家族の絆

 12月中旬の某日、出掛けようとしていたシュナイダーは母親に呼び止められた。
 「カール、今年のクリスマスなんだけど・・・」
 「なに? 母さん」
 スポーツバッグを担いだまま、シュナイダーが母親の方を振り返る。
 「あなた、まさかクリスマスもサッカーの練習をする気じゃないでしょうね?」
 少々咎めるような口調で、母は息子の顔を見る。自慢の息子はサッカーの強豪、ハンブルクJr.ユースチームに在籍している。但し、チームはとっくに冬休みを迎えており、今は練習を行っていない。
 それなのにシュナイダーは、チームメートの一人と朝から晩まで毎日練習に明け暮れているのだった。今日これから出掛けようとしていたのも、目的はその自主トレである。
 近い将来プロで活躍することを期待されている身であるから、シュナイダーがサッカーに情熱を傾けるのは当然といえば当然なのだが、特に今年は練習に打ち込む様子が尋常ではない。なので例年通り家族揃ってクリスマスを祝いたい母親は、不安を感じたのだった。
 「サッカーの練習も大事だけれど、クリスマスは年に一度なのよ。マリーも楽しみにしているし」
 「うーん、クリスマスか・・・どうだろう・・・」
 もちろんクリスマスは家にいるよ、という返事を期待していた母は、煮え切らないシュナイダーの言葉に顔をしかめる。
 「本当にクリスマスも練習に行く気なの?」
 「若林の都合を聞いてみないと、ハッキリした事は言えないよ」
 シュナイダーは自主トレのパートナーの名前を挙げる。冬休み中の自主トレは、元々若林が提案した事だった。彼はシュナイダーに勝るとも劣らない熱意で、毎日の練習に身を砕いている。あの様子では、クリスマスだからなどという理由で彼が練習を休むとは思えなかった。
 そして若林にひとかたならぬ好意を寄せているシュナイダーは、若林が練習したいと言えばとことん付き合う気でいるのだった。今のシュナイダーには家族と過ごすクリスマスよりも、若林と一緒に練習する事の方が重要事項なのである。
 他に邪魔者のいない、若林とマンツーマンの自主トレ。筋のいい若林は、鍛えればメキメキと上達していく。そしてその成長に比例するかのように、若林がシュナイダーに接する態度はどんどん新密になっていた。
 (この調子でいけば、俺と若林が恋人になれるのも、そう遠い日じゃないぞ!)
 などとヨコシマな事を目論んでいるものだから、シュナイダーは毎日の練習が楽しくて仕方ない。母に言われたくらいで、自分からこの自主トレを休む気などさらさら無かった。
 しかし、そんな息子の態度に母は大いに機嫌を損ねたようだ。
 「だったら、ハッキリその子に言いなさい! クリスマスは家族と過ごすから練習を休む、って」
 「えっ・・・」
 思いのほか強くなじられて、シュナイダーは焦った。しかし母の言う通り若林に伝えたら、本当に若林との練習が中止になってしまう。
 「そんな事、若林に言えないよ!」
 「どうして言えないの?」
 「そ、それは・・・」
 練習を休みたくない本当の理由を母親に言うのも憚られて、シュナイダーは別の理由をひねり出した。
 「若林は留学生なんだ。クリスマスも帰国しないで、ドイツにいるんだよ。家族から遠く離れたドイツで、たった一人で頑張っている若林に『俺は家族と暖かいクリスマスを過ごすから、お前は一人で練習頑張れよ。じゃーな!』なんて、言える筈ないだろう!?」
 思いついた事を一気にまくしたてると、さすがに母はびっくりしたようだ。
 「まぁ、そうだったの。確かにそれじゃ言えないわね・・・」
 母の態度が軟化したので、シュナイダーはホッとする。だが母の話はまだ終わっていなかった。
 「それじゃ、その留学生の子もうちに呼びなさい。皆でクリスマスをお祝いしましょう」
 「えっ!?」
 思わぬ事を言われてシュナイダーは目を丸くする。
 しかし、これは彼にとって有りがたい申し出だった。家族とも、若林とも、一緒にクリスマスを過ごす事が出来るのだから。
 (そういえば、若林とは練習の時以外会ってないもんなぁ・・・あいつをうちに呼んだら、今よりもっと親しくなれるかも・・・)
 「判った! 今日、若林に聞いてみる」
 明るい声でそう言い残し、シュナイダーは家を出て行った。

 練習場で顔を合わせるなり、シュナイダーは若林にクリスマスの予定を聞いた。練習以外予定なんかない、と即答されるだろうと思っていたのだが、若林の返事はシュナイダーの予想とは少し違っていた。
