たかがお返し、されど・・・

 「若林!!」
練習場に一番乗りしてウォーミングアップを始めていた若林は、背後から大声で呼び掛けられて振り返った。声の主の、腕を組み血走った眼でこちらをきつく睨んでいる 様子から、ただ事ではなさそうだと若林は察しをつける。事情は判らないが相手を刺激しないよう、若林はさりげない口調で聞き返した。
 「シュナイダーか。今日は早いな。どうした?」
 「お前に聞きたい事がある」
腕を解き、ずかずかと大股で若林に近寄ると、シュナイダーは若林の眼を真っ向から見据えた。その眼光の鋭さに若林は緊張する。
 シュナイダーは怒っている。だが、一体何が原因でこんなに怒っているのだろう?
 「若林、今日が何の日か知っているな?」
 「今日? 3月14日だよな。何かの日だったけ?」
若林の返答に、シュナイダーは意外そうに眉をひそめる。
 「知らないのか? 日本人なら知っている筈だが」
 「いや、判らん。知っているなら教えてくれ」
真顔で尋ね返すと、険しかったシュナイダーの表情が糸が切れたかのようにホッと緩んだ。怒りでギラついていた眼も、今はすっかり落ち着いている。何事かと気持ちを張り詰めていた若林は、シュナイダーの態度の急変に拍子抜けしてしまった。シュナイダーは最前とは打って変わったソフトな調子で、若林に笑いかける。
 「本当に知らないんだな。それならいいんだ、忘れてくれ」
 「おい、そりゃねぇだろ! ちゃんと言えよ」
急に態度を曖昧にして話を打ち切ろうとするシュナイダーの真意が気になって、若林は食い下がった。何かの約束をしていたのか、それとも誰かの誕生日だったのかと散々問い詰めた結果、シュナイダーが渋々ながら口を開いた。
 「昨日の夜、テレビのニュースで日本独自のイベントの紹介をしているのを見たんだ」
 「そんなのやってたのか。で、何のイベントだ?」
 「ホワイトデー・・・バレンタインデーに女からチョコを贈られた男が、お返しとして女に贈り物をする日だと言っていた」
 説明しながらシュナイダーは、昨夜見たニュース映像を思い起こしていた。ショッピングセンターの特設会場に白や青を基調にしてディスプレーされた専用の売り場が設けられ、女受けしそうな菓子やら小物やらがずらりと並べられていた。その売り場で品物を選んでいる若い男や中年男がマイクを向けられて、『彼女に』『女房に』と誰に贈るのかを照れながらもニコニコと答えているのを見て、シュナイダーは落ち着かなくなったのだった。
 (若林はバレンタインデーに、日本の連中から山ほどチョコを貰っていた。チョコそのものは俺が全部食ったけれど、あいつら全員にホワイトデーのお返しを送っているのだとしたら・・・)
そう思うと嫉妬の炎が燃え上がってしまい、昨夜は殆ど眠れなかった。そして事の真実を確かめようと、感情の高ぶるままに若林を問い詰めた、というわけなのだ。
 しかし若林にしてみれば、言われてみればそんなイベントがあったっけ程度の認識であり、そもそも何故シュナイダーがホワイトデーの事であんなに不機嫌だったのかが判らず、首を傾げる。
 「ホワイトデーか。でも、それがどうかしたのか?」
 「別に。どうもしない。俺の勘違いだから、忘れてくれ」
ホワイトデーには若林も日本の連中にお返しをするのかと思った・・・などと詳しく説明して、若林がそうだった!と本当にお返しの用意を始めたりしたら、目も当てられない。シュナイダーは来た時とは打って変わった弱腰な態度になり、必死になって話を誤魔化した。
 そのうちに練習場にカルツら他のメンバーが集まって来た。彼らがシュナイダーたちに声を掛けてきた事から、幸いにも若林の注意はこの話題からそれていったようで、シュナイダーは胸を撫で下ろした。
 監督やコーチがやってきて練習が始まる頃には、シュナイダーの頭の中からもホワイトデーの事はすっぱり忘れ去られていた。

 チームの練習が終わった後、若林とシュナイダーはいつものように二人だけ練習場に残って特訓を行った。辺りが薄暗くなる頃にその特訓も終らせて、二人は練習場から引き上げた。ところが帰り道の途中で若林が、急に思い出したかのように言った。
 「あ、ごめん。俺は寄り道してくから、今日こっちから帰るわ」
 「寄り道?  どこに・・・」
 「じゃあな!」
若林はシュナイダーに手を振ると、家に向かうのとは違う道へとずんずん進んで行った。ついさっきまでは用事があるような素振りは全く見せなかったので、シュナイダーは暫し呆気に取られて若林の後姿を見送った。だが若林が角を曲がって視界から消えた途端、シュナイダーはあることに気付いた。
 (あっちは商店街の方角じゃないか。寄り道って、買い物か・・・?)
