カレンダー

 クリスマスの丁度一週間前に、ハンブルクJr.ユースチームは年内の練習日程を終了した。練習が再開されるのは年明け第二週からで、それまでは冬休みという事になる。ロッカールームで今年最後の着替えをしている選手達の顔は、練習が終わった開放感と明日からの長い休みに向けての期待で明るく輝いていた。しかし一番奥のロッカーで着替えをしている若林だけは、どこか表情が冴えなかった。
 「若林」
先に着替え終わったシュナイダーが、若林に近付き声を掛けてきた。シュナイダーも若林と同じで、浮かない顔つきをしている。
 「悪かったな。自主トレに付き合えなくて」
 「気にすんなって。こっちは平気だからさ」
シュナイダーが自分に気を遣っているのが判り、若林は笑顔を見せて明るく答えた。
 若林は冬休みの間も、毎日自主トレを続けるつもりでいた。そしてシュナイダーに練習相手を頼んだのだが、生憎シュナイダーには用事があって断られてしまったのだった。シュナイダーは朝練や居残り練習など、若林の個人練習に毎回付き合ってくれていたので、若林は今回もシュナイダーをすっかり当てにしていた。シュナイダーの方でも、本音を言えば用事よりも若林との練習を優先させたかったらしい。仕方ないと諦めはついているのだが、残念に思う気持ちが二人とも顔に出てしまうのだった。
 「冬休みの間は、家族で田舎に帰るんだったよな」
シャツに袖を通しながら若林が聞くと、シュナイダーが頷く。母方の祖母の体調が近頃思わしくなく、その為今年は見舞いがてら家族揃って里帰りをする事になったのだった。当初シュナイダーは自分だけ家に残るつもりでいたのだが、病気がちな祖母が孫たちに会えるのを心待ちにしていると聞かされ、断れなくなってしまっていた。
 パートナーを断られた時に言われた説明を思い出しながら、若林が念を押すように尋ねる。
 「今度会うのは、来年になっちまうんだっけ」
 「ああ。そういう事だ」
チームの練習が無い日にも一緒に自主トレをしてきたので、若林とシュナイダーは言葉通り毎日顔を合わせていた。若林にとってシュナイダーと行う練習は、チームの正規練習以上に実りのあるものだった。なので3週間以上もの長い間、シュナイダーに会えなくなるのが若林は残念でならない。
 「向うで風邪なんか引くなよ。こっちに帰ってきたら、また練習に付き合ってくれよ」
 「判ってる。ありがとう、若林」
沈みがちだったシュナイダーが、目を細めてニコッと笑みを浮かべる。目鼻立ちが整い過ぎているが為に、一見すると冷たい印象を与えがちなシュナイダーだが、こうして笑った顔は本当に人懐こい。どちらかといえば無表情の部類で人前では滅多に笑わないシュナイダーだが、若林の前ではよく笑顔を見せる。若林はシュナイダーの笑顔を見るのが好きだった。
 「若林。これ、やるよ」
あらかた着替え終わり、脱いだばかりのユニフォームをバッグに詰め込んでいた若林は、シュナイダーの言葉に顔を上げた。その目の前に、シュナイダーがB5サイズよりやや小さめくらいの四角い包みを差し出した。シュナイダーが自分で包んだものか、包みは角の合わせ目などがずれていてやや不恰好だった。
 「これは?」
包みを受け取りながら、若林が不思議そうに尋ねる。
 「アドヴェントカレンダー。今日からの一週間分しかないけど、俺が作ったんだ」
 「アドヴェントカレンダー? 何だ、それ?」
 「知らないのか?」
シュナイダーは若林に包みを開けさせた。中から出てきたのは、厚紙に小さな7つの袋を貼り付けた物だった。封をされた袋には中に何か入れてあるらしく、いずれも小さく膨らんでいる。袋にはそれぞれ18から24までの番号がマジックで書き込まれていた。
 「クリスマスになるまで、その日の数字の袋を毎日開けていくんだ。中身は見てのお楽しみさ。市販のアドヴェントカレンダーは1日から24日まであって、24日に開ける分には一番いいものが入ってるんだ」
 「へぇー。これでカレンダーなのかぁ」
初めて見る立体的な日めくりカレンダーに、若林は興味津々だ。早速18と書かれた袋を摘んで引っ張って取ろうとすると、シュナイダーに遮られた。
 「まだ開けないでくれ。できれば夜寝る前に、ひとつずつ開けてほしい」
 「そういう決まりなのか?」
 「そうじゃないけど、そうして欲しいんだ」
作ってくれた本人の要望ならと、若林は頷く。若林は礼を言って、カレンダーをバッグに仕舞った。それから手早く帰り支度を終わらせると、シュナイダーと一緒にロッカールームを出た。二人はちらちらと雪の降り出した道を連れ立って歩いていたが、やがて互いの家への分かれ道へと差し掛かる。若林はここで一旦足を止めると、シュナイダーに向き直った。
 「じゃあな。よい年を!」
 「ああ。若林もな」
笑顔で手を振り合い、二人は別々の道を歩き始めた。だが数歩も歩かないうちに、若林の背後からシュナイダーの怒鳴り声が聞こえてきた。
 「若林! カレンダーを開けるの、忘れるなよ!」
若林が振り返ると、道の向うに佇んだシュナイダーがじっとこちらを見つめている。寂しげな表情で雪の中に立ち尽くすシュナイダーの姿が、何故だかとてつもなく遠く見えて、若林は胸騒ぎを感じた。
 あいつ、なんであんなに不安そうな顔でこっちを見てるんだろう。
 ずっと離れ離れになるわけじゃない。休み明けにはまた一緒に練習できるのに。
 離れているのは、ほんのちょっとの間だけなのに。
 「忘れねーよ! またな、シュナイダー!」
不安気なシュナイダーを見ていると自分まで寂しい気持ちになってしまいそうで、若林は務めて明るい声を出す。大きく手を振って見せると、シュナイダーも手を振り返してくれるのが見えた。
 若林はシュナイダーに背を向けると、再び歩き始めた。今度はシュナイダーは呼び止めなかった。
 
