一日遅れ

 ハンブルクJr.ユースチームの練習が、本日もつつがなく終了した。監督の解散の声を合図に、選手達はぞろぞろと練習場から引き上げていく。但し、毎日自主的に居残りをして特訓を積んでいる若林とシュナイダーだけは、そのまま練習場に止まっていた。引き上げる際に二人の傍を通る者は、チームの主軸である二人に労いの声を掛けてくる。
 「シュナイダー、若林、お先に〜」
 「この寒いのに、まだ居残りやんのかぁ? ゴクロー様!」
 「お前らも早く帰れよ。じゃ、お先!」
 「ああ、また明日な」
若林がチームメートに気軽に挨拶を返しているのを見るのは、シュナイダーにとって感慨深い。チームに編入してきたばかりの頃は、若林はチームメートのほぼ全員に見下され敵対視されていた。それが今ではチームの中心メンバーの一人となり、殆どの者に好かれ、頼られるようになっている。何という違いだろう。
 シュナイダーは若林と出会った当初から、彼のサッカーに対する情熱と秘められた才能に気付いていた。しかし周りの者が若林に距離を置く中で、一人だけ若林の練習に付き合って彼と親しくしてきたのは、サッカーの事ばかりが理由ではない。
 周りには伏せているが、シュナイダーは若林に惚れているのである。この想いは、まだ若林当人にも伝えていない。
 そんなシュナイダーには、若林が皆に受け入れられている状況は嬉しくもあり、また寂しくもあった。以前の若林は笑顔を自分以外のチームメートには見せなかったのだが、今ではこうして誰にでも明るい笑みを向けるようになっている。つまらない嫉妬だと自覚してはいるが、なんとなく胸がもやもやしてしまうのだ。
 「シュナ、源さん、じゃーな」
カルツが背後から二人に声を掛けて、傍を通り過ぎていった。シュナイダーは片手を小さく挙げて挨拶を返しただけだったが、若林の方は一際大きな声でカルツに応じた。
 「またな、カルツ! 昨日はカードありがとう!」
若林の声にカルツは振り返り、ニッと笑い返して去って行った。シュナイダーは若林の言葉に首を傾げる。
 「若林、カードって何だ?」
 「ああ、昨日俺の誕生日だったから。あいつ、義理堅くバースデーカードなんかくれたんだぜ」
ニコニコと説明する若林とは対照的に、シュナイダーの表情は強張り、顔色は蒼白になった。
 「若林っ、昨日が誕生日だったのか!?」
 「ああ。でも気にするなよ。俺が誕生日だったって事、殆どの奴は忘れてるし、俺も気にしてないから・・・」
 「違う! 俺は忘れてたんじゃない! 端っから聞いてないんだ!」
若林と一番親しいのは自分だと密かに自負していたのに、若林が自分を除けて他のチームメートに誕生日を教えていたのかと思うと、冷静ではいられなかった。
 「あれ・・・あん時、お前いなかったけ? 一ヶ月くらい前の練習の、休憩の時。話の流れで、皆で誕生日を教えあった事があったんだけど」
 記憶の糸を辿るように、腕を組んで若林が考え込む。
 「あ、思い出した! あん時もシュナイダーは遅刻だったっけな!」
若林の誕生日を知らなかったのは自分のせいだと判り、シュナイダーは無念さに肩を落とす。何という事だ。あらかじめ若林の誕生日を知っていれば、自分だってお祝いしたのに・・・
 シュナイダーは内心で情報提供してくれなかったカルツを怨みつつ、若林に提案してみた。
 「・・・そうか。一日遅れだけど、誕生日おめでとう、若林」
 「おう、あんがと」
 「それで・・・一日過ぎたとはいえ、折角の誕生日なんだ。今日は練習を切り上げないか? 俺も若林の誕生日を祝いたいんだ」
 『殆どの奴が忘れている』という発言から察して、昨日若林の誕生日を祝ったのは、カードを贈ったカルツだけなのだろう。年に一度の記念日を、カード一枚のお祝いでやり過ごしてしまうのは余りにも寂しい。それが自分にとっての大切な人の誕生日となれば、尚更の事だ。
 しかし若林は苦笑いを浮かべて、シュナイダーの申し出を丁寧に断った。実は若林は誕生日の数日前、カルツから誕生日に何か予定があるのかと聞かれていた。そして予定がないのなら、シュナイダーらにも声を掛けてチームで賑やかにお祝いしようかと思っている、と教えられたのだった。
 「でも、そういうの苦手なんだよ。だからカルツに、『何もしなくていい。他の奴に俺の誕生日を触れ廻るのも勘弁して欲しい』って頼んだんだ。最初は遠慮してると思われたけど、最後には判ってくれたよ」
 「・・・でも、カルツはバースデーカードを贈ったんだよな」
 「ああ。カードも要らなかったのに、義理堅い奴だよ」
要らなかったと言いつつも、若林の顔は嬉しそうである。カルツに先を越されたような気がして、シュナイダーは面白くなかった。
 (俺も若林に、お祝いをしたいのに・・・)
 「さぁ、練習を始めようぜ! 時間が勿体無い」
若林はもう気持ちを切り替えたらしく、さっさとゴール前に向かって走り出した。その後姿を見ながら、シュナイダーは考える。
 サッカーをやるためにドイツに渡ってきた若林は、今はサッカーだけに集中したいと思っているのだ。ならば、若林の希望通り練習に付き合う事が、若林に一番喜ばれる事に違いない。
 (でも、それだけじゃ、俺の気が済まない! 昨日は若林の誕生日だったのに・・・)
 「若林、ちょっと待っててくれ! トイレに行って来る!」
何事かを思いついたシュナイダーは若林に一声叫ぶと、練習場から駆け出して行った。

