スナップ写真

 練習を終えて自宅前まで帰り着いた若林は、家に入る前に郵便受けを覗いた。中に入っていた手紙の束を取り出すと、それを抱えて家に入る。玄関で郵便物のチェックをすると、見上宛の手紙やダイレクトメールに混じって、実家からのエアメールがあったので、それだけを手にして自室へと引き上げた。
 「ずいぶん厚い封筒だな。手紙以外にも何か入ってるんだろうか?」
 中身を傷つけないように慎重にはさみを使い、手紙を開封する。中に入っていたのは、メモのように小さな紙に書かれた手紙が一枚きりと、十数枚の写真だった。家族が旅行に行った写真か何かかと思いきや、写真は全て日本にいた時の若林を撮った物だった。しかも、ちょっと変わった場面ばかりをセレクトしてあるようだ。
 「なんでこんな写真を送ってきたんだ??」
不思議に思いながら手紙を見てみると、それを書いたのはすぐ上の兄だった。
 『源三、ドイツでの生活ももうすぐ三ヶ月だな。友達とは上手くやってるか? もし言葉の壁で周りと打ち解けてないんだったら、この写真をきっかけに話題を振ってみろ。ネタっぽいの選んどいたから、きっと盛り上がるぞ!』
 兄なりに異国で暮らす弟を案じての事らしい。確かに話題作りには良さそうなスナップ写真ばかりだが、若林にしてみれば今は友達作りよりもサッカーの腕を磨く方が重要だった。
 「兄貴、意外と心配性だったんだな」
苦笑しながら呟くと、若林は写真の束を無造作に机の引き出しへと放り込んだ。

 ホームでの練習試合に快勝したハンブルクJr.ユースの面々は、意気揚々と帰路についていた。隣を歩いているシュナイダーに、カルツが上機嫌で話し掛ける。
 「また勝っちまったなぁ。どうだ、時間もあるし、今日の勝利を祝ってぱぁーっと遊びに行かねぇか?」
 しかしシュナイダーは、カルツとは対照的な渋い顔で答えた。
 「街に行くのか? こないだもそう言って出掛けたじゃないか。練習試合に勝つ度に打ち上げをしてたら、金がいくらあっても足りないぞ」
 この会話に、横に並んでいた若林が割って入る。
 「だったら、俺ん家来ねぇ? 見上さんが帰ってくるまでは俺一人だから、気兼ねせずに騒げるぞ」
 「そりゃいいな! 源さんの家だったら、金も使わなくて済むし」
 「よし、じゃあこれから若林の家に行こう」
カルツが賛同し、続いてシュナイダーも同意したので三人は一緒に若林の家に行った。
 若林の部屋でジュースを飲みながら今日の試合についてやんやと話しているうちに、徐々に話題がサッカーからそれてきた。カルツが若林の顔を見ながら、話し掛ける。
 「誰かの家に行った時は、そいつのガキの頃のアルバムとか見せて貰うのが楽しみだけど、源さんはドイツに来て一年ちょっとしか経ってないから、そういうのは持ってないよなぁ?」
 「アルバムはねぇな」
と、答えてから若林は、ドイツに来て間もない頃に兄から送られてきた写真の存在を思い出した。
 「日本にいた時の写真なら少しあるぜ。変なのばっかだけど」
 「変なの? どんな?」
楊枝を噛みながら、カルツがのんびり聞き返す。その横に座っているシュナイダーも、あからさまには興味を示さなかったが、内心では大いに興味を引かれていた。
 (日本にいた頃の若林の写真か。是非とも見たいが、『変なの』って一体何が・・・)
 咄嗟にシュナイダーの頭に浮かんだのは、盗撮写真っぽいキワドイ構図の写真だった。しかしそんな写真を本人が持っていて、友人に見せびらかす道理がない。ならば、フラッシュで目を瞑っちゃったとか、笑顔を作る前にシャッターを切られて変な顔で写っちゃったとか、そういう失敗写真の類だろうか?
 (・・・・・・か、かわいいじゃないか!!)
シュナイダーから萌えと期待のこもった熱い視線を向けられている事には気付かず、若林はどんな写真があったっけ、と記憶の糸を辿る。
 「えーと、俺がチアリーダーやった時のとか・・・」
 「チアリーダー?」
若林の口から思いもよらない単語が飛び出して、カルツがオウム返しに聞き返す。それに一歩遅れて、シュナイダーが確認するように尋ね直した。
 「チアリーダーって、ミニスカ履いた女がポンポン振り回しながら飛び回って応援する、アレだよな?」
 シュナイダーの言葉に頷き、さらに若林は説明を続けた。
 「俺のいた学校、運動部の成績が総じて良かったもんだから、応援団も休みなしに一年中活動してたんだ。で、年に一度、全運動部のキャプテンが『いつも応援してくれてありがとう』って事で、『応援団を応援する応援団』を作って文化祭の時に演技を披露するっていう習慣があってさ。そん時の写真。まぁ、見たって面白くもな・・・」
 「見る!!」
即答したのはシュナイダーだった。 しかも、さあ見せろすぐ見せろ隠すんじゃない!と妙に鼻息が荒い。若林は急かされながら机の引き出しを探った。仕舞い込んだのが一年近く昔なので、写真はすっかり奥に追いやられていたが、何とか全部を見つけ出す事が出来た。
 「あった。コレだ」
若林は手にした写真の束の中から、数枚を選って二人に向けて差し出した。カルツが受け取ろうとしたのをサッと掠め取り、シュナイダーが写真に目を落とす。カルツはその横から写真を覗き込んだ。

