暑中お見舞い申し上げます
皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか
俺は元気です…と言いたいけど、
正直言って暑さが酷くてバテ気味です
見上さんはドイツの夏は湿度が低いから暑くないって言ってたけど
全然そんな事なくて毎日すごく暑いです
見上さんに騙されました……
「なんだ、その恨みがましい文面は」
滴る汗を拭いながら家族宛ての暑中見舞いを書いていた若林は、背後からの声にギョッとして振り向いた。
「あ!見上さん、お帰りなさい! これは、その、つい本音が出ただけで悪気は…」
「何の詫びにもなっていない言い訳だな」
苦笑しながら見上は若林の頭を小突く真似をした。本当に叩かれたわけでもないのに、若林はすっかり恐縮している。
「まぁ、確かに今年は暑いからな。異常気象だとニュースで報じられるくらいだ」
「そうですよね。すみません、見上さんのせいじゃないのに。これ、書き直します」
「構わん。家族宛ての手紙を変に取り繕う必要はない。今の俺は若林家に雇われてるわけじゃないから、クビになる心配もないしな」
そう言って笑い飛ばす見上につられるように、若林の顔にも笑みが浮かんだ。
見上の言う通り、今夏のドイツは過去にないほどの猛暑続きなのだった。例年はこんなに暑くないという証拠に、二人が住んでいる家にはエアコンが設置されていない。たまたまそういう家を借りてしまったわけではなく、エアコンを設置している物件の方が稀なのだ。日常にエアコンが必要とされていなかった証拠といえる。
おかげで家にいるときの若林は、ランニング一枚に風通しのいいダボっとした半ズボン、首にはタオルを巻いた土木作業員風スタイルで過ごしている。そのタオルで目に流れ込みそうな汗を拭いている若林を見ながら、見上が言った。
「毎日暑くて大変だが、俺たちはマシな方かもしれんぞ」
「そうなんですか?」
「ああ。俺たちは日本で夏の暑さにある程度慣れてるが、ドイツ人にとって今年の夏は地獄並みに堪えているようだ」
「なるほど…」
見上の指摘で、若林は日ごろの練習風景を思い返す。ハンブルクjr.ユースチームのチームメートは皆かなりの実力者なのだが、夏場に入ってからはやたらに休憩を取ったり水分補給をしている姿が目立ち、ドイツ人は日本人よりスタミナがないのか…と思っていたのだが、あれは慣れない暑さが原因なのかもしれない。
「明日からはチームの練習時間も短縮されることに決まった。酷暑により選手たちの健康を損なわない為、だそうだ。天気予報の内容によっては、その日の練習を取り止めることも…」
何気なく話す見上に対し、若林が不満をぶつける。
「練習時間短縮!?そんな、せっかくドイツまで来たのに!」
「まぁ、自主トレで補うしかないな。時間があれば俺も見てやるから」
見上の言葉に頷きながら、若林は誰か自主トレに付き合ってくれるチームメートはいないかと思案するのだった。
翌日、早々と練習が終わり引き揚げていく選手たちに、若林は声を掛けた。しかし反応は芳しくない。いまだに若林を良く思っていない選手は勿論、好意的なチームメートもいい顔はしてくれなかった。
「せっかく健康管理の為に練習が早く終わったのに、自主トレしたら意味ないだろ?」
正論なので返す言葉がない。そんな中、日頃から居残り特訓に付き合ってくれるシュナイダーだけは首を縦に振ってくれた。
「チーム練習が短くなる分、いつもやっている特訓の時間が長くなるだけだ。何の負担にもならん」
「ありがとう、シュナイダー!」
笑顔で若林に礼を言われ、内心小躍りしたいくらいに舞い上がるシュナイダー。本当に小躍りしたら引かれるのは目に見えているので、表向きはあくまでクールな態度を保っていた。しかしその顔には猛暑に耐え切れず幾筋も汗が流れている。
「ますますシュナイダーに借りが出来たな。そのうち礼をするから」
「気にするな。俺も、体調が悪いわけでもないのに、練習時間を減らされるのは理不尽だと感じていた」
生粋のドイツ人ゆえ、御多分に漏れず連日の暑さに参っており、家に帰れば炎暑に対する恨み節で日々ストレスを溜めてることなどおくびにも出さない。