俄かに昨夜見たテレビの映像が思い出された。
 『彼女に』と言いながら、小さなクマのぬいぐるみを見せた若い男。
 『女房に』と言いながら、ハンカチのセットを見せた中年男。
 『ツバサに』と言いながら、青いハートマークの包装紙でラッピングされ派手にリボンを巻いた大きな包みを嬉しそうに掲げる若林・・・!!
 めちゃくちゃ有り得る!!
 若林はいつもツバサの話ばっかりだし、バレンタインデーの時もツバサから貰ったチョコにだけ執着していたし、俺からホワイトデーの話を聞いて、ツバサにお返しをする事を思いついたのに違いない!
 シュナイダーは猛ダッシュで若林の後を追いかけた。
 立ち並ぶ商店の店先を、シュナイダーは片っ端から覗いて廻る。視力、洞察力、注意力、いずれも優れた資質の持ち主であるシュナイダーは、すぐに目指す相手を見つけ出した。若林は所在ない様子で、とある店先でぶらぶらと商品を眺めていた。
 「若林!!」
息を弾ませながらシュナイダーが駆け寄ると、若林は驚いたようだ。
 「シュナイダー? お前、帰ったんじゃないのか」
 「なに、気が変わったんで、俺も若林の寄り道に付き合おうと思ってね」
そう言ってシュナイダーは、若林が佇んでいた店の奥へと視線を巡らす。
 「ここで買い物をするのか? 何を買うんだ? 贈り物か?」
冷静に振舞おうと思うのだが、気が急いているのでどうしても詰問口調になってしまう。若林はシュナイダーの問い掛けに、苦笑しながら答えた。
 「買い物ならもう終った。今、中で包んで貰ってるんだ。何を買ったかは・・・見りゃ判んだろ?」
 店先にずらりと並べられた色とりどりの生花を見下ろしながら、若林は言った。
 「お待たせしました」
店の奥から出て来た花屋の店員が、若林に声を掛けた。手には淡いブルーのリボンを巻いた小さな花束と、釣銭を持っている。
 「こちらお釣りのお返しです。ありがとうございました」
 「あ、どうも」
花束と釣銭を受け取った若林は、小銭をジャージのポケットに無造作に突っ込むと、シュナイダーに向かって言った。
 「んじゃ、帰るか」
 「・・・ああ」
若林と並んで歩きながら、シュナイダーは若林の手にした花束が気になって仕方がない。
 「おい、その花束は・・・」
 「あ、そうか」
若林は歩きながら、花束をシュナイダーに向かって差し出した。
 「ほらよ! これはお前に」
香りのいい花束を顔の前に突き出され、シュナイダーは戸惑う。
 「若林、俺に・・・なのか??」
 「ああ。バレンタインデーの時に俺に花束くれたじゃん。だからお返し」
 「あ・・・・・・」
ツバサのチョコを取り合った事ばかりが思い出されて、自分が贈ったプレゼントの事を失念していたシュナイダーは、若林の予想外の行動に驚きを隠せない。
 「後で届けに行こうと思ったけど、来たくれたんで手間が省けたぜ」
 「若林、俺に花束を買う為にわざわざ寄り道したのか?」
受け取った花束を握り締めながら尋ねると、若林が頷いた。
 「シュナイダーがホワイトデーの事教えてくれたからさ、そういやお返ししなきゃと思って」
若林の言葉に、シュナイダーはやっぱり・・・と少々落胆した。花束を差し出されて浮かれてしまったが、どうやら自分一人が若林から贈り物を貰えるわけではないようだ。
