一日の練習が終わった後の、ハンブルグJr.ユースチームのロッカールーム。監督に雑用を言いつけられていた若林は、一人だけ遅れてロッカールームに入った。丁度着替え終わって、ぞろぞろと部屋を出て行くチームメイトたちと、入れ違う格好だ。
「よう、若林、お先に〜」
「また、明日な」
「おう、お疲れ」
挨拶を交わして自分のロッカーの前に立つ。室内にはもう自分しかいないかと思いきや、シュナイダーとカルツがいた。若林は、自分を待っていてくれたのかと思ったが、少し違うようだ。二人は何事かを声高に話していた。揉めているようにも見える。この二人が揉めるなんて珍しい、若林はそう思った。シュナイダーが不貞腐れたように言う。
「人事だと思って、気楽な事を言うな!」
「そうかあ? 誰だって、贅沢な悩みだと言うと思うけどな」
シュナイダーに悩み? 若林は興味をそそられて、口を挟んだ。
「どんな悩みだ? 俺でよかったら相談に乗るぜ」
「あっ! 若林、いたのか! いや、大したことじゃ・・・」
「シュナイダーは今度の休みにデートなんだってよ」
シュナイダーが誤魔化そうとするのを遮って、カルツが答えた。これを聞いた若林は眼を輝かせ、羨望の入り混じった声で言った。
「デート!? いいなぁ、シュナイダー。相手は誰なんだよ?」
「ほうらな。誰だって羨ましく思うんだよ。諦めて、デートを楽しんで来るんだな」
「・・・・・・カルツ〜(怒)」
シュナイダーはカルツのお喋りを苦々しく思った。若林には自分がデートに行かなければならない事を、伏せておきたかったのに!
昨夜、シュナイダーは母親に頼みごとをされた。それはあるお嬢さんと一日デートをして欲しい、という事だった。そのお嬢さんというのは、母の上司の一人娘で、上司が目の中に入れても痛くないというほどに可愛がっているらしい。娘の方も父親に甘え放題で、『若き皇帝』カール・ハインツ・シュナイダーが、自分の父親の部下の息子だと知り、当然のようにデートのセッティングを父親に頼んだらしかった。
『どうしても気乗りしないなら仕方ないけれど、会ってお茶を飲むくらい出来ないかしら?』
母に困り顔で頼まれては、頷くしかない。自分のせいで母親の職場での立場が悪くなってはまずい。そう考えてシュナイダーは、会った事もない相手とのデートを引き受けたのだった。その事をカルツに愚痴ったら、不思議そうに聞き返された。
『なんで、デートを嫌がるんだ? よっぽどのブスか?』
『そうでもない』
シュナイダーが母から預かった令嬢の写真を見せると、カルツはヒューッと口笛を吹いた。
『やったじゃねぇか! こんな美人とデートできるのかよ』
『じゃ、おまえが代わってくれ』
『そうもいかねえだろ。何が不満なんだ?』
『俺は若林とデートがしたい』
そういうことかとカルツは納得した。しかし、それにしてもこの令嬢はかなりの美人だ。こんな美人とデートできるくせに、愚痴をこぼすとは贅沢な奴・・・と思うと、ちょっとからかってやりたくなった。
『まぁ、源さんとはデートをする仲まで漕ぎつけてないんだから、今回はこの彼女を源さんだと思って、デートを楽しんでこいよ』
『人事だと思って、気楽な事を言うな!』
このあたりから、若林が話に加わり出したのである。
若林はカルツから、シュナイダーのデートの経緯を聞かされた。そして令嬢の写真を見て、息を飲んだ。
「すっげえ美人・・・! いいなぁ、シュナイダー、俺が代わりてえよ」
「若林、本気でそう思っているのか!?」
シュナイダーが殺気立った口調で問い返した。今の若林の一言で、件の令嬢に対する嫉妬心がめらめらと燃え上がっていた。そしてデートをする気力は、いよいよ萎えてしまった。
「あー、もう! 当日体調を崩したことにして、ドタキャンしてやろうかな」
「シュナイダー、デートしたくないのか? なんで?」
若林がビックリしたように聞き返す。シュナイダーとカルツは顔を見合わせた。
若林本人は、シュナイダーが自分に惚れていることに気づいていない。なので今、ここで真の理由を明かすのはまずい。そう思った二人は、若林が納得しそうな『デートを嫌がる理由』を、無言で考え始めた。
二人が黙ってしまったので、若林はちょっと不審に思った。俺は、そんなにまずい事を聞いてしまったのだろうか? そして若林の頭に、ある仮説がひらめいた。
「もしかして、シュナイダーはデートするのが初めてなのか? だからアレコレ考えると不安で、気乗りしない・・・とか?」
決してそんなことはない。早熟なシュナイダーは子供の頃から女の子にモテて、デートだのキスだのは慣れたものである。しかし若林と知り合ってからは、若林に心を奪われてしまい、女の子とデートすることはなくなってしまった。若林は自分がドイツに来る以前の、シュナイダーの姿を知らないので、シュナイダーが女の子に対して奥手であると誤解したようだ。しかしシュナイダーはこれ幸いと、若林の誤解に乗っかることにした。
「そう、そうなんだ。デートなんて初めてだから、緊張して・・・」
「やっぱり、そうか。でも、シュナイダー、運がいいぞ。初めてのデートが、こんな可愛い子でよ」
納得したらしい若林が、シュナイダーを励ますように言った。
「このデートが上手くいったら、この子がおまえの彼女になるんだぞ。しっかりやれよ!」
冗談じゃない! 彼女なんか出来たら、ますます若林と縁遠くなってしまうじゃないか!
