家族と団欒のひとときを過ごすのが一般的だ。家族と離れて他人であるコーチと暮らしている若林がクリスマスをどう過ごすのか、シュナイダーも興味をそそられた。 「特にお祝いはしないと思うな。見上さんとケーキくらいは食べるかもしれないけど」 「若林っ!!」 若林の言葉を聞いて、シュナイダーは反射的に叫んでいた。相手が保護者兼任のコーチとはいえ、若林がクリスマスの夜を他の男と二人っきりで過ごす図に耐えられなかったのだ。急に大声で呼び掛けられ、若林が何事かと振り向く。 「若林、よかったらクリスマスにうちへ来ないか。ミカミと二人じゃつまらないだろう。俺の母さんが焼くケーキは美味いぞ」 「なんだ。俺たちの話を聞いていたのか」 離れていたのに耳聡いなと、若林が笑う。 「別に同情してくれなくてもいいよ。見上さんとは毎日二人で暮らしてるんだから、クリスマスだけつまらないって事もないし」 毎日二人暮らし、のくだりで、シュナイダーはそうだったと気付き落ち込みかける。しかしここで引き下がっては、何も進展しない。シュナイダーは食い下がった。 「でも、クリスマスは特別だろう? ミカミとは毎日一緒なんだから、クリスマスくらいは離れたらどうだ?」 「うーん。どうしようかなぁ」 脈アリと見て、シュナイダーは若林の説得に努めた。シュナイダーが熱心に勧めてくれるので、若林も気が変わったようだ。 「わかった。それじゃ、おまえの家に行くよ。何時がいい?」 若林に笑顔で聞かれ、シュナイダーの顔が紅潮し瞳が輝く。有頂天で若林と会話するシュナイダーを見ながら、カルツは一抹の不安を覚えるのだった。 ドイツではクリスマスの晩は、家族水入らずで過ごすのが普通である。なので友人を呼びたいというシュナイダーの提案に、当初は母も妹も渋い顔を見せた。しかしその友人がドイツに身寄りのない日本人留学生だと聞くと、そういう事情なら話は別だと若林の招待に賛成してくれた。勝手に若林を招いておいて、家族に反対されたら元も子もなくなるところだった。まずは第一関門突破といったところだ。 そして迎えた聖夜。シュナイダーはソワソワとして落ち着きが無かった。 約束の時間にはまだ間があるのに、若林が早めに姿を見せはしないかと、何度も家の外に出ては往来を見回す。ふと自分の家の外観に目が止まり、シュナイダーは眉をしかめる。 シュナイダーの家も例に漏れずクリスマスの飾りつけを施してあるのだが、スノースプレーで窓に雪模様やツリーの絵などを描いただけのシンプルなものだ。近隣の家が電飾やネオンを使って派手に飾りたてているのと見比べると、いささか地味に感じる。シュナイダーはキッチンにいる母に意見を述べた。 「うちももっと賑やかに飾った方がよくない? 今日はお客が来るんだし・・・」 「大丈夫よ。中のツリーはこんなにキレイだし、お料理もケーキも美味しく出来てるんだから。第一今から外を飾り直してる時間はないでしょ」 母親は落ち着き払った様子で、いつになく気ぜわしい息子の言葉を聞き流す。 「料理か・・・若林の口に合うといいけど。あいつ日本人だから、俺たちと好みが違うかもしれない」 「何ヶ月もドイツに住んでるんでしょ? もうこっちの味に慣れてるわよ」 何かと焦り気味のシュナイダーと冷静な母の会話を聞き、妹のマリーがケラケラと面白そうに笑う。 「お兄ちゃん、焦っちゃって、変なの〜。まるで彼女が家に来るみたい〜」 「あら、本当よね。来るのは男の友達なんだから、もっと気楽にしてなさいな」 妹と母に笑われて、シュナイダーは慌てる。 「いや、うちに日本人が来るのは初めてだから・・・」 などと言葉を取り繕って、内心の動揺を誤魔化した。