お菓子な話

 三月に入り、ドイツの気候も晴日が増えて過ごしやすくなってきた。
 とある穏やかな天気の日、若林宛に少々大きめの小包が届いた。実家からだったので、仕送りだろうと思い若林はすぐに包装を開く。中身は有名な洋菓子店のギフトセットだった。美味しそうなチョコレートやクッキーが見栄えよく収まった箱を見ながら、若林がいささか落胆したように呟く。
 「なんだ、お菓子かぁ」
 間食の習慣がない若林は、菓子の類を滅多に口にしない。甘い物が嫌いな訳ではないが、特に好きという事もない。他人から勧められれば食べるけれど、自分から手を伸ばす事はなかった。この食習慣が、運動能力に秀でた若林の健康な肉体を支えている。
 その自分の元に菓子折り、しかも店で一番大きいサイズと思われる箱が届けられてしまい、若林は内心持て余していた。
 「ほう、旨そうだな」
 部屋に入ってきた見上が、若林の前の菓子箱を見て声を掛けた。
 「うちから送ってきたんですよ。どうぞ!」
 若林に勧められて、見上はクッキーを摘んで口に放り込む。お前は食べないのかと言われて、若林も別のクッキーを口に運んだ。思った以上に甘くて若林の口には合わなかったが、見上は口をもぐもぐと動かしながら満足げだった。
 「うん、旨い。しかしこの時期にクッキーの贈り物なんぞ見ると、ホワイトデーを思い出すな」
 相槌を求めるように顔を見られて、若林はキョトンとした顔で聞き返す。
 「ホワイトデー? 何ですか、それ?」
 「知らないのか。アレに煩わされた経験がないとは羨ましい奴だ」 
 見上は笑いながらホワイトデーの何たるかを説明してくれた。バレンタインデーについては情報を聞きかじっていた若林だったが、その対となるホワイトデーの存在は知らなかったので、興味深く耳を傾ける。
 「・・・まぁ、あれだ。恋人へ感謝の気持ちをこめてお返しをする、っていうと聞こえがいいが、実際は女性側から倍返し以上の高価なプレゼントを要求されてるようなもんだからな。バレンタインデーに沢山チョコを貰ったからといって、うかうか喜んでいられないんだぞ」
 「だったら、最初からチョコを受け取らなきゃいいじゃないですか」
 真顔で言い返す若林は、冗談ではなく本気でそう思っているようで、見上は吹き出しそうになる。若林が日本にいたのは小六の時までだが、その年代でもバレンタインデーやらホワイトデーやらのイベントはあった筈だ。しかし空いた時間は全てサッカーの練習に当てて、他の事には一切目もくれなかった若林には、男女間の微妙な駆け引きなどは想像もつかないのだろう。
 「そういうワケにもいかないんだよ。考えてもみろ、ホワイトデーにお返しするのが嫌だからチョコは要りません、なんてチョコを差し出してくれる女性に面と向かって言えるか?」
 「言えます」
 考え込む事なく言い切る若林に、見上は首を横に振ってみせる。
 「言いたくても、言ったらイカンのだ。源三ももう少し大人になったら判ってくる」
 「はぁ・・・そうなんですか」
 サッカーに関してならば見上コーチの話は勉強になる有意義な内容ばかりなのだが、この件に関しては何だか要領を得ない。若林はあまり納得していない顔で、形だけ頷いた。
 「そういえば、俺はバレンタインデーにシュナイダーからチョコ貰ったんだっけ。俺もお返しした方がいいかな」