 写真の中央に写っていたのは、「SYUTETSU」のロゴが入ったミニスカートのコスチュームを身に着け、両手に黄色いポンポンを持って、リフトアップされた状態でポーズを決めている、笑顔が爽やかな黒い髪の・・・・・見知らぬ少女だった。
 
 「若林、何だこの女は? お前が写っていないじゃないか」
ムッとした態度でシュナイダーに写真を突き返されて、若林が写真を覗き込む。
 「どこ見てるんだよ。ちゃんと写ってるだろ」
若林が写真を指差す。よくよく見れば、少女をリフトアップしている少年達の中の一人が、確かに若林だった。シュナイダーが他の写真を見てみると、そちらでは若林がもっと大きくはっきりと写っていた。写真の中の若林は「SYUTETSU」のロゴが入った、少女とお揃いのユニフォームを着ているが、履いているのはミニスカートではなく短パンだった。ポンポンも持っていない。
 大いに期待を裏切られたシュナイダーが、尚も文句をつける。
 「若林、話が違うぞ! お前がミニスカ履いてポンポン振り回しながら飛び回って応援してる写真じゃないのか!?」
 「それは女の場合だ! 男がスカート履くわけねーだろ!!」
常識で考えれば判るだろうと怒る若林をなだめつつ、カルツが若林の手から他の写真を受け取った。一番上にある写真を一目見るなり、カルツが驚きの声を上げる。
 「源さん、これって『スモウ』か?」
 「ん?」
カルツの見ている写真をチラッと見て、若林が頷く。
 「ああ。修哲じゃ男子は体育の時間に相撲やるんだよ。こん時は関脇までいった元力士が特別に指導に来てて、それで写真が残ってるんだ。ほら、ここに写ってるジャージ着たでっかい人」
 スモウと聞いて、シュナイダーは以前テレビで紹介されていたリキシの姿をうろ覚えながら思い出す。
 (確かスモウの選手は、真っ裸にマワシとかいう布だけを股間に巻いてるんだったな。後ろから見ると尻が丸見えのTバック状態で・・・)
 その瞬間、頭の中にマワシを締めた若林のバックショットが思い浮かんだが、シュナイダーはすぐにその妄想を振り払った。学校の授業で生徒にそんな破廉恥な格好をさせる訳がない。 大方、授業はジャージかなんかで受けている筈だ。さっき期待を裏切られたばかりなので、シュナイダーは冷静にそう予想する。
 写真を見ていたカルツが、感心したように若林に聞いた。
 「すげー。これって『マワシ』って言うんだろ? 本当にこんな格好すんだな」
 「相撲はまわしを着けてないと取れないよ。前褌を取ったりして組み合うんだから。これ、締めるの結構面倒なんだぞ」
 この会話を聞くなり、シュナイダーはカルツの手から、ひったくるようにして写真を奪い取った。