若林と晴れて恋人になれた暁には、折を見て家族にカミングアウトしなければとは思うが、今はまだその時ではない。 約束の刻限の数分前。呼び鈴が鳴らされ、客人の到来を告げた。シュナイダーは弾かれたように玄関へと出向き、来客を招き入れた。 そこにはポインセチアの鉢とプレゼントの包みを抱えた若林が立っていた。約束していたとはいえ、本当に若林が家に来てくれたのだと思うとシュナイダーは胸が熱くなった。 「よう、シュナイダー。メリークリスマス」 「よく来たな。外は寒かっただろう。早く入れ」 「ああ。それじゃ失礼して・・・」 話し声を聞きつけて、キッチンから母親が姿を見せた。シュナイダーが二人を引き合わせると、若林は丁寧にあいさつをし、母親も笑顔で応じた。若林は手にしていた鉢植えを、母親に差し出した。 「これ、どうぞ。よかったら飾ってください」 「まぁ〜、嬉しいわ。ありがとうね」 鉢を受け取り、母親は上機嫌だ。二人の打ち解けた様子を見て、シュナイダーは恋人を家族に紹介しているような楽しい気分になる。 「すぐに食事の用意が出来るから、ちょっと待っててくれる?」 母にそういわれて、シュナイダーはツリーを飾った居間に若林を招きいれた。居間ではマリーがツリーの飾りを、ちょこちょこと直している最中だった。部屋に入ってきた若林を見て、マリーはぴょんと背筋を伸ばし可愛くあいさつをする。 「いらっしゃいませ! カールの妹のマリーです」 「あ・・・若林です。こんばんは」 若林が何故か慌てた口振りで、あいさつを返す。そして傍にいるシュナイダーに、小声で文句を言った。 「おい、妹がいるなんて聞いてないぞ!」 「別に聞かれなかったからな。それがどうかしたか?」 「妹さんのプレゼント、用意してない」 「そんな事か。気にするな。どうせ妹だって、おまえ宛てにプレゼントなんか用意してないさ」 小声でボソボソ話していると、自分が無視されてると思ったのか、マリーがツリーの根元から赤い小さな包みを取り上げ、それをかざしながら大声で会話に割って入った。 「見て見て! マリーから、お客さまへクリスマスのプレゼントよ!」 若林はいよいよ困った顔になった。無理に笑みを浮かべ、マリーからプレゼントを受け取る。そして言い難そうにしながら、プレゼントを用意してこなかった事を正直に告げた。 「えー? じゃあ、それは?」 若林が持参したプレゼントの包みを見ながらマリーが尋ねる。 「これはカールのなんだ」 若林がそう答えると、マリーがぷーっと頬をふくらませて、口を尖らせた。よっぽどお客さまとのプレゼント交換を、楽しみにしていたらしい。マリーがそんな事に気を配っていたとは思わず、シュナイダーは流石に妹が可哀想になった。 若林が自分の為に用意してくれたプレゼント。惜しいと思いつつも、シュナイダーは若林に提案した。 「若林。俺はいいから、それをマリーにやってくれないか」 しかし、若林が首を振る。 「駄目だ。中身は練習用のストッキングなんだ。マリーちゃんには使えない」 「いいよ、別に。マリーはがまんする!」 ふくれっ面のまま、マリーが言った。楽しいはずのクリスマスが、なんとなく気まずくなってしまい、若林はシュナイダーと顔を見合わせる。このままではマズイと思い、シュナイダーは妹を注意した。 「おい、マリー。そういう不貞腐れた態度はやめろよ」 「ふてくされてないもん! がまんするって言ってるでしょ」 「だから、その態度が・・・」 「いいよ、シュナイダー。悪いのは俺だ」 シュナイダーの言葉を遮ると、若林はマリーの傍に屈みこんだ。 「本当にごめん。お詫びに、今日は何でもマリーちゃんの言う事を聞くから」 「・・・ホント?」 