 ふと思い出した事をぼそっと独り言のように呟くと、二枚目のクッキーを摘んでいた見上が急にむせ返った。慌ててキッチンへ水を飲みに行く見上を追いかけて、若林が後ろから声を掛ける。
 「大丈夫ですか、見上さん!?」
 「あぁ、大丈夫。何でもない。ちょっとした勘違いだ」
 「勘違いって?」
 「気にするな。つまらん事だから」
 水の入ったグラスを流しに片付けながら、見上が苦笑いを浮かべる。シュナイダーが若林にバレンタインチョコを贈ったと聞いて、男同士で愛の告白をされたのかと仰天してしまったのだった。しかしここは日本ではなくドイツ、当然バレンタインデーの意味合いは日本とは違う筈だ。恐らく友人間で親愛の印にチョコを贈る事があるのだろう、と見上は一人合点する。
 チョコを若林に贈ったシュナイダーの本意が、見上が勘違いだと思い込んでいる内容そのままであるとは、勿論知る由もない。
 見上にはぐらかされたので、若林は話を戻した。
 「ホワイトデーに贈るものって、お菓子でもいいんですよね? だったらさっきのお菓子、量が多すぎて俺たちだけじゃ食べきれないだろうから、あれをシュナイダーにあげようかな」
 同意を求めるように話しかけられたが、見上は眉を顰めた。子供同士での物の遣り取りとはいえ、明らかに開封済みの菓子折りをそのままプレゼントに使うのは良くない。なので、その点を指摘する。
 「あれをそのまま贈る気か? 封を開けて少し食っちまったじゃないか」
 「シュナイダーは、そういうの気にしないと思うんですけど・・・」
 「源三が貰ったのは、開封済みのチョコじゃないんだろう?」
 「はい。でも俺が貰ったチョコは、その場ですぐに開けてシュナイダーと二人で食べたんで、お返しもそのノリでいいかと思って。ダメですか?」
 「なんだ、そうだったのか」
 チョコレートを受け取った時の詳しい事情を聞いて、見上の表情は緩む。一緒に食べる事が前提なら話は別だ。
 「ダメじゃないさ。但しプレゼントを持って行って渡すんじゃなく、シュナイダーを家に呼びなさい。それであのお菓子を器に盛って出せばいい」
 「判りました、見上さん。そうします!」
 ニッコリ頷く若林に、見上は更にアドバイスをする。
 「練習帰りに家に寄って貰うんじゃ帰りが遅くなるから、シュナイダーを呼ぶのは練習がない日にした方がいいだろう」
 「そうですね。そうすると・・・14日か」
 試合や練習の日程は頭の中に刷り込まれているので、若林は即座にハンブルクJr.ユースチームの公休日を口にする。その日にちを聞いて見上はオヤと目を丸くした。
 「丁度ホワイトデーか。シュナイダーにホワイトデーの事を言ってやったら、面白がるかもな」
 見上の言葉に、若林は笑顔で頷いた。
 翌日、若林は練習の合間に早速シュナイダーに声を掛けた。バレンタインデーの礼をしたいから、14日に家に来てくれと言われシュナイダーは興奮を隠せない。
 若林の家には、練習の行き帰りにしょっちゅう寄っている。しかし正式な招待は今回が初めてだった。しかもその名目が「バレンタインデーのお礼をしたいから」なのだ。これが興奮せずにいられようか!
 (日本人にとってバレンタインデーは愛の告白デーだ。そのお礼という事は、もしかして・・・というか、もしかしなくても、若林は俺の想いに応えてくれる気なのでは!?)