「さすが、シュナイダーは違うな。じゃあ、さっそく始めようぜ!」
暑さが堪えていないかのように駆け出す若林を見ながら、シュナイダーもややのろいテンポでピッチに戻って行った。
シュナイダーに対して言った「そのうち礼をする」という言葉は社交辞令ではなく、若林は本気で何かで礼をしたいと思っていた。しかし、どうしたら相手に喜んでもらえるような礼が出来るか思い浮かばず、そのまま数日が経過していた。
ある日帰宅すると、若林宛てに実家から小包が届いていた。持ち上げてみると、見かけの大きさに反してずっしりと重い。早速それをダイニングテーブルに乗せて梱包を解き、中を開けてみた。
中から出てきたのは、レトロな雰囲気漂う金属製の据え置き型器具。片側にハンドルのような物がついていて、回せるようになっているらしい。しかし試しに回してみると、素材のせいかハンドルはかなり重かった。
「なんだ、これ?」
器具の正体が判らず首をひねる。よく見ると手紙が同封されていたので、若林はそれを手に取った。
「おぉ〜?珍しいモンが届いたな」
いつの間にか近くに来ていた見上が驚嘆の声を上げる。若林が見上に尋ねた。
「見上さん、これが何だかご存知なんですか?」
「なんだ、源三は知らないのか。これはかき氷器だぞ。ここに氷を入れて、これで上から押さえつけて、と…この下に受け皿を置いてから、このハンドルを回して氷を削るんだ」
「これがかき氷器!?」
実家にあったのは、ボタン一つで氷がすぐに削れる電動かき氷器だった。すっきりした箱型デザインで、本体はプラスチック製だった筈。幼いころは、住み込みで働いていた料理人たちに我儘を言ってボタンを押す役をやらせてもらったりしてたっけ…
若林は知る由もないが、電動かき氷器にも各種あって氷を入れた後削れ終わるまで自分でボタンを押さえ続けるタイプの物もある。若林家で使用していたのは業務用の電動かき氷器で、削れる氷の大きさなどを設定しておけば、あとはONボタンを押すだけで適量のかき氷が自動精製される優れモノだった。
「なんか、俺の知ってるかき氷器と全然違うんですが…電源コードもないし」
「昔は手動しかなかったんだ。しかし、どうして急にこんな物を送ってきたんだろうな」
見上の呟きに、若林は手にしたままだった手紙を広げて読んでみた。
手紙の内容を要約すると、先の暑中見舞いを読んでドイツの猛暑を心配した家族が、炎天下の練習でも休憩中かき氷が食べられればいいんじゃないか、という事を思いつき早速送ってくれたらしい。手動のかき氷器も種類が多く、もっと軽い素材の物がいくらでもあるのだが、その分壊れやすくては困ると頑丈が取り柄のレトロタイプの物を選んだ、と細かい気配りも説明されていた。
「なるほど、クラブハウスの食堂で氷を貰って、こいつを使えば外でかき氷が食べられるわけか!」
「源三、本当に持っていくのか?結構重いぞ」
「持っていきますよ!その代り、明日カート貸してください」
これでかき氷を作って振る舞えば、連日の猛暑の中、自主トレに付き合ってくれるシュナイダーにいいお礼が出来る。若林はそう考えたのだった。
何やらかさばる荷物をカートに括り付け練習場に現れた若林を見て、カルツが不思議そうに尋ねた。
「今日はえらい大荷物だな。ゲンさん、そりゃ特訓の秘密兵器か何かか?」
「そう言えなくもないな。これで外が暑くても練習が楽になるんだから」
隠す事でもないので、若林はかき氷器の事をカルツに説明する。すると他のチームメートたちも、面白がって首を突っ込んできた。
「氷を砕いて食べるのか?確かにそれなら涼しくなりそう」
「俺も食べてみたいから、今日のお前の自主トレに付き合うぜ」
練習相手が増えるのは若林にとって嬉しい事なので、もちろん快諾する。そのため、この日の居残り練習にはシュナイダーだけでなく、カルツほか若林と親しいチームメートが数人参加していた。若林と二人っきりでなくなってしまい、シュナイダーだけは不愉快に思っていたのだが、他のメンバーは日本の「カキゴオリ」とやらに興味津々で期待を膨らませている。
みんなからせっつかれたこともあり、若林は早めに休憩を取ることにした。食堂に行って事情を話して氷を貰い、ついでに食器類も借り受ける。