マリーが目を輝かせて、若林に聞き返す。マリーの機嫌が直りそうだと見て、若林は大きく頷いた。シュナイダーは若林の機転に感心すると同時に、ちょっと妹を羨ましく思う。 (若林が何でも言う事を聞いてくれるのなら、俺なら迷わず・・・) 「じゃ、恋人になって!」 思っていたことを妹にズバリと言い当てられ、シュナイダーは仰け反りそうになって驚いた。それから我に返り、慌てて大声で妹を叱る。 「マリー、子供のくせにませた事を言うんじゃない!」 「えー、だって何でも言う事聞くって・・・」 「だからって、若林に恋人になれなんて言語道断だ!」 いきり立つシュナイダーを若林が手で制した。 「いいじゃないか。本当に恋人になるわけじゃないんだから。今だけの、真似遊びだろう?」 「遊びだろうとおふざけだろうと、若林がマリーの恋人になるなんて絶対駄目だーっ!!」 「大声出すなよ。妹思いなのは判るけど、大概にしろって」 シュナイダーが怒っているのはマリーを思っての事だと思い、若林は笑顔でいなした。 「マリーちゃん、俺は構わないよ。今日はマリーちゃんの恋人になるから」 「やったぁ〜! 嬉しい〜」 若林の返事に、マリーは手を叩いてはしゃぐ。 「じゃ、マリーにキスして!」 マリーはそう言って、目を閉じて若林に顔を向けた。いきなりキスをせがまれて、若林はちょっと焦る。なにしろサッカー一辺倒で過ごしてきたのでガールフレンドの一人もおらず、キスなどした事がないのだ。 (この子相手にファーストキスか・・・でも待てよ。ドイツじゃあいさつでキスをするのは普通の事なんだよな。そんな畏まって考えないで、ほっぺにキスしてやればいいか) あっさりと割り切って、若林がマリーに顔を近づけた、その直後。 「きゃっ!」という声と共に若林の視界からマリーが消えた。ん?と思う間もなく目の前に現れたのは シュナイダーの唇。 ちゅっ、と小さな音がして、二人の唇が触れ合った。 唇から伝わる柔らかい感触と、有り得ないくらい近くに見えるシュナイダーの顔。予期せぬ事態に、若林はパニックに陥った。 「うわわわわわわわっ!!!」 若林がシュナイダーを突き飛ばし、シュナイダーは後ろによろけた。若林は袖口で口を何度も拭いながら、シュナイダーを怒鳴りつける。 「お、お、おまえなぁ!! いくら妹が大事だからって、何考えてんだよっ!?」 若林の言葉を聞いたシュナイダーが、調子を合わせて言い返す。 「ははははは、若林にマリーのキスはやらん。何度でも妨害してやるからな!」 「みんな〜、こっちにいらっしゃい。お食事の用意が出来たわよ」 部屋の外から母親の声が聞こえた。室内での騒動など全く気付いていない、のんびりした声だ。 顔をしかめて口元を抑えている若林の肩を叩きながら、シュナイダーが機嫌良さそうに笑う。 「さぁ、お待ちかねの夕食だ。早く行こう」 「ああ、判ってる。美味しい手料理で口直しさせてもらわなきゃ、気が済まん!」 「そうかそうか、いくらでも食べてくれ」 ブツブツ文句を言い続ける若林をなだめながら、シュナイダーは居間から出て行った。さっき突き飛ばしたマリーの存在など、既に眼中にない。 誰も助け起こしてくれないので、マリーは一人で立ち上がった。服のホコリを払いながら、子供なりに今の出来事を考える。 (お兄ちゃんはマリーが男の人とキスするのがイヤで、マリーを突き飛ばしたの? でもそれなら何でマリーを置いて、二人で食堂に行っちゃうの? なんか変だなぁ・・・??) 兄たちに遅れて食堂に向かいながら、マリーは首を傾げるのだった。 この小さな事件の真相をマリーがそれと察する事が出来るようになるには、数年の歳月が必要なのであった。 おわり
|