学校もJr.ユースチームの練習も冬休みに入り、今年も残すところあと数日となった或る日の事。若林の家に、日本の実家から航空便で荷物が届いた。ドイツに留学してからというもの、それまでも何かにつけて衣類やら日本の食材やらを頻繁に送られていたので、若林は今回もその類の差し入れだろうと推測した。案の定、届けられた箱二つに貼られた伝票を見てみると、ひとつには衣類、もうひとつには食料、と書かれている。 但し、今回の差し入れはこれまでの物とは趣きが違っていた。大きな保冷パックに隙間無く詰められていたのは、おせち料理のメニューだったのだ。温め直すだけで、ドイツ にいながら日本のおせちを食べられるとは有難い、と若林と一緒に荷を解いていた見上は喜んだ。 おせち料理のパックを片付けるのを見上に任せて、若林はもうひとつの箱の封を開けた。畳まれた衣類の上に、「源三へ」と書かれた手紙が入っている。ちょっと癖のあるその文字は、すぐ上の兄が書いた物に間違いなかった。 「あれ? 珍しいな」 若林は意外に思った。差し入れにはいつも家族からの手紙が同封されているが、それは必ず母が綴ったものだった。兄が手紙を入れてくれたのは、これが初めてである。若林は荷はそのままにして、先に封筒を開けて中の手紙を読んだ。兄らしい砕けた語調で、家族の近況があれこれと書かれているのを懐かしく思いながら手紙を読み進めていると、最後に妙な事が書いてあった。 『もうすぐ正月だけど、ドイツと日本じゃ正月も相当違うよな? 源三がちょっとでも日本の正月を体感できるように、今回は俺がイイ物を見つけてやったから。必ず毎晩着て寝るんだぞ!』 日本の正月を体感できるイイ物、しかも毎晩着て・・・というのが何の事だか判らなくて、若林は首を捻る。 「何の事だろう? 送ってくれたのって、服じゃないのか?」 若林は手紙をテーブルに置くと、箱の中身を見てみる事にした。畳まれて仕舞われている時にはただの白いトレーナーのように見えていたものを引っ張りだした若林は、それが実は何であるかに気付き、思わず笑ってしまった。 それは犬の着ぐるみパジャマだった。柔らかい肌触りの生地で作られたツナギ状のパジャマなのだが、普通のパジャマと違い、ぬいぐるみの頭部のようなフードが取りつけられている。手足の部分に袖口はなく、すっぽり覆われるようになっていた。そこには肉球らしき物が付けられていて、犬の足を忠実に模したデザインとなっている。よく見ると、手首足首部分には切れ込みがつけてあった。手足を外に出したい時には、この切れ込み部分から出せるようだ。パジャマをひっくり返してみると、尻に当たる部分にはご丁寧に尻尾まで付けてあった。 「おい。それは、どうしたんだ?」 おせち料理をキッチンに仕舞い終わった見上が、部屋に戻ってきた。そして若林が手にしている着ぐるみパジャマを見て、ギョッとしたように声を掛ける。若林が笑いを堪えながら、見上に説明した。 「兄貴が送って来たんです。日本の正月を体感できるから、これを着て寝ろって。何のことだか、訳判んないですよ」 「これで日本の正月を体感? ああ、これは犬なのか。そういえば、来年は戌年だっけな」 干支の事なぞ忘れ去っていた若林は、見上の言葉を聞いて漸く兄が仕掛けた冗談の意味が判った。 「あー・・・だからデザインが犬なのか」 「源三、折角だから今日からそれで寝たらどうだ?」 笑いながら見上が言うのを聞いて、若林はとんでもないと首を振る。兄には悪いが、こんな子供じみたパジャマを着る気にはなれない。しかし折角送ってくれた物を、趣味に合わないからと早々に捨てるのも悪い気がして、若林はパジャマの入った箱をひとまず自室へと持ち込み、ベッドの下に箱ごと仕舞いこんだ。 年が明けてから若林が最初に会った友人は、チームメートのシュナイダーだった。ハンブルクJr.ユースチームの公式練習はまだ始まっていないが、若林は公式練習に先駆けて、シュナイダーと一緒に自主トレする約束を交わしていた。 その新年最初の練習が終わり、二人でロッカールームで着替えている時に、若林は兄から貰ったパジャマの事をふと思い出した。干支の説明も加えつつ雑談がてらに着ぐるみパジャマの事を話してみると、シュナイダーは若林の話にいたく興味を示した。 「面白そうだな。そのパジャマ、俺にも見せてくれないか?」 「おう、見に来いよ。すげー、笑えるから」 という事で、この日シュナイダーは急遽若林の家に寄る事になった。客人を自室に招き入れた若林が、件のパジャマをベッドの下から取り出して広げて見せると、途端にシュナイダーが笑い出した。 