大事な試合

 若林が日本へ帰ってしまった。
 ブンデスリーガ開幕が迫った、この重要な時期に!
 しかも開幕戦のカードは、ハンブルガーSV対Bミュンヘンだというのに!!

 若林帰国の事実を、シュナイダーはカルツからの電話で知った。若林が開幕戦を放り出してドイツからいなくなってしまったという予想外の出来事に、シュナイダーは動揺を隠せない。
 「おいっ、それは本当なのか!? 俺は何も聞いていないぞ!!」
受話器に噛み付かんばかりの勢いで、シュナイダーはカルツを問い詰める。そんなシュナイダーの反応を面白がるかのように、笑いをこらえた声が返ってきた。
 『かなり急いでたみたいだからな。身近な人間にしか連絡しなかったんだろう』
 「俺は身近な人間じゃないって言うのか?」
ミュンヘンとハンブルクで確かに距離的には離れているが、そんな事は問題にならないくらい若林とは親しい仲だと思ってたのに・・・。
 若林が自分ではなくカルツに重要な連絡をしていたと知り、シュナイダーは深く落ち込む。不貞腐れるシュナイダーを、カルツは明るく笑い飛ばした。
 『おいおい、そう悪く取るなよ。チームメートのワシらと違って、お前さんは源さんと毎日は会ってないんだし。それに急用とやらが片付いたら、開幕戦には間に合うよう、すぐコッチに戻ってくるってよ。ちょっとの間の事だから、日頃会ってないシュナには何も言わなかったんだろ』
 そう言われてもシュナイダーは素直に納得できない。カルツは知らないが、シュナイダーはほぼ毎日若林に電話を掛け、相手が出ないときはメールを送っているのだ。
 (顔は合わせてないけど、お互い連絡を取り合ってるんだから、やっぱり俺にも話して欲しかったなぁ・・・)
 電話もメールも若林から来たことはなく、電話ではいつも会話を簡潔に切り上げられ、メールの返信に至っては数回に一度あるかないかなのだが、シュナイダーの脳内ではすっかり「若林と親密に連絡を取り合っている」事になっている。なのでシュナイダーは、若林がそんな大事な事を自分に言ってくれなかった事がどうしても腑に落ちないのだった。
 「カルツに話すくらいなら、俺に連絡をくれたらいいのに。どうして・・・」
 『そんなに気になるなら、折を見て源さんのケータイに電話して直接話してみろよ。国際電話の掛け方くらい、判んだろ』
 「ああ、俺も同じ事を考えていた。それじゃ、こっち切るぞ」
カルツとの会話をさっさと切り上げると、シュナイダーは早速若林の携帯に電話を掛けた。もどかしい思いで相手が出るのを待っていると、やがて電話口からだるそうな声が聞こえてきた。
 『・・・・・・もしもし?』
 「若林? どうした、どこか悪いのか」
急激な環境の変化で体調を崩したのかとシュナイダーは心配になる。
 「具合が悪そうだ。疲れてるのか? もしかして日本の空気や食い物が、身体に合わなくなったんじゃないのか?」
 『・・・お前、シュナイダーか?』
 「ああ、俺だ」
 『俺が日本にいるって判って掛けてきたんなら、今度からは時差の事も覚えておいてくれ。今こっちは夜中の3時なんだよ』
 安眠妨害をしてしまったのだと気付き、シュナイダーは慌てて非礼を詫びた。すると眠気でぶっきらぼうだった若林の口調が、少し柔らかくなった。
 『もういいよ。で、今日は何の用だ?』
 「用というか、急に日本に帰ったと聞いたから、気になって・・・」
 『あー、そうか』
ベッドの上で姿勢を変えながら、若林は頭を掻いた。そういえばシュナイダーからは、よく電話やメールを貰っていたっけ。突然帰国を決めたため、準備にバタバタしてすっかり忘れていたが、シュナイダーには今回の帰国の事を話しておくべきだった・・・と、若林は反省する。
 『ごめん、何にも言ってなくて悪かった。でも今は眠いから、明日こっちから時間を見計らって電話するよ。詳しい話はそん時するから』
 事前に連絡を貰えなかった事で落ち込んでいたシュナイダーの顔が、若林の返事を聞いた途端にぱぁっと明るくなった。
