を をこつる(騙してヒトを誘う・機嫌をとる)
ハンブルクJr.ユースチームの練習場にシュナイダーが姿を見せたのは、練習開始から30分程経ってからだった。シュナイダーの遅刻はそう珍しい事ではないが、この日はいつもと少し様子が違っていた。 遅れてきたシュナイダーに声を掛けようとしたチームメートが、みなシュナイダーの顔を見てぎょっとしたような反応を見せている。遠目にその様子を見たカルツは、不思議に思いつつシュナイダーに駆け寄り、後ろから声を掛けた。 「よう、また遅刻か?」 カルツの声に、シュナイダーが振り返る。 その顔面に痛々しい青痣が浮かんでいるのを見て、カルツは思わず銜えていた楊枝を口から落とした。 「おい、その痣どうしたんだ? 喧嘩か?」 「喧嘩じゃない」 「ワシにまで隠すなよ。どう見ても殴られた痕だぞ」 何か訳ありだと察したカルツは、シュナイダーを皆から離れたところに連れて行き問い詰めた。シュナイダーは話し渋っていたが、カルツがしつこいのでとうとう事情を話した。 「・・・昨日、若林に殴られた」 「源さんと喧嘩したのか」 「喧嘩じゃない。その、いつもの居残り練習を二人でしてたんだが・・・練習後に汗だくの顔で、俺に『お疲れ!』って言ってタオルを渡してくれた若林が、あんまり可愛くて・・・」 なんとなく話の先が読めてきたが、一応カルツはシュナイダーが続きを話すのを待った。 「・・・なんと言うか、抑えが効かなくなっちゃって。で、若林を押し倒そうとしたら、思いっきり殴られた」 「そりゃ殴られるわい」 「何を言ってるんだ! 俺と若林は付き合ってるんだぞ! 何も殴ることないじゃないか?」 シュナイダーの発言に、カルツは銜え直そうと取り出した予備の楊枝を取り落とす。 「付き合ってる!? おまえと源さんが?? 一体、いつの間に!?」 「一週前からだ」 「それ、本当なのか? 脳内交際じゃないのか?」 「失敬な。若林からちゃんと、『付き合う』と言う返事を貰ってるんだ」 シュナイダーがムキになって言い返す。しかしカルツは半信半疑どころか、全く信用しなかった。カルツの冷ややかな対応に、シュナイダーは口を尖らせる。 「嘘だと思うなら、若林に直接聞いてみろ」 「ああ。休憩時間になったら、本人に聞いて確かめてやるよ」 どうせシュナイダーの妄想に違いないと思いながら、カルツはそう返事をした。 練習は滞りなく進み、休憩時間になった。 若林もピッチの外に引き上げ、タオルで汗を拭いている。カルツはシュナイダーと共に若林に近づき、声を掛けた。 若林はカルツに笑みを向け、そしてカルツの後ろにシュナイダーがいるのを見て、顔を曇らせた。 「シュナイダー、来てたのか。済まん、やっぱり痣が残ったな」 「痣なんてすぐに引くさ。そう気にするな」 穏やかな会話に、カルツは内心驚いた。押し倒されて怒った若林がシュナイダーを殴ったという顛末からして、てっきりひと悶着あるかと思ったのに。 シュナイダーを気遣う若林に、カルツは探りを入れてみた。 「殴ったのは、源さんなんだってな?」 「ああ。昨日、シュナイダーがふざけて俺にのしかかって来たんだ。いきなりだったんで、つい本気でぶん殴っちまった」 若林の言葉に、カルツは納得する。若林は、シュナイダーが如何わしい目的で自分を押し倒そうとしたとは、気づいていないのだ。冗談でのしかかってきた友人に怪我を負わせてしまったので、気にしているだけだろう。 やはり交際はシュナイダーの思い込みだと思いつつも、念のために質問する。 「そうだ、源さん。シュナイダーと付き合ってるって本当か?」 この問い掛けに、若林はあからさまな動揺を見せた。シュナイダーに向き直ると、慌てた口調で責めたてる。 「おい、内緒にするって話だったじゃないか! カルツに話したのか?」 「悪い。口が滑っちまったんだ。もう絶対、誰にも言わないから」 「絶対だぞ! カルツも皆には黙っててくれよ」 若林の必死の声に、カルツは呆然とした。 まさか、本当に交際しているとは! 「カルツ、おまえトイレに行くんじゃなかったのか?」 唐突にシュナイダーが言った。カルツが不審に思ってシュナイダーを見ると、その表情から自分を追い払いたがっているのがありありと判った。 恋人と二人きりになりたいから、気を利かせろという事らしい。驚愕の事実を知ってしまったカルツは、内心の混乱を隠せずに曖昧に頷きながらその場を離れた。 カルツの後姿を見送りながら、若林が呟く。 「カルツの奴、どうかしたのか? 