「本当にこんなパジャマがあるんだなぁ。よく出来てるじゃないか」 「よく出来てるけど、ガキっぽいよな」 「そうか? 若林に似合いそうだと思うけど」 着ぐるみの尻尾を引っ張るようにして遊びながらシュナイダーが言うと、若林はバカにされたと感じたのか、ムッとした口調で言い返す。 「俺はこんなモン、着ねーよ。シュナイダーの方が似合うんじゃねーの?」 「俺が? ・・・俺が着てもいいのか?」 思いの外嬉しそうに聞き返されて、若林はビックリした。こんな子供っぽいパジャマを、シュナイダーが本気で気に入るとは思いも寄らなかったのだ。 「ああ。どうせ俺は着ないからな」 「そうか。それじゃ、早速」 シュナイダーはジャージを脱いで薄着になると、着ぐるみパジャマに足を入れる。若林よりもシュナイダーの方が身長が高いのだが、着用に問題はなさそうだった。真っ白な着ぐるみに全身を包まれたシュナイダーは、最後に犬の顔のついたフードを被ると、若林の方を向いて「ワン!」とおどけて見せた。若林が思わずふき出すと、シュナイダーも楽しそうに笑い出す。顔を見合わせてゲラゲラ笑った後で、若林が言った。 「シュナイダー、それやるよ・・・って言うか、是非貰ってくれ! 俺が仕舞い込んでるより、そうやって着て貰える方が助かる」 機嫌よく若林が言うのに笑顔で頷きつつ、シュナイダーは心の中で思案を巡らしていた。 実はシュナイダーが着ぐるみパジャマを見たがったのは、それを口実にして若林の部屋に上がり込む事が目的だった。今日は若林にとっては「新年最初の自主トレ」に過ぎないが、シュナイダーにとっては「新年最初の若林とのデート」なのである。練習を終えた後、すぐに若林と別れてしまうのは忍びなかった。かといって、「もっと一緒にいたい」などとごねても、若林に鬱陶しがられるのは目に見えている。そこでシュナイダーは若林の出した話題に食いつく事で、若林の方から家に招いてくれるように計らったのだった。 問題の品がパジャマという事で、もしかしたら若林の生着替えやパジャマ姿を拝めるかも・・・という下心もあったのだが、この読みは見事に外れてしまった。嫌がる若林に強引にパジャマを着る事を勧めるのは得策ではないと感じたシュナイダーは、自分が着ぐるみパジャマを着る事で、悪くなりかけていた若林の機嫌を直すのに成功した。 ここまでは順調に事が運んでいる。問題はこの先だ。 (せっかく楽しい雰囲気になったんだ。どうせなら、この後もっと若林といちゃいちゃできないかな・・・) などと考えていると、着ぐるみ姿のシュナイダーを上から下まで眺めながら、若林がしみじみと口を開いた。 「それにしても、これを着て戌年はねぇよなー。犬って事なら、ジョンがこっちに来てくれたら嬉しかったのに」 「ジョンって、若林の犬だっけ?」 「ああ。子犬の時から育てたんだ。俺に懐いて、すげー可愛いんだぜ」 愛犬の事を聞かれた途端、若林の顔がにまぁっと嬉しそうに弛む。ジョンがいかに賢くて、優秀で、可愛いかを得々と話す若林を見ながら、シュナイダーはある事を思いついた。若林の愛犬自慢が一区切りついたところで、シュナイダーは口を挟んだ。 「若林、パジャマを貰った礼に、今だけ俺がジョンになってやろうか?」 「え? どういう意味だよ?」 「だからさ、これを着ている間は俺をジョンだと思っていいから」 そう言うとシュナイダーは、その場にしゃがみ込んで両腕を足の間で揃えるようにした。犬が「お座り」をしているようなポーズだ。そして目を丸くしている若林を見上げて、最前と同じように吠えてみせる。 「ワンッ!」 ニヤニヤしながら若林の顔を見ると、その表情から呆れつつも面白がってくれてるのが判った。 「なんだか、ふてぶてしい犬だなぁ。ジョンはもっと可愛いぜ」 などと言いながらも、シュナイダーの冗談に乗った若林は図体のでかい「犬」の前に屈み込む。 「えーと・・・じゃ、シュナイダー。お手!」 今にも笑い出しそうな顔でそう言うと、若林はシュナイダーの前に右手を出した。シュナイダーが愛嬌たっぷりに着ぐるみに包まれた片手を乗せて見せると、若林が堪えきれずに笑い出す。 「あはははっ、上手い上手い! えらいぞ、シュナイダー」 笑いながらぬいぐるみがついたフードの頭を撫でてやると、シュナイダーがまた吠えて見せた。シュナイダーが、この遊びを心底楽しんでいるように見えたので、若林は自分も遠慮なく遊ばせて貰う事にした。そして次は何をさせようかと考える。 