 「判った。電話、待ってるよ。夜中に済まなかったな」
 『気にすんなって。じゃあ、また明日。おやすみ』
その言葉の直後に通話が切れ、シュナイダーはおやすみを言い返し損ねてしまった。
 (よっぽど眠いんだな。悪い事をした・・・)
心の中で若林に詫びを入れ、シュナイダーは携帯を閉じた。明日若林から電話が掛かってきたら、もう一度ちゃんと謝ろう。遠く離れた異国にいる若林と自分を繋いでくれる携帯を、大事そうにポケットに仕舞うとシュナイダーは明日掛かってくる筈の電話に想いを馳せるのだった。

 翌朝、シュナイダーの気分はそわそわとして落ち着かなかった。若林は時間を見計らってこっちから電話すると言ってくれた。ドイツと日本の時差を考えると、向うはもう午後になっているのだから、この時間に電話が掛かってきてもおかしくない。そう思うと携帯が気になって仕方がなく、鳴ってもいない携帯を取り出しては、またポケットにしまう、という動作を何回も繰り返していた。
 しかしシュナイダーの期待も空しく、携帯電話に若林からのコールは無かった。シュナイダーは溜息をつき、携帯を持って練習場へと向かった。
 しかし練習中に電話が掛かってきたらと思うと、なかなか練習に集中できない。動きに精彩を欠いたまま、それでも何とか今日の練習メニューを終らせる。ロッカールームに戻ったシュナイダーは、バッグの中から携帯を取り出した。慌しい手つきで着信履歴を見るが、電話もメールも若林からは来ていない。一瞬ガッカリしたが、すぐにシュナイダーは考えを改めた。
 (こっちじゃ練習時間だと判ってる時間帯に、若林がわざわざ電話するわけないよな。電話があるのはこれからだ!)
 シュナイダーは携帯を仕舞うと、真っ直ぐ帰宅した。
 時計の針は既に午後六時近い。日本時間ではもう真夜中だ。向うの時間を考えても、そろそろ掛かってきてもいい頃だ。そう思って待ち続けたが、それでも電話は鳴らなかった。
 (一体どうしたんだろう? 若林が約束を破るなんて、何かがあったに違いない!) 
 事故か急病か、それ以外の不測の事態か。矢も楯も堪らず、シュナイダーは若林の携帯に電話した。すると昨夜とは違い、最初の呼び出し音が鳴った途端にすぐに相手が出た。
 『もしもし?』
電話を待ちかねていたような、弾んだ声だった。若林の声に間違いない。事故でも急病でもなさそうだが、昨日とは打って変わった嬉しそうな声を聞き、シュナイダーは逆に焦る。
 (もしかすると昨夜の若林は寝ぼけていて、俺から電話が掛かってくるのだと勘違いしていたのかも? そうだとしたらこんな時間まで若林を待たせてしまって悪かったな。もっと早くこちらから掛けてみればよかった・・・)
 『翼?』
若林に対して申し訳なく思っていた気持ちは、この一言で微塵に打ち砕かれた。苦りきった表情で、嫌味ったらしくシュナイダーが名乗る。
 「いいや。『カール・ハインツ・シュナイダー』だ」
 『シュナ? どうしたんだ、何か用か?』
 「お邪魔だったか? 掛かってくる筈の電話がちっともこないんで、こっちから掛けてみたんだが」
 若林には何かと甘いシュナイダーだが、今度ばかりは言葉にトゲが出てしまう。流石にこっちが不機嫌なのが伝わったと見えて、若林が電話の向うで小さく息をつくのが判った。
 『ごめん、シュナ。そういや俺が電話するって、昨日言ったんだよな。済まなかった』
 「えっ、いや・・・別に、俺は怒ってる訳じゃないから・・・」
強気だったシュナイダーが急に語尾を濁す。こう素直に謝られると、惚れた弱みもあってつい自分の方が一歩引いてしまう。
 「若林も色々忙しかったんだろう? 何たって急な帰国だったし。・・・そもそも、どうして急に帰国したんだ?」
 一番聞きたかった事を尋ねると、若林の声が急に明るくなった。
 『それ、それ! 今、日本は大騒ぎなんだぜ!』
若林は嬉しそうに、明日静岡スタジアムで行われるジュビロとバルサのフレンドリーマッチの事を説明する。