 「あ・・・そうだよな。ホワイトデーだもんな。じゃあ、これから他の連中の分も買い物するわけだ・・・」
 「他の連中? あー、チョコをくれた奴らか」
若林が笑いながら言った。
 「あいつらのはいいよ。チョコを貰った直後に、南葛中サッカー部宛でまとめて礼状出しといたから」
 そう聞かされても、シュナイダーはまだ安心できない。
 「本当に? 本当に日本の連中には、ホワイトデーの贈り物をしないのか?」
 「しねぇよ。大体、ホワイトデーってのは、女からチョコを貰った男がその女にお返しを贈るんだろ? 俺にチョコを寄越した女なんていねぇんだから、いいんだよ!」
 しつこく問い詰められて煩くなったのか、若林が面倒臭そうに言い切った。
 「大体あいつらだって、ホワイトデーなんざ気にしてないって。でもシュナイダーは・・・」
 「俺は?」
何を言ってくれるのかと、シュナイダーは期待に満ちた目で若林を見つめる。
 『シュナイダーはあいつらとは違うからさ・・・』
 『シュナイダーは、俺に取って特別の相手だから・・・』
 『これ、俺の気持ち・・・受け取ってくれるか?』
 『シュナイダーは俺の事、どう思ってる・・・?』
 『俺、シュナイダーのこと、好きなんだ・・・』
 『シュナイダー、愛してる・・・』
シュナイダーの脳裏に、自分が常々若林から聞きたいと思っているさまざまな台詞が浮かびあがる。しかし妄想に浸っていられたのは、ほんの数秒の事だった。すぐに若林の口から、答が発せられたからだ。
 「シュナイダーは、お返しが欲しかったんだろ?」
 「・・・え? あ・・・? えぇっ??」
何を言われたのか咄嗟に判らなくて、シュナイダーは花束を手にしたまま目をぱちくりさせる。そんなシュナイダーの反応が面白かったらしく、若林は陽気に笑った。
 「やっぱりな〜! お前、昨日のテレビを見て、今日は俺からホワイトデーのお返しが何か貰えると期待してたんだろ? 練習場に入って来た時のお前がすごい剣幕だったから、てっきり怒ってるのかと勘違いしたぜ」
 「あ、あぁ〜・・・」
そういうことかと合点がいき、シュナイダーの気分はすぼんでしまった。
 若林は、俺の態度を見て、俺がプレゼントを欲しがってると思って、それならと俺の期待に応えてくれただけなんだ。深い意味など何もない、儀礼的なお返しに過ぎないのだ・・・。
 「なんだ? 花束じゃ不満だったか?」
 「とんでもない、嬉しいよ」
 「だろ?」
若林がシュナイダーの顔を見ながら、歯を見せて笑った。
 「俺もシュナイダーから花束貰った時、嬉しかったからさ。同じ物返したら喜んで貰えると思ったんだ」
 若林の台詞は、しおれかけていたシュナイダーの心に、恵みの水と眩しい陽光となって降り注いだ。
 「若林っ!!」
シュナイダーは花束を掴んだまま、背後から若林の身体を思いっきり抱き締める。やにわに抱きつかれてバランスを崩した若林は、よろけながらシュナイダーを振り返る。
 「うわ? なんだよ、シュナ?」
 「ありがとうっ、本当にありがとう!!」
若林にがっちり抱きつきながら、シュナイダーは笑顔で感謝の言葉を何度も口にした。大袈裟だと思いつつ、シュナイダーが心から喜んでくれているのが判って、若林の顔も綻ぶ。分かれ道に差し掛かるまで、二人はじゃれついた格好で、陽気に笑いながら歩き続けるのだった。
おわり