 写真には、相手のマワシに手を掛けてガッチリ組み合っている二人の少年が写っている。カメラに向かって顔を向けている方の少年が、若林だった。二人は半袖短パンの体操服姿で、その上から白っぽい色のマワシを締めている。

 「なんだ、これは! こんなもん、スモウじゃない!!」
 「え? ちゃんと相撲とってる写真だぞ。大体シュナイダーは本物の大相撲なんか見た事ねーだろ?」 
 シュナイダーのあまりの剣幕にたじろぎつつも、若林が反論する。若林の生尻写真を期待していたシュナイダーは、ぶつぶつ言いながら念の為他のスモウ写真を見てみたが、勿論どの写真でも若林は短パンの上からマワシを締めている。
 「マワシって、裸に締めるんじゃないのか?」
未練たらしく若林に抗議すると、若林がああ!と合点した表情を浮かべる。
 「それが見たかったのか。あるぜ、本式にまわし締めてる写真」
そう言って若林が見せてくれたのは、指導に来たという元力士らしい大男の周りを、生徒達が取り囲んで記念撮影をしている写真だった。確かにその写真では、生徒達は体操服のままだが、元力士の巨漢が裸にマワシを締めていた。
 写真を一目見るなり、シュナイダーはげんなりした顔でそれを若林に突き返す。
 「人を期待させといて、詐欺みたいな写真ばかりだな・・・」
 「詐欺? よく見ろ。ちゃんとまわし姿、写ってんだろ」
しかしシュナイダーは、その写真はもういいと言って見ようとしなかった。幾分怒ってるようにも見える。カルツはどの写真も面白がってくれたのに、シュナイダーは写真を見れば見るほど機嫌が悪くなっていく。この反応の違いは何なのだろうかと、若林は内心で首をひねった。
 「源さん、残りの写真は?」
チアリーダーの写真とスモウの写真を一枚ずつ念入りに見終わったカルツが、若林を促す。若林は自分の手の中に残っている写真を見ながら答えた。
 「えーと・・・ああ、残りは全部祭の写真だな。俺と兄貴たちが祭半纏着て、神輿担いでるんだぜ」
 「ミコシ? 何だ、それ?」
 「これ。みんなで担いでる、このでっかいのが『神輿』っていうんだ」
若林が写真を指し示しながら説明する。その写真では大勢の少年たちが、ごてごてと飾りのついた小さな家みたいな物の乗った台を担いでいた。全員が同じようなコスチュームを着ているので、これが若林の言うマツリ何とかいう服だな、とシュナイダーは見当をつけた。
 写真に写っている若林は、晒木綿の鯉口と半股引を身に付け、その上に祭の字が背中に大きく染め抜かれた紺色の祭半纏を着ている。足には白い祭足袋、頭には手拭を細く捻った捻り鉢巻。粋だのいなせだのという言葉は知らないシュナイダーの目にも、若林の祭装束はカッコよく決まってるのが判る。一番先頭で元気よくミコシを担いだ姿が実に活き活きとしていて、その無邪気で明るい表情に、シュナイダーはすっかり見蕩れてしまった。
 (いい顔してるなぁ〜。若林もサッカー以外の事に、こうやって熱中する時があるんだな。マツリのコスチュームも似合ってるし、持って帰って何度でも見返したい・・・隙を見て、こっそりポケットに入れちゃうか・・・)
 「え? 持って帰るって、この写真をか?」
胸の内で呟いていたつもりがいつの間にか口に出てしまっていたらしく、若林に聞き返されてシュナイダーは慌ててフォローする。
 「あ、いや、別に変な事に使うんじゃなくて、ほら、こういう日本の伝統行事みたいなのが珍しいからさ、うちの家族にも見せてやろうかと思って・・・」
 この説明に若林は納得したようで、機嫌よく笑顔で応じた。
 「いいぜ。気に入ったのがあったら、どれでも持ってけよ。どうせ実家にネガがある写真ばかりだ」
 「どれでも? じゃ、他の写真も貰ってっていいのか?」
ああ、と若林が頷くのを確認すると、シュナイダーは目を皿のようにして写真を吟味し始めた。シュナイダーの手に祭写真だけでなくチアリーダー写真や相撲写真も数枚ずつしっかりと収まっているのを見て、若林が苦笑する。
 「お前、文句ばっかりつけてた癖に、随分持ってくんだな」
 「いいだろ、別に。くれるって言ったじゃないか」
 「じゃあ、ワシはこのリキシも写ってるやつを貰おうかな」
 「おう、いいぜ」
わいわい言いながら写真を分け合ってるうちに時間が経ち、シュナイダーとカルツはそれぞれ写真を土産に貰って、若林の家から帰って行った。二人がいなくなった後で、若林はわずかに残った写真を元通り引き出しに放り込む。
 「あれ? そういえば、あの写真がなかったな。あれだけ引き出しに入れっぱなしだったか?」
 独り言を呟きながら引き出しの奥を見てみるが、『あの写真』は見つからなかった。
 「変だな? まぁ、どうでもいいか」
深く気にも留めず、若林は引き出しを閉めた。

