約束
ハノーファーJr.ユースチームとの公式戦は2月2日、ハンブルクにて行われた。リーグトップのハンブルクJr.ユースチームから見ると、10位前後をウロウロしているハノーファーは格下である。大差で勝って当然、引き分けはもちろん敗北など絶対に有り得ない・・・という空気がハンブルク側のベンチには漂っていた。この試合、ハンブルクのGKには若林が起用された。正GKのハンスは数日前から手首の痛みを訴えており、監督は無理をさせない方がいいと判断した。そして控えキーパーの中では近頃頓に調子を上げてきた若林が、今回スタメンに選ばれたというわけだった。 試合開始直前、若林がシュナイダーに声を掛けた。 「シュナイダー、今日は誕生日だろう?」 細かい事に拘らない性質の若林が、自分の誕生日を覚えているとは思わずシュナイダーは驚く。 「ああ、そうだ。よく覚えてたな」 密かに想いを寄せている相手が、自分の誕生日を覚えていてくれたのだから嬉しくない筈がない。シュナイダーが上機嫌で微笑みかけると、若林は少々気まずそうに言葉を続けた。 「実はお前の誕生日だって気付いたの、ついさっきなんだ。だもんでプレゼントとか用意してなくて・・・だから試合が終ったら、一緒に何か食いに行かないか。今日は俺が奢るから」 「なんだ、さっきまでは忘れていたのか」 結果的に思い出してくれたのだから嬉しい気持ちに変わりはないが、若林が恐縮している様子がかわいいので、シュナイダーはわざとむくれたような声を出した。 「食事もいいが、俺は他のものが欲しいな」 「何だ?」 聞き返されてシュナイダーはニヤリと笑う。 「折角スタメン出場してるんだ。今日の試合、守りきって零封にしてくれ」 シュナイダーの言葉を聞いて、若林の顔にも不敵な笑みが浮かぶ。 「任せろ! 必ず守りきって、シュナイダーに完封勝利をプレゼントするよ。もし点を取られたら、詫びのしるしに何でもお前のいう事を聞くから」 そう言い残すと、若林は自陣ゴール前へと駆け出していった。滅多にない公式戦でのスタメン出場に、若林は闘志満々で燃えている。その後姿を見送りながら、シュナイダーは内心で呟く。 (安心しろ、若林。今日の相手なら、うちが攻め込まれる事はない。仮に攻め込まれても、俺がボールを取り返す。お前はゴール前で構えていれば、完封できるんだ) 口では若林に完封してくれと言ったが、その実シュナイダーは自分が若林に完封勝利をプレゼントする気でいた。相手が格下のチームでも、公式戦での完封勝利経験は控えキーパーの若林にとって、何より嬉しい事の筈だ。 センタースポットに立ったシュナイダーは、ちらりと後方の自陣ゴールを振り返った。若林が全身に気合を漲らせているのが、離れていてもヒシヒシと伝わってきた。 試合が始まった。 大方の予想通り、試合はハンブルクペースで進む。ハノーファー選手の動きは決して悪くないのだが、ハンブルクの選手達は相手の動きの先を読んでいるので、ハノーファー陣は殆どボールを持つことが出来ず防戦一方に追い込まれてしまっていた。 そして前半開始12分、シュナイダーが左足でシュートを決めて先取点が入った。地元での試合ということもあって、ゴールを決めたシュナイダーに対して観客から声援が飛んだ。シュナイダーが自陣を振り返ると、若林が両腕を振り上げてゴールを喜んでいる様子が目に入った。その姿を見ているうちにシュナイダーの脳裏に、試合前の闘志溢れる若林の言葉が蘇る。 『任せろ! 必ず守りきって、シュナイダーに完封勝利をプレゼントするよ』 目を輝かせて宣言した若林の顔を思い出し、シュナイダーの頬が緩む。自分が要求した事だが、それでも若林が自分に完封勝利をプレゼントすると言ってくれたのが、シュナイダーは嬉しくてたまらない。 (えーと、他にも何か言ってくれてたな。確か・・・) 『もし点を取られたら、詫びのしるしに何でもお前のいう事を聞くから』 ドクッとシュナイダーの心臓が高鳴った。さっきは何気なく聞き流していたが、これって重大発言じゃないのか!? (何でも俺のいう事を聞く、って・・・何でもって、本当に何でもアリか!?) 付き合ってくれと言ったら、付き合ってくれるのか? デートに行こうと言ったら、デートしてくれるのか? キスしたいと言ったら、キスさせてくれるのか? 俺が望めば、若林は(以下自主規制)!!! サッカー絡みで純粋に若林を思い遣っていたシュナイダーの心は、あっという間にヨコシマな妄想にとりつかれてしまった。試合が再開したというのに、頭の中は若林の言葉で一杯だ。終いには、若林に失点させる為にわざと相手に攻めさせてみようか・・・などという、スポーツマンらしからぬ考えが頭をよぎる。 「シュナイダー!」 カルツが叫んだ。カルツはハノーファー選手がパスを回す中に切り込み、素早くボールを奪い取っていた。そして逆サイドにいたシュナイダー目掛けて、矢のように鋭いパスをだす。 集中力を欠いたシュナイダーの目の前を、ひゅっとボールが横切った。一瞬遅れて反応したシュナイダーがボールを目で追うと、シュナイダーがスルーしてしまったボールをハノーファーの選手が拾い、ハンブルクゴール目掛けてドリブルを始めたところだった。 シュナイダーの思いがけないミスに、観客がどよめく。