 自分が若林にチョコを贈った名目は、「妹に頼まれてチョコを買ったが、妹に気に入って貰えず余ってしまったから」という、告白のコの字も感じさせない内容だった事は、すっかり記憶から抜け落ちている。期待に胸を膨らませながら、シュナイダーは招待を受けたのだった。
 
 「よぉ、よく来たな。あがれよ」
 約束した時間キッカリにドアチャイムを鳴らしたシュナイダーを、若林は笑顔で迎え入れた。
 「実家から菓子を送ってきたんだ。シュナイダーの口に合うといいけど」
 テーブルには既に例のお菓子が、器に移されて用意されていた。シュナイダーが席に着くと、若林は用意しておいた沸かしたてのお湯で紅茶を淹れた。湯気の立つティーカップをシュナイダーの前に置き、若林は自分用のマグカップを手にシュナイダーの向かいに座る。
 そのまま若林がカップに口をつけても、シュナイダーは姿勢よく座ったまま、テーブルの上の菓子にも紅茶にも手を出さなかった。遠慮しているのかと思い、若林は自分から菓子に手を伸ばして見せる。
 「シュナイダーも食えよ。甘いけど、不味くはないぞ」
 「あ、うん。ありがとう」
 ぎこちなく礼を言いながらも、シュナイダーは今の幸せを噛み締めていた。
 サッカーを通しての付き合いを除けば、若林とプライベートな時間を過ごす事など今まで殆どなかった。先月街でバッタリ出会って、一緒にチョコを買ったのが初めてと言っていい。
 それが今は一緒にティータイムを・・・しかもこっちが押しかけた訳ではなく、若林の方から招いてくれたのだ。若林が俺をもてなす為に時間を割いて、美味しそうな菓子を用意して、紅茶を淹れてくれたのだ。これは夢ではなかろうか、調子に乗って菓子を食ったりしたら途端に目が覚めて、自宅のベッドで枕を噛んでいる自分に気付く羽目になるんじゃなかろうか。
 なんて事を考えているものだから、シュナイダーは出された物になかなか手を出せなかった。そんなシュナイダーを見て、若林が不思議そうに尋ねる。
 「どうした? ひょっとして食餌制限やってんのか?」
 「違う! そうじゃなくて・・・何だか、今こうしているのが信じられないんだ」
 「は?」
 何を言われているのか判らなくて、若林が首を傾げる。するとシュナイダーは、若林の顔を直視しながら、ここぞとばかりに想いの丈をぶちまけた。
 「若林、俺たちが出会ってから結構経つけど、こんな風に二人っきりでお茶するなんて初めてだろ? そりゃ練習だの試合だの合宿だのミーティングだので若林とは毎日会ってて、特訓する時は二人っきりになってるけど、そういうんじゃなくて、サッカー抜きにこうやって若林と過ごせるのが何だか信じられないわけで・・・若林がサッカーの自主トレを中止して、俺の為にこんな事してくれるなんて、有難いって言うか申し訳ないって言うか、あまりにも嬉し過ぎる事だから俺には現実の事と思えなくて・・・」
 まくしたてるシュナイダーに、若林は苦笑いで応える。
 「大袈裟だなぁ。ただのホワイトデーだから、あんま気にすんなって」
 「ホワイトデー?」
 今度はシュナイダーが首を傾げる。さっそく若林はホワイトデーについての講釈を始めた。
 バレンタインデーの対として設定されている、チョコをくれた相手にお返しをする日であること。お返しの内容は、バレンタインデーで貰った物より高価なものを選ぶのが一般的であること。貰ったのが「義理チョコ」であってもお返しが必要なこと等々、見上から聞いた話を思い出すままに話していく。
 母国の話題ではあるが、若林にしてみれば馴染みのないイベントの事であり、そのせいか幾分茶化した口振りになっていた。
 説明を聞くうちに、弾んでいたシュナイダーの気持ちは徐々に沈んできた。
 若林は俺の「愛の告白」に気付いて、それに応えるつもりで招いてくれたのではない。その事がハッキリ判ってしまったのだ。なまじ期待してしまっただけに、現実の厳しさが身に沁みる。
 「・・・だから遠慮しないで食えよ。残ったら持って帰ってくれればいいし」
 無邪気に笑いながら再度お菓子を勧める若林に、シュナイダーは力ない笑みで応えた。
 「ああ。それじゃ一つ・・・」