シュナイダーの脳裏に、皆に祝福されながら教会から降り立つ新郎新婦の姿が浮かんだ。それは自分と件の令嬢で、参列者の中に心からの祝福の笑みを浮かべた若林がいる。シュナイダーは思わず首をぶんぶん振って、この忌わしい幻想を振り払った。
シュナイダーの苛々した様子を見て、若林は考えた。シュナイダーは初デートのプレッシャーで、かなりナーバスになっているようだ。何か力になってやれることはないだろうか?
「そうだ、何も準備してないから不安になるんだよ。これから3人で、デートコースの下見に行かないか」
若林のこの言葉に、シュナイダーはパッと顔を輝かせた。その様子を見て、カルツはげっと言わんばかりに顔をしかめた。
「若林、いい考えだ。でも、カルツは今日は忙しいそうだから、俺たち二人で行こう!」
「カルツ、忙しいのか?」
若林が、椅子に腰掛けてのんびりだべっている格好のカルツを見て、不審そうに言う。シュナイダーに眼で「行け!」と急かされて、カルツは腰を上げた。
「あー、うん。実は忙しかったんだ。じゃあ、ワシは先に帰るから」
「じゃあな、カルツ(早く行け!)」
「カルツ、またなー」
こうしてシュナイダーと若林は、二人きりで出掛けることになったのだった。
若林と二人っきりのデート(コースの下見)をすることになって、シュナイダーは有頂天だった。現金なもので、先程殺意に近い嫉妬心を覚えた令嬢に対して、今は感謝の気持ちで一杯だった。シュナイダーはウキウキと、若林に尋ねた。
「若林、どこに行く?」
「俺もデートなんてした事ないからなぁ。どこに行けばいいのか・・・」
「若林の行きたいところなら、どこでもいいよ」
「俺とデートするわけじゃねえんだぞ。ちゃんと考えろよ」
若林に言い返されて、シュナイダーは慌てて言葉を取り繕った。
「あ、いや、俺もわかんないから、取敢えず若林の勧める所に行こうかと・・・」
「そうか・・・うーん・・・公園を散歩、じゃ地味かなぁ?」
「公園だな。よし、行ってみよう」
シュナイダーは若林を連れて、早速公園にやって来た。ハイキング気分の親子連れや、軽いスポーツを楽しむ人々で、いつも健康的に賑わっている広々とした自然公園である。しかし、それは昼間の話。夜の公園は、もちろん格好のデートスポットだった。
一日の練習を終え、更にお喋りで時間を潰してから出て来たので、辺りはすっかり暗くなっている。公園にいるのは、どちらを向いても仲睦まじげなカップルばかりだった。シュナイダーは無知を装って、若林に言った。
「公園ってのは、結構デートに使われるんだな。若林の意見を聞いてよかった」
「そうみたいだな」
若林はもの珍しげに、周囲のカップルを見回していた。どのカップルも、二人っきりの世界に浸りきっているので、若林の興味津々な視線も気にならないようだ。ベンチに掛けたり、芝生に座ったり、遊具の上に陣取ったりしているが、どのカップルも互いの顔を見つめあい、肩だの腰だのに手を廻してピッタリとくっついている。シュナイダーは彼らが羨ましかった。
俺も若林ともっと親密になりたい。肩を抱き、腰に手を廻し、顔を見合わせ、他愛のないおしゃべりをしながら・・・時折キスを・・・それから、それから・・・。
「若林!」
「なんだ?」
周囲のカップルに当てられて堪えられなくなったシュナイダーは、いっそここで告白してしまおうかと若林を呼び止めた。しかし、興奮している自分とは対照的に、普段どおりの落ち着いた若林の顔を見て、思い止まった。
だめだ、若林は全然その気じゃない。今、告白しても振られる!