カルツを始めとするハンブルクの選手たちも、慌てて守りを固めるものの動揺を隠せなかった。だが、動揺しているのはシュナイダーも同じだった。わざとではないが、さっき自分が考えた通りに敵に攻めさせる格好になってしまったのだから。 ハノーファーの選手は、際どいながらもハンブルクのディフェンダー陣をかわし、パスを繋ぎながらゴール前までボールを運んでいた。 (シュートされる!) 若林に防いで貰いたいような、貰いたくないような、相反する複雑な感情が胸に湧き起こる。シュナイダーは固唾を呑んで、ハノーファーのフォワードの背中を見守った。 バシュ! 鈍い音がして、ボールがゴール目掛けて蹴り込まれる。しかし若林の反応は素早かった。的確にシュートコースを読み、体の真正面でボールをガッチリキャッチする。その瞬間、ハンブルク陣営にはほーっと安堵の息が漏れた。 「源さん、ナイスセーブ!」 カルツの声に、若林が笑顔で応えた。若林の好守を見て、シュナイダーは快哉と落胆の両方の気分を味わうのだった。 若林が前線へと大きくボールを蹴った。だがシュナイダーはこのボールを取りに行かず、もう一人のフォワードに任せる。シュナイダーにボールを託すつもりだった若林は、シュナイダーの消極的な態度に不審を抱いた。 その後もシュナイダーの動きは振るわなかった。さっきのような明らかなミスこそしないものの、どうにも覇気が感じられない。チームの要であるシュナイダーの動きが悪いので、ハンブルク側の連携がギクシャクし始めた。ところがハノーファー側は、逆に勢い付いてきたようだ。序盤はハンブルクに押され気味だったのが、徐々にボールを持つ時間が長くなってきている。ハノーファーの選手達は、ハンブルクゴール目掛けて何本もシュートを放った。 しかし完封勝利を目指す若林の牙城を崩す事は出来なかった。若林は飛んでくるシュートの全てを、見事に防ぎきった。 結局ハノーファーが同点ゴールを決める事はなかった。しかしハンブルクも追加点は取れず、点差は1-0のまま前半が終わった。 「シュナイダー」 若林に呼ばれて、シュナイダーは振り返る。若林の表情は試合前よりも険しかった。 「シュナイダー、どっか悪いのか?」 「・・・いいや」 「じゃ、なんでもっと攻めないんだ! お前らしくないぞ!」 苛立ちともどかしさを顕に、若林が怒鳴る。 「誕生日だってのに、こんな試合でいいのか? 今日の主役はお前なんだぞ! 年の数だけ、ゴールを決めてこい!!」 若林の語気は荒かったが、決して怒っている訳ではなく、シュナイダーに活を入れているのだった。真剣そのものの眼差しで若林に叱咤激励されて、シュナイダーは我に返った。 (いかん。若林の何気ない台詞に過剰反応して、己を見失っていた。若林が全身全霊でプレーに集中してるのに、俺がこのまま気の抜けたプレーを続けてる訳にはいかない!) 「判ってる。後半は任せろ」 その台詞に嘘はなかった。後半開始のホイッスルが鳴るや否や、シュナイダーはボールを奪い果敢に攻め込み始める。前半での消極的な態度がまるで嘘のようだ。 あっという間に二点目のゴールが決まった。シュナイダーが復調した事で、チーム全体も本来のペースを取り戻す。試合が終ってみれば、5-0でハンブルクの圧勝だった。シュナイダーは全ての得点に絡む活躍を見せ、ハットトリックを決めていた。 試合終了後、若林が感嘆の面持ちでシュナイダーに近付いてきた。 「すごいな。さすが、シュナイダーだ」 「そうでもない。年の数には相当足りなかった」 シュナイダーがそう言って笑うと、若林もつられたように笑った。 「なぁ、どうして前半は攻めなかったんだ?」 「ん? それは・・・」 若林の言葉尻を捕えて、あんなコトやこんなコトをしようと考えてしまい試合に集中できなかった・・・と正直には言えなくて、シュナイダーは口ごもる。何と言って誤魔化そうかと考えを巡らしていると、若林が笑みを引っ込めて真面目な口調で言った。 「シュナイダー、前半は俺の事を考えてたんだろう?」 「!!」 誤魔化す余地もなく図星を言い当てられて、シュナイダーは慌てた。 「いや、別にそんな事は・・・」 「隠すなよ。もし先取点を取った時のペースのまま、シュナイダーが試合終了まで攻め続けてたら、この試合、俺の出番は無いも同然だった。シュナイダー、俺を試したな? 俺が本当に完封出来るのか、俺に公式戦で通用する実力があるのか、それを確かめる為に前半はわざと、敵に攻めさせていたんだろう?」 若林の口から思いも寄らぬいい口実が飛び出したので、シュナイダーはここぞとばかりに便乗する事にした。 「ふ。やはり若林にはお見通しだったか。その通りだよ」 「だと思ったぜ!」 自分の推測が当たったと思い、若林が満足気に頷く。ヨコシマな本心を悟られずに済み、シュナイダーは胸を撫で下ろした。 (それにしても・・・) 『何でもお前のいう事を聞くから!』 シュナイダーの耳には、若林のあの台詞が今もハッキリと残っていた。 (若林が俺の頼みならキスもデートも×××も、喜んでしてくれるような、そういうお付き合いをする仲になりたい・・・) 今日の勝利について熱く語りかけてくる若林を見ながら、シュナイダーは切に願うのだった。 おわり
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