 シュナイダーは一番手前に盛られた菓子に手を伸ばした。薄く延ばした生地を丸めて、細長いスティック状にした焼き菓子だ。一口齧ってみると、ほどほどの甘さで美味しかったが、失意のせいか正直言って食欲が湧かなかった。
 残りをテーブルの上に置きたかったが、こんな小さな菓子を残したりしたら若林に変に思われるだろう。これだけでも食べきらねばと、シュナイダーはそのクッキーを口に咥えたままにしていた。
 しかしシュナイダーの奇妙な素振りは、結局若林の注意を引いてしまった。棒状の焼き菓子を、カルツの楊枝よろしくいつまでも咥えているものだから、若林が奇妙に思うのも無理はない。
 「お前なにやってんだよ? タバコ吸ってる真似か?」
 「ん? ・・・いや、これ、すごく美味いから、すぐに食べちゃうのが惜しくて」
 菓子を咥えたままで適当に言い訳をすると、若林が目を丸くした。
 「ホント? そんなに美味いの、あるんだ?」
 若林は椅子から立ち上がるとテーブルに手をついて身を乗り出した。そしてシュナイダーの顔に自分の顔を近づけ、彼の咥えている菓子の先端をバリッと齧る。口内に広がるほの甘い味に、なるほど甘過ぎなくていい味だと納得した。
 その直後。急にシュナイダーが咥えた菓子をバリバリと食べ始めた。その勢いは菓子を食べ終わっても止まらない。
 チュッ。
 小さな音をたてて、シュナイダーの唇が若林の唇に触れた。
 「うわっ!」
 弾かれたように身を離す若林。その驚愕の表情の中に、かすかに嫌悪感が浮かんでいる気がして、シュナイダーは慌てて言い訳をする。
 「わ、若林が俺の菓子を食うからだぞ! 全部食われたら嫌だから、それで急いで菓子を食べたら、こうなったわけで・・・つまり不可抗力だ! 元はといえば、若林のせいだぞ」
 「俺のせい!? 俺は一口貰うだけのつもりで・・・」
 若林は何か言い返そうとしたが、その先の言葉が出てこなかった。冷静に考えてみれば、シュナイダーに一口くれと断るなり、器にある他の菓子を摘むなり出来たのに、それをしなかったのだから確かに自分が悪い。そう思ったからだった。
 「わかった。俺が悪かった。変な事して済まなかった」
 素直に謝る若林を見て、シュナイダーは内心で居心地の悪さを覚えた。
 若林が、自分の咥えている菓子を何の躊躇いもなく齧った。その事実にのぼせてしまい、思わずキスに持ち込んでしまった。若林には不可抗力だと言い訳したが、実際は故意にした事なのである。なので若林に謝られたままでは、どうにも後ろめたい。
 「気にするな、大した事じゃないし。ほら、菓子はまだ沢山あるんだし、座って食おうぜ」
 軽い口調でそういいながら若林の肩を軽く叩くと、若林の顔に笑顔が戻った。その後は特に騒ぐような事は起きず、二人は菓子を摘みながらのんびりしたティータイムを過ごした。
 夕刻になり、シュナイダーは腰を上げた。残った菓子を手土産にと全部持たされ、シュナイダーは若林に心からの礼を述べる。
 「今日は素晴らしいプレゼントをありがとう!」
 「いや、それほどのモンじゃないし。じゃあ、またな」
 シュナイダーの手にした菓子入りの袋に目を向けながら、若林は友人に手を振った。
 若林の家を出たシュナイダーは、無意識に何度も唇を舐めていた。想いが通じたわけではなかったけれど、若林にキスをする事ができた。今日のキスは若林にとってハプニングに過ぎないけれど、これをきっかけに以前よりは若林と親密になれた気がする。
 「そう悪い日じゃなかったな・・・」
 菓子の入った袋を握り締める、シュナイダーの足取りは軽かった。

 「・・・ホント、びっくりしましたよ! 気が付いたときには、シュナイダーの顔がこーんなに迫ってきてて、避けるどこじゃなかったんだ」
 この日の夜、若林は今日の出来事を見上に報告していた。単なる事故とはいえ、同性の友人とキスしてしまった顛末を語っているのだから、若林のテンションもいくらか高い。興奮気味の若林の話に耳を傾けながら、見上はこんな事を考えていた。
 (まるでポッキーゲームだな。男女で菓子を咥えていたのなら、迫って来た男には間違いなく下心があるんだが・・・男同士じゃ、とんだ笑い話だ)
 シュナイダーに下心がバッチリあった事は、若林も見上も想定の範囲外なのだった。
おわり