「なんだよ、言いたい事があるんじゃないのか?」
若林にせっつかれて、シュナイダーは焦った。そこに運良く、身体をぴったり寄り添わせたカップルが通りがかった。二人はカップルが通り過ぎるまで、自然に口をつぐんだ。シュナイダーはこの間に、何とか言い訳を思いつくことが出来た。カップルが見えなくなってから、若林がもう一度聞いた。
「で、なんなんだ?」
「あ〜、その・・・えっと、本番のときの練習のために、今のカップルみたいに腕組んだり、肩を抱いたりしてみたいんだけど・・・」
「俺とか? 嫌だよ!」
若林なら、そう言うと思っていた。それより、さっきの不自然な呼び止めを、なんとか誤魔化せたようでシュナイダーはホッとした。
しかし若林は別のことを考えていた。
シュナイダーはよっぽどデートが上手くいくかどうかが、心配なんだな。男の俺と腕を組んだり肩を抱いたりなんて、普通じゃ考えない事を思いつくってのは、それだけ切羽詰っていて何でもいいからデートの練習をして、度胸付けをしたいって事だよな・・・よし!
「おい、シュナイダー。腕組んでいいぞ」
「えっ!?」
棚から牡丹餅が落ちてきたような話に、シュナイダーは驚いた。若林が照れ臭そうに付け加える。
「でも、誰かに見られて変に誤解されても嫌だから、どっか人目につかない所に行こうぜ。そこでなら、腕を組もうが、肩を抱こうが、いくらでも練習台になってやるから」
「まかせろ!!」
シュナイダーは若林の腕を引っ張って、街灯の本数が少なく、ひときわ暗くなっている一角へと急いだ。
翌日のハンブルグJr.ユースチームの練習中。若林の調子は滅茶苦茶だった。気持ちを何かに奪われているらしく、注意力が散漫で、動きにもキレがない。凡ミスを繰り返す若林に対して、監督やコーチの怒声が響き渡った。これは、練習といえども常にベストの状態で臨む若林には、あるまじき事態だった。気になったカルツは、休憩時間に若林に声を掛けた。
「どうした、源さん。調子悪いな」
「ああ、悪い。ミスばっかりで・・・」
汗を拭きながら、不自然に眼をそらす若林の態度に、カルツはよもや、と思った。昨日源さんは、シュナイダーと一緒だったんだよな・・・。
「昨日、シュナイダーと何かあったのか?」
「何もない!!」
顔を赤くして即座に否定する様子は、何かあったと告げているようなものだった。カルツは若林から離れ、シュナイダーに聞き込みを開始した。
「昨日か? うん、ちょっと・・・な」
若林とは逆に、今日のシュナイダーは絶好調だった。気分もノッているらしく、鼻歌でも歌いだしそうな機嫌のよさだ。
「だって、若林の方から、人目につかない所でならナニをしてもいい、なんて言うんだぜ。応えてやらなきゃ、男じゃないだろ?」
「源さんが、本当にそんな事言ったのか?」
現実にはちょっとニュアンスが違っていたが、シュナイダーにはそう聞こえていた。シュナイダーは昨夜の事を思い出していた。
二人が足を運んだ、公園の人目につかない一角では、先客のカップルが二人っきりの時間を大いに楽しんでいる最中だった。シュナイダーは「あの人たちの真似をしてみよう」と切り出し、若林も練習台になると言った手前、この申し出に応じてくれたのだった。お陰でシュナイダーは若林の身体に腕を廻し、そのまま抱きしめ、更にはキスまでしてしまった。
唇を奪われて流石に我に返ったらしく、若林はその後逃げるようにして家に帰ってしまったが、シュナイダーは大満足だった。
今度の休みのデートは、適当にお茶を濁して令嬢をあしらってしまおう。しかし若林には、俺のほうが振られたことにして、優しく慰めてもらう。そして、今度こそ公園の続きを・・・。
ニヤニヤとほくそえみながら、悪企みを巡らすシュナイダーの顔を、カルツは薄気味悪そうに見つめていた。
おわり
あとがき
初のキリ番リクエスト作品です。果たして「いじらしくも応えてしまう若林くん」になっているでしょうか〜? いじらしくも、と言うより同情してやむを得ず・・・という感じかも・・・すみません、今のところはコレが私の限界です!
いのぽんさま、こんな仕上がりになりましたが、どうかお受け取り下さいませ。リクエストありがとうございました。