 帰宅した若林は、バッグから早速カレンダーを取り出した。しかしシュナイダーの言いつけを守り、すぐに袋を開けようとはしなかった。カレンダーを自室の机の上に大事そうに置くと、そのまま夜になるまで手を触れなかった。
 入浴を済ませ、パジャマ姿で自室に戻ってきた若林は、待ちかねたように机上のカレンダーを取り上げる。18と書かれた小さな袋を掴み、力一杯引っ張るとベリッと音がして袋が厚紙から剥がれた。
 「何が入ってるんだろう?」
袋を逆さにして中身を机の上にあける。するとコロンと音をたてて、一口サイズのチョコレートが1個転がり落ちた。続いて小さな厚紙片がパラパラと数枚落ちる。若林は厚紙片のひとつを手に取った。
 それはジグゾーパズルのピースだった。落ちてきたピースは全て、一辺が真っ直ぐになっていた。枠に当たる部分に使われているピースである。そのピースはどれも絵が無くて真っ白だったが、見当で並べてみるとうまく1列に繋がった。その辺の長さから見て、ジグゾーの完成サイズは15cm四方くらいだろう。
 この小さなジグゾーパズルは、市販されている変形メッセージカードだった。組みあがった形で売られている真っ白なジグゾーパズルに予めメッセージを書き入れておき、相手に贈る時にはピースをバラバラにしておくのだ。受け取った相手がパズルを組むと、メッセージが読めるという仕掛けである。
 「なるほど、袋の中身は菓子とパズルピースか。クリスマスまで毎日1個ずつ菓子を食べて、ジグゾーパズルを少しずつ完成させていくってわけだ」
 今日組んだピースには何も絵が無かったが、真ん中あたりのピースを組むようになったらクリスマスにちなんだイラストか何かが現れるのではないか、と若林は予想する。シュナイダーが自分の為に、こんな手の込んだ置き土産を自作してくれたのかと思うと、若林は嬉しくなった。
 若林はチョコの包装を破り、中身を口に含んだ。甘い菓子は好きではないが、シュナイダーがくれた物なら話は別だ。心の中で改めて礼を言いながら、若林はチョコを噛み砕いた。
 翌日の夜、若林は19と書かれた袋を開けた。今日の中身はぷよぷよした歯触りのグミ菓子と、またも絵なしの白いピースだった。出てきた数個のピースを組んでみると、これまた辺の部分が出来上がった。
 その後二日間掛けて、ジグゾーパズルは外枠に当たる四辺の部分だけが完成した。5日目の晩、袋を開けた若林は出てきたクッキーを口に放り込むと、早速ジグゾーを組み始めた。真ん中には絵が描かれているのかと思っていたが、今日出てきたピースにところどころ書かれていたのは文字だった。
 何が書いてあるのか気になって、若林はピースを今までのように並べて組もうとする。しかし今日入っていたピースは、今までのように一列には組みあがらなかった。書かれている文章がすぐにバレてしまうのを避けて、真ん中部分はわざとすぐに組みあがらないように分けて入れたようだ。
 「勿体ぶってるなぁ。何て書いてあるんだろう?」
若林はいくつかのピースを手に取って、そこに書かれた単語を拾い読みする。だが、まだ意味のある文章にはならなかった。
 23日の夜、若林は空白が目立つようになった厚紙から23と書かれた袋を剥がし、その中身を取り出した。出てきたキャンディをしゃぶりながら、昨日組めなかった分と合わせてジグゾーのピースを合わせ始める。ジグゾーパズルは8割方出来上がり、メッセージがところどころ読めるようになっていたが、文章の要所要所はぽっかりピースが抜けていた。
 そして24日、クリスマスイブ。若林は最後の袋を開けた。何故か今日は菓子ではなく、紐のついた小さなマスコット人形が出てきた。クリスマスツリーに飾る、オーナメントだ。若林はオーナメントはそのままにして、残りのパズルピースを手に取った。この一週間焦らしに焦らされて、どんな文章が出てくるのか気になって仕方がないのだ。若林は歯の向けたようになっているパズルの中に、今日取り出したピースを次々にはめていく。ジグゾーパズルは殆ど出来上がっていたので、隙間にピースをはめ込むのは容易い事だった。
 「出来た・・・!」
若林は机の上の白いジグゾーパズルを見つめた。

