ひな人形作ったよ!

 カール・ハインツ・シュナイダーには、やや歳の離れた妹がいる。名前はマリー。顔立ちはシュナイダーに似ているが、性格はまるで違う。シュナイダーには気安く声を掛けられないような陰があるが、妹のマリーは天真爛漫で人懐こく誰とでもすぐに打ち解けてしまう。
 この兄妹の交友関係は、実に対照的だ。シュナイダーには知人は多いが友人は少ない。親友と呼べるのは幼馴染のカルツと、去年日本から留学してきた若林源三くらいだろう。それがマリーの場合だと知り合った人はみな友人であり、気が合った相手ならすぐ親友になってしまうのだった。
 こういう性格なので、シュナイダーが若林を家に招いた時に、マリーは若林とすっかり仲良くなってしまった。若林に馴れ馴れしく話しかけるマリーを、シュナイダーは最初叱っていた。しかし当の若林がマリーのことを嫌がっていなかったこともあって、マリーはそのまま若林とおしゃべりを続けた。そのうちにマリーは自作の人形を持ち出して、得意げに若林に見せびらかし始めた。
 「へぇー。この人形、マリーちゃんが作ったのか。上手だなぁ」
木綿の肌に毛糸の髪の毛、フェルトの服を着た人形を手に取りながら、若林が感心したように言った。
 「かわいいでしょ? マリー、こういうの得意なんだよ〜」
嬉しそうに笑いながら、マリーが尋ねる。
 「ねぇ、ニッポンにはどんなお人形があるの?」
 「日本の人形? えーと、そうだな・・・」
若林が考え込む様子を見て、シュナイダーが口を挟んだ。
 「マリー、変なことを聞くな。男の若林が人形なんかに詳しいわけないだろう」
 「はーい。ごめんね、ゲンゾー」
この場はそれで納まって、話題は他の事に流れた。
 しかし若林は、この時のマリーがちょっとガッカリした風だったのを、ずっと気にしていたらしい。
 それから数日後。若林はシュナイダーとの居残り特訓が終わったあとで、シュナイダーに一冊のグラフ誌を手渡した。タイトルは『ニッポンの伝統と文化』。中を開けばノウ、カブキなどに混じって日本の人形の写真も多数載っていた。そのページをシュナイダーに見せながら、若林が言う。
 「これ、マリーちゃんにあげてくれ。この雑誌には人形の事が詳しく出てるから」
 「わざわざマリーの為に買ってきたのか? こんなことしてくれなくても良かったのに・・・」
何もそこまでしてくれなくても、とシュナイダーは内心面白くない。
 密かに想いを寄せている若林が、雑誌一冊とはいえ女に物を贈るのだから癇に障るのは当然だった。マリーは大事な妹だが、恋愛が絡めば話は別だ。
 なにしろシュナイダーは若林から物を貰った事が無い。誕生日すら忘れられてるくらいだから仕方ないともいえるが、それだけに余計マリーがねたましい。
 しかし若林が折角用意してくれたものを頑として断るのも抵抗があり、シュナイダーは渋々礼を言うと雑誌を受け取った。帰宅してマリーに雑誌を渡すと、マリーは目を輝かせて喜んだ。
 マリーは夢中になって、日本の人形の写真に見入っている。その様子は実に無邪気であどけない。可愛い妹が素直に喜んでいるのを見て、イライラしていたシュナイダーの気持ちは自然と和んでいった。
 (こんな小さい妹に嫉妬するなんて、俺もどうかしてたな)
そう思った矢先、マリーがシュナイダーに声を掛けた。
 「お兄ちゃん、ゲンゾーの電話番号教えて! お礼言わなきゃ」
 「電話? いや、その必要はない。礼なら俺が言っておいた」
 「マリーが直接お礼言いたいの! おねがい、教えて〜!」
マリーが若林と二人っきりのおしゃべりを楽しむのかと思うと、シュナイダーは教えたくはなかった。しかし自分の口から礼を言いたいという、マリーの言い分は至極尤もである。やきもちを理由にマリーの頼みを断るのは、我ながら大人げないと思った。
 「わかった。電話は俺が掛ける。途中でマリーに代わるから、それでいいな?」
 「うん! ありがと、お兄ちゃん」
シュナイダーは若林に電話を掛けた。
 すぐに若林が出た。若林は相手がシュナイダーだと知ると、ぶっきら棒に何の用だと聞き返してきた。ところが雑誌をマリーに渡した事、本人が礼を言いたがっている事を告げると、若林の口調が急に嬉しげなものに変わった。早く代われと言わんばかりの態度の急変に、シュナイダーは苦々しく思いながらも受話器を妹に渡す。
 「ゲンゾー!? 本、見たよー! ありがとう〜!!」
元気いっぱいの声で心からの礼を述べるマリー。しかし、会話はそこで終わらなかった。マリーはテーブルの上に件のグラフ誌を広げると、ページをめくりながら話し続ける。
