待ち人来たらず

 若林は中央駅の改札を出ると、迷わず西口から外へ出た。時刻は午後8:30。シュナイダーたちとの待ち合わせ時刻は8:50。少し早かったかと思いながら、待ち合わせ場所である公園の噴水へと向かう。

 往年の名選手たちの美技を編集して作られた、実録サッカー映画の上映会に気付いたのはカルツだった。カルツの見ていた情報誌によると、上映会は毎日一回、ミニシアターの西第一劇場で午後9:15から行われる。
 この話を聞いた若林は是非、その映画を観に行きたいと思った。
 「でも、9:15からって、遅いなぁ。昼間やってないのか?」
 「昼はほかのプログラムを上演中だな。ついでに言うと、この作品は単館上映で他所じゃやってないぞ」
 「そこに行くしかないってことか。俺、その映画館知らないんだよなぁ。最寄り駅の中央駅ってのも、利用したことないし。そこ、駅から近い?」
 「徒歩で15分くらいだな。あの辺はごちゃごちゃしてるから、ちょっと判りにくいかも」
 「そうか・・・」
若林が迷っている様子なので、カルツが助け舟を出した。
 「ワシは明日観にいくけど、源さんも来るか? 駅前に待ち合わせで有名な公園の噴水があるから、そこに8:50に待ち合わせってことで」
 「よし、判った。8:50だな」
和気あいあいと話していると、シュナイダーが通りかかった。カルツは先程シュナイダーを映画に誘って断られたところだったので、一応報告とばかりに声を掛ける。
 「おう、シュナイダー、さっきは悪かったな。映画は源さんが一緒に行ってくれることになったから、もういいぜ」
これを聞いたシュナイダーはつかつかと歩み寄ってくると、カルツに言った。
 「俺も行く。何時にどこで待ち合わせだ?」
 「おまえ、明日は家族で食事に行くから無理だって・・・」
 「何時にどこで待ち合わせだ?
 「・・・8:50に、中央駅前の公園の噴水」

 公園に入った若林は、そのあまりの荒れように驚かされた。
 植え込みや芝生は長く手入れをされてないらしく、ぼうぼうと好き勝手な方向に伸び放題。いくつか並べられているベンチもみな古く、落書きをされたり、壊れていたり、まともな物がない。肝心の待ち合わせ場所である噴水も、水を噴き上げてはいない。雨水と思しき淀んだ水が、底に浅く溜まっているだけだ。街頭は灯っていない物が多く、灯っていてもちらちらと点滅しているため、とにかく周囲が暗い。
 全体的にうらぶれた印象だ。
 本当にここが待ち合わせ場所かと、若林は不安になった。しかしよく注意してみると、噴水の周囲には、やたらに人影が多かった。どうやらみな待ち合わせをしているらしい。若林は安心した。
 さびれた所だが、やはり駅のそばという事で、待ち合わせ場所としては人気があるのだろう。若林は噴水前に置かれたベンチの中で、唯一ひび割れのない物を見つけだし、腰を下ろした。
 若林がベンチに腰を下ろすと、すぐに初老の紳士がやって来て、若林の隣に腰掛けた。若林は気を遣って、少し距離を空けるようにして座りなおす。すると紳士が声を掛けてきた。
 「君、この後の予定は?」
 「えっ? 友達二人と映画に行きますけど・・・」
いきなり話しかけられて驚いたものの、相手が年長者ということもあって、若林は丁寧に答えた。紳士は、それは残念、予約済みか・・・などと呟きながら、席を立った。
 若林が見るともなしに紳士の後を目で追うと、紳士は少し離れた所に立っていた若い男に声を掛けていた。二言三言、会話をすると、二人は連れ立って公園を出て行った。若林は首をかしげる。
 「今の人、キャッチセールスの勧誘員だったのかな?」
若林の傍に、マッチョな体型の大男が近寄ってきた。
 「よう、君、いい身体してるねぇ」
 「・・・何の用ですか?」
 「時間があったら、俺と話でも・・・」
 「時間はありません」
なんとなく自衛隊の勧誘を思い浮かべて、若林はぴしゃりとはねつけた。大男は首を振りながら若林の傍を離れた。この男も先程の紳士と同じく、他の男に声を掛け始めた。
 「やっぱり、キャッチか。あ〜、もう、あいつら早く来てくれないかな」
苛つく若林の傍に、また一人、男が近づいて来た。