若林へ
一緒にいられなくて とても残念だ
今は離れ離れになってしまったけれど
俺はいつも ずっと 若林と一緒にいたい
君は俺と同じ気持ちでいてくれるだろうか
どうか君に神の祝福があらん事を
カール・ハインツ・シュナイダー

 「・・・・・・なんだ、これ・・・?」
メッセージを読んだ若林は、その内容に戸惑った。一緒に練習出来ないのは確かに残念な事だが、こんな風にメッセージを託してまで嘆くほどの事ではないはずだ。シュナイダーは一体どうしたんだろう・・・?
 パズルに書かれた文面からふとそらした視線の先に、さっき袋から出てきたオーナメントがあった。若林はオーナメントを取り上げた。
 精巧に作られた可愛らしいマスコット人形。それは矢を射らんと弓を構える、子供姿の天使の人形だった。手にした弓矢で人間の胸を射抜き、恋を実らせるという天使。何故シュナイダーは、パズルが完成するこの日に菓子ではなくこの人形を同封したのだろう。
 練習最後の日の、別れ際のシュナイダーの姿が思い浮かんだ。ちょっとの別れだというのに、とても不安そうで見ているこっちまで心が締めつけられるようだった。あの時のシュナイダーはそれほど思い詰めた顔をしていた。
 あの時のあいつは、どうしてあんなにも不安そうだったんだろう・・・。
 まさか。
常識ではありえない仮説を思い浮かべてしまい、若林は動揺する。しかし考えれば考えるほど、その仮説が正しいような気がしてならない。
 すぐにでもシュナイダーに連絡を取り、このメッセージの意味を問い質したい衝動に駆られたが、先方の連絡先も判らぬ状態では叶わぬ事だった。若林は無意識のうちに小さな人形を掌で握り締めていた。
 会いたい。シュナイダーに会って、あいつの意図を確かめたい。
 そしてこのメッセージが、洒落やジョークや悪ふざけでなく、俺の想像した通りの意味を持つ物だと判ったなら。
 そうしたら俺は・・・
若林は固めていた拳を開く。小さな天使が番えた矢は、若林の胸を真っ直ぐ狙っているように見えた。
 
 翌日はクリスマス当日だったが、若林は予定通りスポーツジムに出掛け一人黙々と自主トレを続けていた。しかし昨日までと違って、どうにもトレーニングに集中できない。シュナイダーがくれたメッセージと人形が気になって、つい上の空になってしまうのだった。それでも何とか所定のメニューをこなして、若林は夕刻に帰宅した。すると若林の帰宅を待っていたかのように、居間に置かれた電話機が鳴り始める。
 若林はスポーツバッグを廊下に置くと、居間に行き受話器を取り上げた。
 「もしもし?」
 『若林か?』
昨日から頭の中から離れない相手の声が聞こえてきて、若林は驚く。
 「シュナイダー!?」
 『ああ、俺だ。若林、あのカレンダー、全部開けてくれた?』
勿論、と若林が答えると、シュナイダーが畳み掛けるように質問を投げかけてきた。
 『俺の気持ちはあのパズルに書いた通りだ。若林・・・お前は?』
 「・・・俺?」
 『ああ。教えてくれ。俺は若林の気持ちが知りたい。本当は、年明けにそっちに戻ってから聞くつもりだった。その方が、若林も考える時間が長く持てるし。でも・・・もう、若林は俺のメッセージを読んでるんだと思うと、我慢が出来なくなってしまって・・・』
 自分の思いを一息に語り尽くすと、シュナイダーがふぅっと息をつくのが判った。シュナイダーの言葉は真剣そのもので、ジョークを仕掛けているようには聞こえなかった。若林は耳に当てた受話器を、きつく握り締める。
 俺の返事はもう決まっている。
 俺もシュナイダーと同じだ。シュナイダーといつも ずっと 一緒にいたい・・・
若林は自分の気持ちを、シュナイダーに正直に打ち明けた。電話の向うでシュナイダーは感極まり、言葉を失っているようだった。暫くの沈黙の後、ようやくシュナイダーが口を開く。
 『若林、ありがとう・・・』
短い言葉だったが、そこには万感の想いが籠もっているのが判った。若林の動悸は速まり、身体中が熱を持ったように熱くなる。
 「シュナイダー、礼を言うのは俺のほうだ。あのカレンダー、本当に・・・最後の最後にすごいいい物が入ってた」
 想いを通じ合えた幸せを噛み締めながら、若林は電話の向うにいる誰よりも大切な相手にそう告げるのだった。
おわり