 帰宅したシュナイダーは自分の部屋に入ると、早速今日の収穫である写真を机の上に並べてみた。若林の家にいる時には文句をつけてしまったが、こうしてじっくり見直してみると、若林のチアリーダー姿もスモウをしている姿も、シュナイダーの目には新鮮でどれも垂涎もののお宝写真なのだった。
 「でも一番は、やっぱりこのマツリの写真だな」
お気に入りの一枚を手に取って顔の前に近づけると、シュナイダーはにんまりと目を細める。その時になってシュナイダーは、この写真だけ妙に厚みがある事に気付いた。不審に思ってよくよく見てみると、どうやら裏に他の写真がぴったりと重なって貼り付いているらしい。
 シュナイダーは二枚の写真の間に、そっと爪の先を立ててみた。糊で貼り付けたのではなく、たまたまくっついてしまってただけのようで、もう一枚の写真は簡単に剥がれて机の上へと舞い落ちる。
 「まだ見てない写真があったのか。どんな写真だろう」
裏返しになって落ちている写真を、シュナイダーは拾い上げた。

 「ほう、今日はそんな事があったのか」
夜になって帰宅した見上に、若林はシュナイダーたちが来ていた事を話していた。
 「チアリーダーだの相撲だの、そういう面白い写真があったのなら、俺も見てみたかったな」
見上の言葉を聞き、若林は照れ臭そうな顔で答える。
 「何枚かはまだ残ってますよ。あと、多分もう一度ちゃんと探せば、俺が褌一丁で座敷に突っ立ってる変な写真も」
 「褌一丁? 何でまた、そんな格好に??」
怪訝そうに聞き返す見上に、若林が笑いながら事情を説明する。
 「祭の衣装ですよ。南葛祭って元々、男は褌に祭半纏を着るのが決まりだったんだけど、褌を嫌がる人もいるから、褌は禁止して男は半股引を着用する、って途中からルールが変わったんです。で、もうこの先褌を締める機会なんて二度とないだろうから、って親に言われて、最後の記念に写真を撮った事があるんです」
 「なるほど、そういう訳か」
 「そういえば、シュナイダーは相撲のまわしに妙に拘ってたっけ。まわしとはちょっと違うけど、褌も似たようなもんだから、あの写真を見せれば面白がってくれたかもな」
 今まさに鼻血を噴出さんばかりの勢いで、シュナイダーが件の写真にのぼせ上がってるとも知らず、若林は暢気に笑った。
おわり