 「なんで、クリスマスの予定なんか聞くんだ?」
 そう尋ねる若林の表情は、何故か少し曇っている。
 「いや、実はうちに来ないかと思ってさ」
 「俺がシュナイダーの家に?」
 不思議そうに聞き返されて、シュナイダーは出掛けに母親と交わした会話を説明する。
 「・・・こういう訳だから、若林もクリスマスにはうちに来いよ。歓迎するぜ」
 「なるほど。クリスマスは家族と過ごすものなんだ・・・」
 思案顔の若林に、シュナイダーが返答を迫る。だが、若林はこの場では「行く」とは言わなかった。
 「ちょっと考えさせてくれ。見上さんにも相談しないといけないし」
 ドイツでの若林の保護者的立場にいるコーチの名前を出されて、シュナイダーは判ったと頷く。返事は明日するからと若林に言われ、今日のところはこの話題はそれきりになった。
 翌日、練習場でシュナイダーはワクワクした気分で若林に話しかけた。
 「よう、若林。クリスマス、大丈夫だろ?」
 旅行や外泊ではないから、保護者の見上が反対する理由は何もない。なのでシュナイダーは楽観的である。だが明るい表情のシュナイダーとは対照的に、若林は浮かない面持ちだ。
 「それなんだけど・・・シュナイダー。俺、クリスマスは家に帰るよ」
 「家に? 俺抜きで、一人で自主トレするって事か?」
 「いや、そうじゃない。日本の実家に帰るんだ」
 一瞬、その場の空気が凍りついた。
 ぽかんと口を開けたまま、こちらを見つめているシュナイダーに、若林が早口で事情を話す。
 「実は、丁度クリスマスの前に見上さんが仕事の都合で一時帰国する事になっててさ。で、その事を家への手紙に書いたら、母さんや兄貴たちがそれなら一緒に帰って来いって、電話や手紙でうるさくて。俺はプロになるまで日本に帰らないつもりだから、帰る気はないってその都度返事してたんだけど・・・」
 「じゃ、なんで急に帰る気になったんだ!?」
 悲壮な顔つきで問い質すシュナイダーに、若林が苦笑いを返す。
 「昨日、お前からクリスマスは家族で過ごすって聞いて、それで思ったんだ。俺はドイツで一人でいても平気だけど、きっと母さんたちは俺の事が心配なんだろうなって。だから、親孝行のつもりで今年だけは家に帰って、クリスマスや正月を家族と過ごそうかって。その事を見上さんに相談したら、是非そうしろって言ってくれたし」
 「クリスマスや正月・・・って事は、来年まで会えないのか・・・」
 落胆した様子のシュナイダーに、若林が済まなさそうに詫びる。
 「ごめんな。折角誘ってくれたのに。でも、シュナイダーも本当は、クリスマスは家族水入らずの方がいいだろ?」
 「いや、若林なら家族に混じっても大歓迎なんだけど・・・」
 未練がましく誘ってみるが、若林の意思は動かなかった。どうやら今年のクリスマスから年明けまで、若林と離れ離れで過ごすのは決定らしい。練習を始めるべく、ゴール前へと駆け出していく若林の後姿を見ながら、シュナイダーは深く溜息をつく。
 期待が高かった分、失望も深かった。練習を続ける気力すらも出なくなってしまい、この日のシュナイダーは気の抜けたプレーの連続。若林に体調でも悪いのかと言われたのをいいことに、早めに練習を切り上げてしまったのだった。
 
 練習がいつもより早く終わったので、帰宅した若林はさっそく国際電話で実家に連絡をとってみた。母親が出るかと思ったのだが、受話器の向こうからは次兄の元気な声が聞こえてきた。クリスマスに見上と共に帰国する事にしたと伝えると、次兄はビックリしたように聞き返してきた。
 『本当か!? 源三、それ本気で言ってるのか!?』
 「当たり前だろ。こんな事、嘘ついったって仕方ない」
 母と一緒になって兄たちも帰国を促していたのに、今更何を驚いているのかと若林は不思議に思う。
 『・・・そうか。いや、あんまり意外だからさ。だってお前、プロになるまでは帰国しない!って、あんなに強く言ってたじゃん。まさか、こんなにあっさり気持ちを翻すとは・・・』
 この言い方にカチンと来た若林は、ムッとした声で言い返す。
 「何だよ、それ。俺に帰って来いって言ったのは兄貴だろ」
 『それはそうだけどさ。まさか本当に帰ってくるとは思わなかったんだ』
 何やら含みのある言い方をされて、若林は戸惑う。
 「何? 一体どういう事なんだ?」
 すると次兄が、ポツポツと事情を説明してくれた。