 当初、この試合の事を聞いたときには、若林は帰国してまで観戦しようとは思っていなかった。いや、見たいとは思っていたのだが、この親善試合の二日後にドイツでブンデスリーガが開幕する事を思うと、生観戦は諦めざるを得なかった。開幕戦に合わせて万全の体調を整えるには、直前の帰国は無謀だ。そう思っていたのだが、フレンドリーマッチの日が近付くにつれて、次第に若林は落ち着かなくなってきた。
 『だって、翼と岬の対決だぜ!? これを自分の目で見届けなかったら、一生後悔するだろ?』
 相槌を求められ、シュナイダーは言葉に詰まる。ツバサとミサキが素晴らしい選手だというのは知っているが、だからといってその試合を見るためだけに、若林が突然の帰国を決めたのだと思うと複雑な気持ちだ。サッカーバカの若林らしいと微笑ましく思う半面、シーズン直前にドイツから帰国させてしまう程に若林の心をガッチリ捕えている、ツバサとミサキに対する嫉妬も湧いてくる。
 『だから無茶は承知で監督に直談判して、何とか休みを貰って、それから飛行機のチケットを取って・・・で、日本に着いてからは早速地元の連中と会ってきたよ。もちろん翼にもな!』
 翼との再会シーンを事細かに語り始める若林の口振りは、活き活きとして実に楽しそうだった。翼と二人っきりで会ったのではなく、周りに他の仲間も大勢いたらしいが、若林の話は明日の試合に向けて闘志を燃やす翼に大きく比重が傾いていた。
 『・・・初のGC対決だからなぁ。翼も明日の試合は楽しみなだけじゃなく、緊張や不安があるんじゃねぇかと思ってよ。翼に、俺でよければ話を聞くから何かあったらいつでも電話くれ、って言ってあるんだ。だからさっきは、てっきり翼からの電話かと勘違いしちまった』
 若林の話振りからは翼を心底気遣っているのが、ひしひしと伝わってくる。シュナイダーはこれ以上若林の口から翼の話を聞かされるのが苦痛になってきた。話し続ける若林を遮るように、シュナイダーは大きな声で言った。
 「事情は判ったよ。面白い試合になりそうだな。じゃ、俺これから夕飯だから・・・」
 『ああ、そうか。長電話してごめん。じゃ、またな!』
翼の話題で朝まで話し続けそうな勢いだったのに、あっさりと電話が切られてしまった。自分から切って欲しいと水を向けたのだが、「翼の話を聞いてくれないなら、もういい」と拒絶されたような気がしてシュナイダーは面白くない。
 「若林の奴、俺とツバサの・・・・・・」
俺とツバサのどっちが大事なんだ!と言い掛けたシュナイダーの脳裏に、にこやかに「翼!」と答える若林の顔が浮かんだ。シュナイダーは慌てて首をブンブン振って、翼大好きモードの若林の幻影を振り払う。
 「・・・・・・若林の奴、俺たちとの開幕戦とツバサたちの親善試合と、どっちが重要だと思ってるんだ!!」
 誰に聞かれているわけでもないのに、ちょっとは分がありそうな比較対象に置き換えて文句を言うと、シュナイダーは手の中の携帯電話をソファの上に放り捨てた。
 (開幕戦が終るまでは、若林に連絡を取るのは控えよう。どうせ日本にいる間と、ドイツに戻った直後は、若林の頭の中はツバサの事で一杯だろうからな)
 開幕戦に挑んで、俺のいるBミュンヘンと一戦交えた後ならば、若林の目も日本からドイツへと向き直るだろう。それまでは若林に接触するのは止そう。
 ソファに腰を下ろしたシュナイダーは携帯にチラリと目を落とし、つまらなそうに溜息をついた。

 シュナイダーが連絡を取らずにいる間、若林の方から連絡が来るという事もなく、時は流れて今期のブンデスリーガが開幕した。まさかとは思うが、もしハンブルグのスタメンに若林の名前が無かったら・・・と内心不安を感じていたシュナイダーは、試合前の練習時間にピッチ上に姿を現した若林を見て胸を撫で下ろす。開幕戦に間に合うよう帰ってくる、という言葉に嘘はなかったようだ。