何かふらふらしてないか?」 「自分の予想が外れたんで、ショックなんだろう」 「予想って?」 余計な事を喋りそうになっているのに気づき、シュナイダーは急に言葉を濁す。 「さぁ、俺も詳しくは知らん。それより、今日の予定だが・・・」 「今日? どっか行くのか?」 若林が不満そうにシュナイダーを見る。居残り特訓をしないのか、と言いたげだ。 「おい、忘れたのか。若林は俺に付き合うんだぞ」 「忘れてねぇよ」 若林は肩をすくめて見せた。 今から遡る事、丁度一週間前。 その日もシュナイダーは若林の特訓に付き合って、何本ものシュートをゴールに蹴り込んでいた。若林は機敏に反応し、半分以上ものシュートを防いでいる。 そろそろ練習を切り上げようかという時間になって、急にシュナイダーが提案した。 「若林、俺と賭けをしてみないか?」 「賭け?」 「ああ。ペナルティエリアの外から10本シュートするから、半分以上止められたら若林の勝ち。俺がミスキックしたら、それも若林のポイントに数える。どうだ?」 「面白そうだな。で、何を賭けるんだ?」 「若林が勝ったら、俺はおまえの言う事を何でも聞く。俺が勝ったら、若林には俺に付き合ってもらう」 毎日居残り練習に付き合ってるんだから、それくらいいいだろう?とシュナイダーは付け足した。勝負の方法も賭けの内容も公平に思えたので、若林は頷いた。 ここ数日の練習で、若林はシュナイダーのシュートを常に半分以上止めていた。その実績があるので、若林は負ける気がしなかった。 「よし、来いっ!」 若林の掛け声を受けて、シュナイダーがボールを蹴った。 その結果は・・・・・・6本連続でファイヤーショットが決まり、若林には為す術がなかった。シュナイダーが嬉しそうに笑う。 「俺の勝ちだな」 「待てよ! 10本シュートするんだろう? あと4本残ってるぜ!」 負けず嫌いの若林は、せめて一矢報いてやろうとシュナイダーに食い下がった。シュナイダーはお易い御用とばかりに、続けざまに4本のシュートを決めてしまった。 10本全てがゴールに突き刺さった。若林の完封負けだ。 それまでの練習で少なからず自信をつけていた若林は、己の不甲斐なさに地面を叩いて口惜しがった。 荒れる若林に、シュナイダーは淡々と声を掛ける。 「いい勝負だったぜ。明日みんなにも話してやろう」 「話すって・・・他の連中に、今日の勝負の事を話すのか?」 若林が顔をしかめる。自分が負けたのは事実だし、シュナイダーの実力は認めるが、真剣勝負で完敗した話などあまり触れ回られたくはない。若林の心中を察したのか、シュナイダーは言った。 「若林が嫌なら今日の事は内緒にしておくよ。でも賭けは忘れるなよ。俺に用事があって連れが欲しい時には、若林は俺に付き合うんだぜ」 「ああ。判ってる。シュナイダーに付き合うよ」 若林は憮然とした面持ちで、それでも素直に返事をしたのだった。 (しかし、我ながら上手くいったもんだ) 一週間前の出来事を思い返し、シュナイダーの顔に笑みが浮かぶ。 例の賭けに確実に勝つために、シュナイダーは数日前から入念に準備を重ねていた。毎日の居残り練習で蹴るシュートの威力やコースを、若林に見抜かれない程度に甘くして、若林が取り易いようにしていたのだ。 あからさまに手を抜いたシュートでは効果がない。若林が自分の実力を過信するように巧みに誘導して、それから賭けを持ちかけた。 こうした下準備のせいで、若林は無意識にシュナイダーのシュートを甘く見てしまっていた。そのせいで完封負けと言う屈辱の結果を招いてしまったのだった。 しかし手段はどうあれ、賭けに勝ってしまえば、こっちのもの。 賭けの内容は「負けたらシュナイダーに付き合う」だが、若林を連れまわしてデートを重ねていれば、いつしかそれは「シュナイダーと付き合っている」既成事実になる。 「おい、何ニヤニヤしてんだ?」 若林の声に、シュナイダーは我に返った。 「なに、今日はどこへ行こうかと思って」 「行き先が決まってないのか? それなら無理に出かけなくても・・・」 若林の言葉を、シュナイダーは強い調子で遮る。 「俺は今日デート・・・いや、出かけたい気分なんだ。付き合う約束をもう忘れたのか」 義理堅い若林が、一度交わした約束を反故にする事はない。自分がシュナイダーの策に嵌っているとは思わず、若林はただ溜め息をついた。 おわり
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