 見上の帰国を知った母親は、大事な末っ子がドイツに一人取り残される事を大いに心配した。それで若林に見上と一緒に帰って来るよう再三呼びかけたのだが、兄弟一ガンコ者の末っ子は首を縦に振る気配がない。それで長男次男に、あんたたちも源三を説得してと切々と訴えた。
 三男坊の性格をよく知っている兄たちは、自分達が何を言っても無駄だろうと思ったのだが、母親の頼みを無碍に断るのも忍びない。そこで効果が無いであろう事を承知の上で、電話や手紙で帰国するよう説得を繰り返したのだと言う。
 話を聞いた若林は、声を上げて笑った。
 「なーんだ。じゃあ、俺に帰って来て欲しかったのは、本当は母さんだけだったんだ」
 『いや、俺達だって源三には帰って来て欲しいさ。父さんも、母さんがうるさいから口には出さないけど、源三に会いたがってる。でも・・・』
 「でも?」
 『帰って来て欲しいと思うのと同じくらい、今は帰って欲しくない、とも思ってるんだ。いや、源三が本当に帰国したいんならいいんだけどさ、そうじゃなくて、母さんや俺達に気を使って帰ってくるつもりなら・・・それは正直言って、あまり嬉しくない』
 図星を刺されて、若林は内心ドキリとする。若林が返事をしないので、勘のいい次兄は悟ったようだ。
 『やっぱりそうか。本音じゃ、プロになるまで日本に帰りたくないんだな?』
 「・・・うん」
 『そうだろうと思ったよ。よし、母さんには俺と兄貴から言っとく。源三、お前はそのままドイツにいていいぞ』
 「いいの!?」
 兄が自分の意思を尊重してくれるのが嬉しい反面、母の想いは裏切ることになってしまうので若林の気持ちは複雑だった。兄達が取り成してくれるとは言うが、母を失望させてしまう事に変わりはない。脳裏に悲しげな母の顔が浮かび、若林の声は知らず知らずトーンダウンしていた。
 「でも、母さんはガッカリするだろうなぁ・・・」
 『任せとけって。母さんだって口ではやいやい言ってるけど、心の奥では源三は帰ってこないって諦めてると思うし』
 「そうかぁ?」
 『そうだよ。俺達に判ってる事が、母さんに判らない訳ないだろ。家族なんだぜ』
 家族。その言葉が若林の胸に深く染み渡る。
 クリスマスは家族揃って祝うもの。シュナイダーはそう言っていた。それはとても素晴らしい事だと思う。
 でも、理想の家族の形はひとつだけじゃない。プロになるという目標を達成するまでは、俺は兄貴たちの好意に甘えよう。離れていても、俺と家族の絆が切れることはないのだから。
 「そうだよな。じゃあ兄貴、俺やっぱり帰らないから。母さんに・・・皆によろしくな」
 『おう。源三も頑張れよ!』
 次兄との通話が切れた。若林は受話器を置くと、今度は今日別れたばかりの友人の家に電話を掛ける。聞きなれた声が電話口に出たのを確かめてから、若林は照れくさそうに話し始めた。
 「あ、シュナイダー? さっきの帰国の話、あれナシになったから。・・・うん、そう。クリスマスも正月もドイツ。・・・そう、それで電話したんだ。・・・マジ? すげー楽しみ! うん、絶対行くから・・・」
 
 「おぉ〜、キレイに飾ってんなぁ」
 途中まで迎えに来てくれたシュナイダーと一緒に、彼の家の前までやって来た若林は思わず声を上げる。
 窓枠を縁取るようにして点滅を繰り返す電飾、窓ガラスにはスノースプレーで描かれた雪の結晶、ドアの前には美しい装飾の大きなリース。
 「家の中のツリーも見てくれよ。結構立派なんだぜ」
 シュナイダーがドアを開けて若林を招き入れた。すると奥からシュナイダーの妹のマリーが、パタパタと走り出てきて来客にニッコリ笑いかける。
 「いらっしゃいませ! メリークリスマス!」
 「メリークリスマス。マリーちゃんだね。はじめまして」
 「はじめまして! ママ〜、お客さん来たよ〜!!」
 若林に向かってペコッと頭を下げた後、マリーが後ろを向いて大声で叫ぶ。キッチンと思しき部屋からは美味しそうな匂いが漂ってきて、玄関にいる若林の鼻腔をくすぐった。きっとシュナイダーの母親が、腕によりを掛けてご馳走を作っているのだろう。家族の団欒に闖入してしまったのを改めて感じてしまい、若林は小声でシュナイダーに詫びる。
 「悪いな。家族のお祝いの日にお邪魔しちゃって」
 「気にするなって。どうせお前は将来うちの家族に・・・じゃなくって、今日はうちの家族のつもりで寛いでくれよ!」
 上機嫌のシュナイダーは若林の両肩に手を置き、後ろから押すようにしてツリーの飾られた部屋へと案内する。
 暖かく楽しい一日の始まりだった。
おわり