「よーし、次は・・・」 若林は壁際の机の上からボールペンを取り上げると、それを部屋の隅へと軽く放った。 「取って来い!」 「ワン!」 一声吠えると、シュナイダーは四つん這いでボールペンの所まで近付き、顔を床に近付けた。そして前歯で器用にペンを咥えると、四つん這いのままで若林の元に戻ってきた。口に咥えたペンを突き出すようにして顔を若林の方へ向けると、若林は感嘆の表情を浮かべる。 「シュナイダー、手ぇ使わなかったのか! すごいな。本当の犬みたい」 「ワォ〜ン!」 褒められて嬉しい様子を表すつもりなのか、シュナイダーは口に咥えたペンを若林の手元に落とすと、そのまま若林の肩に手を掛けてじゃれついた。きゃんきゃん言いながら顔を摺り寄せると、若林がくすぐったそうに笑う。 「こら、行儀が悪いぞ! 待て!」 しかしシュナイダーは、今度は若林の言う事を聞かなかった。犬がじゃれる風を装いながら、若林に覆い被さるようにして、しっかりと抱きつく。シュナイダーはそのまま若林の身体を、とある方向へと押して行った。自分より大きい「犬」に抱きつかれて、じりじり押されながら若林は戸惑う。いつの間にやら若林は ベッドの脇まで追い詰められていた。膝裏がベッドの縁にぶつかって、そのまま後ろに倒れそうになり、若林は慌てて叫ぶ。 「おい、押すなって。シュナイダー、待て・・・うわっ!?」 待つどころか押し倒されて、若林はベッドの上に勢いよく仰向けに転がった。その上に着ぐるみを纏ったシュナイダーが、これまた勢いよくダイビングしてきた。 「ワンッワンッ!」 シュナイダーは満面の笑みを浮かべながら若林にのしかかり、若林の鼻や頬をぺろぺろと舐める。いきなり顔を舐め回されて、若林は驚いた。 「シュナイダー、悪ノリし過ぎだぞ! もう止めろってー!」 だが、シュナイダーは若林の上からどこうとはしない。犬がじゃれる振りをしながら、もこもこした着ぐるみを被った手を若林の服の中にもぐりこませる。その感触が何ともくすぐったくて、若林は身体を捩って笑い転げた。 「あははっ、シュ、シュナイダー・・・くすぐったい・・・変な所、触んなって・・・!」 若林は友人の悪ふざけに困りながら笑ってるだけなのだが、その様子はシュナイダーを大いに興奮させた。シュナイダーは犬の真似でふざけている、というポーズを忘れ、真顔で若林の顔を見下ろした。 「若林! 実は俺・・・ずっと前からお前の事を・・・」 自分が思いっきり間抜けな姿をしている事も忘れ、シュナイダーが本気で告白しようとしたその時。若林の部屋のドアがノックされる事もなく、急に勢いよく開け放たれた。 「源三、誰か来てるのか?」 外から帰ったばかりらしく、コートを着たままの見上が部屋に姿を現した。そして若林が、白い犬の着ぐるみを纏った不審人物にベッドに押し倒されているのを見て、顔色を変える。 「おいっ! お前、何をやってるんだ!」 疚しい覚えのあるシュナイダーは、弾かれたようにベッドから飛び起きた。その後で若林がベッドから起き上がり、申し訳なさそうに見上に頭を下げた。 「騒いで済みません。例のパジャマをシュナイダーに引き取って貰うことになったんで、実際に着て貰ってたんです。で、ついでに犬の真似とかして遊んじゃって・・・うるさくして、済みませんでした」 怒鳴られたのは、おふざけが過ぎて大声で騒いだせいだと思った若林は、素直に見上に詫びを入れた。若林の言葉に、見上は眉を寄せてシュナイダーを見る。 「・・・遊んでただけ? シュナイダー、そうなのか?」 「も、もちろんです!」 「本当に?」 見上は疑り深くシュナイダーを追及する。本当に遊んでるだけのつもりだった若林と違い、下心のあったシュナイダーは気が気ではない。脱ぎ捨てていたジャージとスポーツバッグを拾い上げると、見上と若林の顔を交互に見て言った。 「あの、俺はもう帰ります。若林、じゃあな!」 「帰るって、その格好でか!?」 いくら何でもそれは変だと若林が引き止めるのを振り切って、シュナイダーは見上の視線から逃げるようにその場から立ち去った。着ぐるみ姿のまま全力疾走して、家から遠ざかっていくシュナイダーの後姿を見送りながら、若林はぽつりと呟く。 「まさか、シュナイダーが、あれをあんなに気に入ってくれるとはなぁ」 何にせよ、持て余していた着ぐるみの貰い手が見つかって良かった・・・と思いながら、若林はシュナイダーに舐められた鼻先を掌で拭った。 おわり
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