「シロップがないけど、まぁいいか」
「早くやってみせてくれよ」
周囲に促された若林は件のかき氷器を取り出すと、レジャーシートを引いた地面の上に置いた。グラグラせず安定していることを確かめてから、前日に練習した通りに氷を入れて押さえ、器をセットする。かき氷器の前に座り込み、ハンドルに手を掛けながら誰にともなく言った。
「これ、古い器具だから、結構力を入れないと削れないんだ」
その言葉通り、ハンドルを回し始めた若林の腕には傍で見ても判るくらい力が入っていた。しかしハンドルを回す速度が足りないのか、削れた氷は器にあまり溜まっていない。
「なんだよ〜、カキゴオリってそれっぽっち?」
「アイスピックで砕いた方が簡単じゃね?」
「っせーな!もっとちゃんと削れるから黙って見てろ!」
ヤジに怒鳴りながら、なおもハンドルを回す若林。慣れてきたのかスピードが徐々に上がってきて、それに伴い器のかき氷も少しずつ山盛りになっていく。
「お〜!白くてふわふわしてる!?」
「氷削るとこうなるんだ!美味そうじゃん」
周りからのヤジが声援のように変わり、若林も気分が乗ってきたようだ。うおおっ!と大声で気合を入れながら、一気にハンドルを回しきる。手を止めた時には、器いっぱいにかき氷が出来上がっていた。見るからに冷たくて美味しそうなかき氷の完成に周囲から歓声があがる。
「本当はこれにシロップ掛けるんだけど、無いからこのまま食ってくれ」
俯きながら、かき氷器から出来立ての氷を取り出す若林。その瞬間、皆は目撃してしまった。炎天下で力いっぱいハンドルを回していた若林は、当然ながら顔中にびっしょり汗をかいており…俯いて器を取り出す際に、滴った汗がポタポタとかき氷の上に落ちていくのを…
最初は誰が食べる?と若林に聞かれ、皆は言葉を濁す。若林が物凄い労力を費やして作ったかき氷に対して「お前の汗が入って汚いから食えねーよ!」とは、さすがに言い難い。その窮地を救ったのは誰であろう、シュナイダーその人だった。スッと若林に歩み寄り、その手からかき氷の入った器を受け取る。
「俺が貰う」
「シュナイダー!」
そもそもシュナイダーに対する礼として企画したことだったのを思い出し、若林は笑顔でシュナイダーにスプーンを渡す。かき氷をひと匙掬い取って口に入れたシュナイダー、あまりの冷たさに一瞬顔をしかめるが、その顔がすぐに明るくなる。
「冷たい…確かにこれなら汗が引くな。身体の中から涼しくなる感じだ」
「だろ?暑い時はコレが一番効くんだ」
シュナイダーに喜んでもらえたと感じ、若林も嬉しくなる。美味そうにサクサクとかき氷を食べるシュナイダーを見て、周りから催促の声があがった。
「ワカバヤシ、俺たちの分も頼むよ」
「出来上がったら器はワシが取り出すから、ゲンさんは削るのに専念してくれ」
「判った。待ってろ、すぐに作るから!」
調子が出てきたのか、その後は最初ほど苦労せず次々とかき氷を削る若林。全員にかき氷が行き渡り、皆その冷たさに驚きつつも抜群の冷却効果に感動しているようだった。
「ホントに冷える!冷え過ぎで頭痛くなってきたけど、癖になりそう」
「これ、果物とか添えたらもっと美味いかも」
「普通の氷じゃなくて、ジュース凍らせた氷でやったらきっと美味い!」
「氷に味がないから、何か味のついたものを掛けたい」
などと感想を言いあっていると、誰かが小声で言った。
「シュナイダーが食ったのは、若林の汗が掛かった汗味カキゴオリだけどな」
「バカ!それ言うな!皇帝サマは気付いてないんだから!」
そんな陰口めいた事をこっそり話されているとは気付かない様子で、シュナイダーは若林にお代わりを求めていた。
「若林、もう一杯頼む」
「おう、すっかり気に入ったみたいだな、かき氷」
自分もかき氷を食べたことで、若林の顔からは汗が引いている。しかし重いハンドルを再度回しているうちに、すぐに汗が流れ始めた。
(よしよし、汗が一杯出てきたぞ。この状態の若林からかき氷を手渡して貰えれば、源三味カキゴオリがまた食べられる!汗だけでなく涙とか唾とか若林の出したモノならなんでもいいから掛けて欲しい……)
汗に濡れた若林の横顔を眺めながら、シュナイダーの妄想は更なる広がりを見せるのだった。