 トイレに行くと言い残したシュナイダーは、なかなか戻って来なかった。下痢か便秘かはたまたフケられたのかと若林が疑い出した時、ようやくシュナイダーが戻って来た。
 「遅いぞ! どうしたんだ!?」
苛立ちを含んだ声でシュナイダーを怒鳴りつけると、シュナイダーが悪かったと頭を下げた。その手には一個のサッカーボールが抱えられている。
 「シュナイダー、そのボールは?」
まさかトイレで拾ってきたものではあるまいと思いながら尋ねると、シュナイダーが言った。
 「いつも使ってる、俺のボールだ。今日はこいつを使おうと思って」
 「わざわざ取りに行ってたのか?」
練習場とシュナイダーの家が近いとはいえ、ご苦労な事だと若林は呆れた。しかし、シュナイダーは自前のボールを持ってきた事で気分が乗ってきたのか、闘志満々だ。
 「行くぞ!」
ペナルティエリア外にボールを置いたシュナイダーが、一声叫んでシュート体勢に入った。ゴール前で身構えた若林は、突然始まった勝負に緊張する。シュートの瞬間、シュナイダーが吼えた。
 「HA!」
 シュナイダーの決め球、ファイヤーショットだ。
一発目から超本気モードのシュナイダーに、若林の闘志にも火がついた。若林はボールの弾道に合わせて、正確に反応した。
 バシュッ!!
横っ飛びになった若林の左手が、ボールを弾く。しかし、ボールの勢いが勝っていた。枠外へと弾き出す事は出来ず、ボールはうなりをあげてゴール隅に飛び込み、ネットを揺らした。
 「くそっ!」
一発目からゴールを奪われてしまい、ピッチに倒れた若林は悔しがる。そして背後に転がったボールに目を向けた。
 「・・・ん?」
ボールに違和感を覚えた若林は、すぐに起き上がるとボールを拾い上げてその表面をまじまじと見つめた。そのボールは模様の白地部分全てに、マジックで落書きがしてあったのだ。
 『若林 誕生日おめでとう!』
 『俺はお前には負けない!』
 『いつまでもいいライバルでいよう!』
 『ワールドカップの舞台で勝負しよう!』
・・・などなどのメッセージが、所狭しと書き込まれている。
 「読んでくれたか?」
いつの間にか傍に近寄っていたシュナイダーに、若林は半ば呆れたように言った。
 「お前、これを用意していたのか」
 「ああ。俺の想いが篭ったボールだ。是非、若林に受け取って貰いたかった」
 「・・・ったく、変な事に凝りやがって・・・」
口では文句めいた事を言うが、若林の顔には笑顔が浮かんでいた。
 「ありがとう、シュナイダー。さっきの強烈なシュートといい、こういうお祝いなら大歓迎だぜ」
 「メッセージ、全部読んでくれた?」
 「ん、ああ。ファイヤーショットで焦げたトコ以外は・・・」
若林の言葉に不安を感じ、シュナイダーは慌ててボールを受け取りメッセージを見直す。シュナイダーの不安は的中していた。焦げて読めなくなっていたのは、シュナイダーが若林に一番読んで貰いたかったメッセージだった。

 『若林 愛してる 世界中で一番大好きだ!』

 「シュナイダー、続きを頼むぜ。また強烈なのを打ってくれ!」
若林が目を輝かせながらシュナイダーに催促する。シュナイダーは笑顔で頷くと、ボールを手に、ゴール前から離れた。
 サッカーへの情熱に織り交ぜて告白してしまおうという作戦は失敗に終わったが、俺と若林の絆はこのボールがきっと深めてくれる。その確信があった。
 (誕生日おめでとう、若林!)
心の中でもう一度お祝いを言うと、シュナイダーは想いの篭ったボールを若林の待つゴールへと力一杯蹴り込んだ。
おわり