 時間は午後9:00丁度。シュナイダーとカルツは噴水の縁に腰を下ろし、若林が来るのを待っていた。
 色とりどりのライトに照らされながら、美しく水を噴き上げるこの噴水は、待ち合わせの場所として有名なスポットである。噴水を取り囲むようにして大勢の人々が人待ち顔で立っているが、彼らはみな待ち人に迎えられて次々に立ち去っていくので、その顔ぶれは一定ではない。ずっと居残っているのは、シュナイダーとカルツだけだ。
 「源さん、遅いな。源さんが遅れるなんて、初めてじゃないか?」
カルツがぼやく。シュナイダーは若林が心配で堪らない。街頭が煌々と灯って昼間のように明るい噴水広場の中を、さっきから目を皿のようにして見回しているが、どこにも若林の姿はない。一体、どうしたんだ、若林!
 シュナイダーの不安を逆撫でするように、カルツが呟く。
 「そろそろ映画館に向かわないと、映画が始まっちゃうんだがなぁ」
 「行きたきゃ一人で行け。若林を置いていけるか」
 「判ってるよ。そうムキになるなよ」
カルツは笑って受け流す。時計を見れば、もう9時を5分ほど廻っていた。
 それにしても遅い。こんな判りやすい場所に来るのに、迷う筈もないのだが・・・待てよ?
 「シュナイダー、もしかして源さん、西口に出たんじゃないか?」
 「まさか・・・」
中央駅の東側はショッピングモールや映画館の密集した普通の繁華街だが、西側はいわゆる色町で、いかがわしい店が軒を連ねている。中央駅の西口に行くといえば、それは即ちエッチな遊びをしに行く、という意味になるほどだ。そっち系の用事がなければ、中央駅の西口に行くことなどないのは、常識といってもいい。
 「ほら、源さん、中央駅来たことないって言ってたし、間違ったんじゃねぇか?」
 「しかし、西口には公園がないだろう。間違ったにせよ、すぐに気がついてこっちに来るんじゃないのか」
 「待った。調べてみよう」
カルツが念の為に持ってきていた情報誌を取り出し、地図を確認する。誌面を覗き込んでいたシュナイダーが、ある事に思い当たった。
 「おい、俺たちが行く映画館、西第一劇場だったな」
 「ああ、西区にある一番古い映画館だ」
 「この名前を聞いたら、不案内な若林は映画館が駅の西口にあると思うんじゃないか?」
 「そうか、考えられるな・・・あっ、西口に公園があったぞ」
本来の待ち合わせ場所である、東口の公園とは比べ物にならないくらい小さい規模だったが、西口にも駅のすぐ傍に公園があった。カルツが、地図に添えられた注意書きを読む。
 「なになに、『西口にある小さい公園は、ゲイたちの溜まり場。一夜のパートナーを求めてゲイたちが集う場所なので、間違っても彼女との待ち合わせに使ってはイケマセン』・・・あっ、シュナイダー!」
カルツの説明を聞くや否や、シュナイダーはマッハの勢いで西口へとすっ飛んでいった。

 「だ〜か〜ら〜、俺は友達と待ち合わせしてるんだってば!」
若林が苛々した口調で叫んだ。しかし相手は動じない。
 「そんな事言って、さっきから誰も来ないじゃない。ねぇ、そんな薄情な恋人は放っといて、僕と楽しいところに行こうよ」
 「恋人じゃなくて、友達! 大体なんで俺があんたと出掛けなきゃなんないんだよ!」
 「フン、お高くとまって・・・」
妙にナヨナヨした男は鼻を鳴らすと、若林の傍を離れた。若林は溜息をつく。
 ここに来てから最初の紳士を皮切りに、ほぼ1〜2分おきに色々な男が話しかけてくる。見知らぬ相手ゆえ、初めは丁寧に応対していた若林も、段々面倒くさくなってきて適当にあしらうようになっていた。
 それにしても遅い。あいつら、何をやっているんだ? 待ち合わせでなけりゃ、こんな鬱陶しい所さっさと出て行くのに。
若林は落ち着かない様子で、公園の入り口に目を向けた。
 一方、この公園を根城にしているゲイたちもまた、若林の存在に落ち着かない様子だった。
 サッカーで鍛え上げた肉体は筋肉が引き締り、涎モノのナイスバディ。立派な体躯に似合わぬ可愛らしい顔立ちは大きな瞳が印象的で、嫌が応にもアニキたちのハートをくすぐった。漆黒の髪と瞳を持つ、きめ細かい肌の東洋人というところもエキゾチックで、オトコたちのツボを刺激していた。
 しかもさっきから多くの男たちの誘いを、全てはねのけている。まさに高嶺の花。今夜一番の上玉を誰が口説き落とすのかと、公園の中は妖しい熱気に包まれていた。
 また一人、遊び人ふうの中年男が、若林に近づいた。若林の隣に腰掛け、早速口説き文句を並べ始める。若林はまたかと思い、最早まともに話を聞いていなかった。
 中年男は若林に無視されているのに気付くと、やにわに若林の肩に手を廻し、もう一方の手を若林の太ももに這わせた。これには若林も飛び上がらんばかりに驚いた。
 「おい、あんた、何すん・・・」
 ドスッ!!
鈍い音がして、中年男の身体がずるずるとベンチから崩れ落ちた。若林が視線を中年男から上に向けると、そこには怒りを顕わにした「皇帝」が仁王立ちになっていた。若林が慌てて声を掛ける。
 「シュナイダー! 人に向かってファイヤーショットするなよ!」
 「手加減はしてある。しかし、こんなヤツ、本来なら手加減無用だ」
シュナイダーは若林に向き直り、若林の様子をじっくり観察する。取り乱した様子ではない。服装も乱れていない。よかった、間に合ったようだ。
 「早く行こう。カルツも待っている」
 「おまえら、来てたのか。どうしてすれ違ったのかなぁ?」
呑気に話し始める若林の腕を引っ張って、シュナイダーはゲイの人だかりを掻き分けながら公園の外へと脱出した。
 二人を見送ったゲイたちが口々に話す。
 「今のが彼氏か。なるほどイイ男だ」
 「あんな男前がいたんじゃ、いくら口説いても落ちない筈だ」
 「ボク、あの彼氏のほうがいいなぁ〜」
などなど、妖しい夜の公園は、ひとしきり今のカップルの話題で盛り上がったのだった。