 「それでね、写真の説明を見ても、よくわかんないのがあったの。ゲンゾー、教えてくれる?」 
シュナイダーは、やっぱりと眉をしかめる。おしゃべりのマリーが、本当に礼だけ言って電話を切る筈が無いと思った。内心苛立ちながら電話の傍に佇んでいると、シュナイダーの存在に気付いたマリーが大きな声で言った。
 「お兄ちゃん! レディの会話を盗み聞きしちゃダメだよ!」
子供のくせに何がレディだ!と思ったが、子供相手でも人の電話を聞いているのは確かにマナー違反だ。シュナイダーは電話を切る前に自分を呼ぶよう妹に言い含めると、隣の部屋へと移った。
 数十分後、マリーがシュナイダーのいる部屋に入ってきた。マリーの姿を見て、シュナイダーはイソイソと電話のある部屋に向かう。
 「あっ、お兄ちゃん、ゴメン。電話、切れちゃったの」
マリーに言われて、シュナイダーが足を止めた。
 「切っちゃったのか。俺を呼べと言ったのに」
 「うん。ゲンゾーにそう言って待ってて貰おうとしたんだけど、『別に今話す事も無いし、あいつとは明日も会えるから』って言って、ゲンゾーから切っちゃったの。ゴメンね」
 兄に怒られると思ったのか、マリーがしょげかえった小さな声で詫びた。
 「そうか・・・それなら仕方ない。マリーが気にする事ないぞ」
シュナイダーがそう声を掛けてやると、マリーは安心したらしくいつもの笑顔を見せた。そしてソファに掛けると膝の上に雑誌を広げて、若林から仕入れたらしい日本の人形話をシュナイダーに聞かせ始める。
 マリーの話に適当に相槌を打ちながらも、シュナイダーの気分は晴れない。
 (話す事は無いって・・・つれないなぁ、若林・・・) 
若林が素っ気無いのはいつもの事だが、マリーとは何十分も話してたのにと思うと余計に気分が塞ぐのだった。

 こんな事があってから、数ヶ月が経った。
 シュナイダーの想いは相変わらず若林には届いていなかったが、あの電話をきっかけにマリーが若林と急速に親しくなるという事もなかった。
 そのせいで、マリーが若林と仲良く電話で話したことも、今ではシュナイダーの記憶から薄れかけていた。
 そして三月に入って三日目の朝。ダイニングに行こうとしたシュナイダーは、ドアが開けっ放しになっている妹の部屋を何気なく見て足を止めた。
 「おい、マリー。何やってるんだ?」
マリーはきちんと整頓された本棚から本を下ろし、それを自分の机の上に段々になるように積み重ねていたのだ。
 「あ、お兄ちゃん、おはよう〜。今、コレを作ってるの」
マリーが一冊の雑誌を手に近寄ってきた。それは若林がマリーの為に買ってきた、例のグラフ誌だった。マリーが開いたページに、シュナイダーは視線を向ける。そこには階段状の飾り棚の上に赤い布を敷き、日本人形をずらっと並べた写真が載っていた。
 「これね、日本で女の子がお祝いの日に飾る人形なんだって」
 「・・・日本の女の子ってのは、随分人形を持ってるんだな」
シュナイダーには知る由も無いが、それは十五人揃七段飾りの雛人形の写真だった。若林から三月三日の女の子のお祝いに飾る人形だと聞かされて、マリーは自分も同じ様に人形を飾りたくなったらしい。それで机の上に本で段を作り、その上に布を敷いて写真に似せた飾り棚(雛壇)を作ろうとしていたのだった。机が狭いので写真のように七段というわけにはいかなかったが、小さいながらも三段分の雛壇が完成していた。
 「しかし、飾り棚はそれでいいとして、肝心の人形は?」
マリーは日本の人形を持っていない。おそらく自分が持っている普通の人形を飾るのだろうと予想しつつ、シュナイダーは聞いてみた。
 「それなら大丈夫! ちゃんと作っといたんだ」
良くぞ聞いてくれたといった面持ちで、マリーは部屋の一角から紙袋を持って来た。シュナイダーが首を伸ばして袋を覗き込むと、お手製らしい小さな人形がいくつか見えた。机の上にしつらえた雛壇では大きな人形が置けないので、ちゃんとサイズが合うように小さめの人形を別に作っていたらしい。
 「マリーはホントに器用だなぁ」
感心しながら紙袋に手を入れ、シュナイダーは一番上にあった人形を取り出した。写真に載ってるのと同じような、きらびやかな衣装の人形なのかと思いきや、その人形のデザインは極めてシンプルだった。
 それは赤いキャップを被った、黒髪黒目の人形。両手でサッカーボールを抱えており、着ているのは見覚えのあるデザインの服・・・これはハンブルクJr.のGKユニ?