 声を掛けるのは試合が終ってから、と決めていたが、若林の姿を見るとどうしても我慢がならず、シュナイダーはずかずかと若林に近付いた。若林のキャッチング練習が一区切りつくのを待ってから、大声で呼びかける。
 「若林!」
 「おっ、シュナ」
帽子を取り、顔の汗を袖で拭いながら若林がシュナイダーの方へと近寄ってきた。顔色もよく、特に疲れが溜まっているようには見えない。試合直前の帰国による疲労やストレスはなさそうだ。シュナイダーは安堵する。
 「元気そうだな。時差ボケでふらふらかと思ったぞ」
わざと皮肉めいた言い方をすると、若林は不敵な笑みを返す。
 「体調は万全だよ。でなきゃ、Bミュンヘン相手に完封勝利は難しいからな」
 「完封勝利する気でいるのか? 生憎だったな。完封も勝利もないぜ。俺たちが相手なんだから」
 「言ってろ! 絶対負けねぇからな!」
シュナイダーを睨む若林の目には、闘志がみなぎっている。もうツバサやミサキの事は頭に無さそうだ。シュナイダーの口元に知らず知らずのうちに笑みが浮かんだ。
 よかった。サッカー以外眼中にない、いつもの若林だ・・・・・・
 「あ、そうだ。お前に土産があるんだ。例の、ジュビロとバルサの試合ビデオ!」
途端にシュナイダーの笑みが凍りついた。シュナイダーとてツバサたちの戦いぶりに興味がないわけではないが、やっぱり若林の頭の中にはツバサが居座っているのだと思うと、嫉妬が先にたってしまってどうにも腹立たしい。
 「いい試合だったぜ〜! 日本に帰った甲斐があったよ。こんな事なら前々からちゃんと準備して、シュナも一緒に日本に連れてけばよかった」
 「え!!」
急に自分の名前が出て、シュナイダーが驚く。目を丸くするシュナイダーに向かって、若林が笑顔で言った。
 「好プレー連続のすごい試合だったから、シュナと一緒に見ればよかった、って思ったんだ。試合が始まってからそんな事思っても手遅れだけどな」
 ツバサとミサキの試合を観戦している最中に、自分の事を思い出してくれていたのか・・・! 凍りついていたシュナイダーの口元が再び緩んできた。
 (遠く離れた日本にいて、日本の仲間に囲まれてツバサたちの試合を見ている時に、俺の事を考えてくれてたなんて。やっぱり若林は俺のことを・・・・・・)
 シュナイダーのボルテージが急上昇中とは気付かず、若林は言葉を続ける。
 「じゃ、今日の試合が終ったらビデオ渡しに行くから、絶対見ろよ。で、見たらシュナの意見を是非聞かせて欲しい」
 「そ、それなら一緒に見ないか!?」
すかさずシュナイダーが提案する。
 「そんなに見応えのある試合なら、内容を知っている若林の意見を聞きながら、ビデオを見たい。どうだ?」
 「そうか。じゃ、試合後、俺ん家に来いよ」
話がまとまったところで、ハンブルグのチームメートが若林を呼んだ。若林は声の方に向かって手を振り、すぐ行くと合図する。そろそろ引き上げ時だと察しをつけ、シュナイダーは若林に声を掛けた。
 「じゃ、また後でな。試合じゃ手加減はしないぞ」
 「おう! 望むところだ!」
右手の拳を左の掌にバシッと打ちつけて、若林が気合を見せた。開幕戦完封勝利にかける意気込みが溢れている。
 (今日の試合は楽しめそうだ。そして試合が終った後も・・・・・・!)
浮き立つ気持ちを抑えつつ、シュナイダーはひとまずピッチを後にするのだった。
おわり


 あとがき
 yummyさまからリンク記念に素敵な源三さんイラストを頂戴したので、是非ともお礼をせねば!とリク受付を申し出ましたところ、「短編集の『GOLDENDREAM』で、翼VS岬の試合を見るために源三さんが帰国していましたがそのときシュナイダーは?」という内容でリクエストを頂戴しました。
 翼←源三←シュナの関係が大好きなので、ウハウハ気分で楽しく書かせて頂きました。私の書く二人は相変らずこんなんですが、ちょっとでも楽しんでいただけたなら嬉しく思います。
 yummyさま、シュナ源者の萌え心をかき立てる素晴らしいリクエストを、どうもありがとうございました!