 「そうか、駅前に公園が二つあったのか。それは気付かなかったな」
若林が笑って言った。シュナイダーが応じる。
 「それにしても、あんな所に30分以上もいて、よく無事だったな」
 「無事じゃねえよ。酷い目に遭った」
シュナイダーがピタリと歩みを止める。心なしか青ざめた様子で、若林の肩を掴み、真剣な表情で問いただす。
 「酷い目に遭ったのか?」
 「ああ。あそこ、キャッチセールスが凄くてさ。1〜2分おき位に誰かが話しかけてくるんだ。『一人ですか』とか『時間ある?』とか。鬱陶しいのなんのって」
それはキャッチセールスじゃなくてナンパ・・・と思いつつ、シュナイダーは敢えて突っ込まなかった。若林は話し続ける。
 「終いには、俺もキャッチセールスだと思われたみたいで」
 「おまえが?」
 「そう。何人も俺に『いくら?』って、聞いてくんの。俺のどこがセールスマンに見えるのかな」
若林のあまりの無邪気ぶりに、シュナイダーは目眩を覚えた。それから一番気になっていた事を聞いてみる。
 「じゃあ、身体に触ったりしてきたのは、さっきの男だけなんだな」
 「そう。あいつもセールスマンだったのかな。話聞いてなかったから判んないけど」
 「セールスマンのわけがないだろう・・・
シュナイダーは小声で呟いた。しかし耳聡い若林には聞こえたようだ。不思議そうな口調で聞き返す。
 「じゃ、あいつは何をするつもりだったんだろう」
 「何って、そりゃあ・・・」
なんと言ってやるべきか、シュナイダーは迷った。そして、ここがどこなのかに改めて気付く。
 まだ駅には着いていない。つまりここはアダルトゾーンの西口繁華街。周囲には風俗店とラブホテルがひしめき合っている。シュナイダーは間近に見えるラブホの入り口を横目にしながら、若林に聞いた。
 「若林、あいつが何をしたがっていたか、本当に知りたいか?」

 一方、東口の公園内噴水広場。若林も、若林を捜しに行ったシュナイダーも一向に姿を見せない。映画の上映時間はとっくに過ぎていた。すっかり待ちぼうけ状態にされてしまったカルツが、伸びをしながら時計を眺める。
 「なにやってんだか。あの二人」
おわり
あとがき
 ドイツの地理も風俗も知らないまま、勢いで書き上げました。ドイツの事情に詳しい方には、突っ込みどころが満載だと思います。所詮バカ小説なので、気楽に読み飛ばしてやって下さいませ。
あとがき追加
 Wさまのドイツ旅行記を拝見したところ、ドイツの主要都市には本当に中央駅があるそうです。もちろんハンブルグにも! わぁ〜、もっとテキトーな名前にしとくんだった!(冷汗) 読者の皆様、実在のハンブルグ中央駅がこんなんじゃないことだけは確かです。くれぐれも誤解なさらないよう・・・(笑)