 「マリー。これは若林の人形か?」
 「あ、わかった? 日本のお人形は形が複雑で真似できなかったから、ゲンゾーのお人形を作ったの」
そう言うとマリーは袋に手をいれ、別の人形を取り出した。後ろ髪がはねた金髪、青い目、そして着ているのはハンブルクJr.のユニ。シュナイダーの顔がほころぶ。
 「俺か!」 
 「当たり〜。お兄ちゃんたちをモデルにして、『ひな人形』にしようと思ったの」
 「マリー、いい考えだ! 見直したぞ!」
シュナイダーは自分と若林の人形を見比べて、嬉しそうに言った。そしてマリーが作った雛壇の最上段に、早速ふたつの人形を寄り添うように並べる。
 人形とはいえ若林と仲睦まじそうな様子に、シュナイダーの口元が自然と緩む。
 「お兄ちゃん、他のも並べようよ」
マリーは袋から残りの人形を取り出した。何故か残りの人形はみな同じデザインだった。短く刈った金髪に細い目、口には針金で作った楊枝が取りつけてある。マリーの抱えている人形を見て、シュナイダーは疑問を投じた。
 「・・・おい、何でカルツの人形だけそんなにあるんだ?」
 「えへへ、実は途中で面倒になっちゃって、残りはみーんなヘルマンにしちゃったの」
そしてマリーは二段目に三体、三段目に五体の人形を並べると楽しそうに言った。
 「はい、三人カルツと五人カルツ。これでハンブルクJr.雛人形完成〜!」
 「・・・どうせなら『三人カールと五人若林』とかにしてくれたら良かったのに」
 「え〜? カルツ人形かわいく出来たと思ったのに・・・」
妹がむくれかけているのに気付き、シュナイダーは慌てて言い直す。
 「あ、あぁ。勿論どれも上手く出来てるよ。単にカルツだけ多いな、って思っただけだ」
マリーはそれで機嫌が直ったらしく、ニコニコと自分だけの『オリジナル雛人形』を眺めている。
 (クローンみたいなカルツ人形はアレだけど、俺と若林の人形はいい感じだよな〜)
いつかはこんな風に若林と仲良く寄り添いたいと思い、シュナイダーも雛人形に見惚れていた。

 その日の夜。サッカーの練習を終えて帰宅したシュナイダーは、妹の姿を見ると大慌てで言った。
 「マリー、大変だ。早くあの人形を片付けろ!」
 「えぇー? だって今日飾ったばっかりだよ?」
 「それが、今日若林に聞いたら、あの人形はもっと早くから飾らないといけないものなんだそうだ。三月三日を過ぎてまであの人形を飾っておくと、その家の女の子は人形の呪いで結婚できなくなるらしい」
 「そうなのっ!?」
マリーが驚きのあまり素っ頓狂な声をあげた。若林が実際にした説明よりいささか大袈裟になっていたが、それが効いたのかマリーは大慌てで自室に行き、人形を片付け始めた。
 「せっかく作ったのに、呪いがかかる人形だったなんて嫌だなぁ・・・」
紙袋に人形を仕舞いこみながら、マリーが悲しそうに呟く。空いた雛壇の片付けを手伝ってやりながら、シュナイダーは優しく妹を慰めた。
 「今日中に片付けたんだから、呪いはかからないよ。そうだ、もしこの人形を傍に置いておくのが嫌なら、俺が来年まで預かってやってもいいぞ」
 「ホント? じゃあ、そうして!」
人形の入った紙袋をシュナイダーに手渡すと、マリーはホッとしたように笑った。紙袋を預かったシュナイダーは、それをマリーの目の前で自室のクローゼットの隅に仕舞ってみせるのだった。
 それから数時間後。
 就寝時間になり兄妹はおやすみを言って、それぞれ自室へと引きあげた。部屋に戻ったシュナイダーは、クローゼットを開け例の紙袋を取り出した。そして上のほうに重なっているカルツ人形を無造作に押しのけながら、底に納まっていた自分と若林の人形を引っ張り出す。
 二体の人形を寄り添うようにして枕元に並べながら、静かに呟いた。
 「『雛人形』の最上段の人形は、これから結婚式をあげる二人の人形なんだってな。ってことは、俺たち将来は結婚できるって事なのかな・・・」
 若林のその気の無さからすると、決して将来を楽観できない感じだったが、シュナイダーはバラ色の未来に気持ちを馳せずにはいられないのだった。
おわり