つ つきあうよ

 普段は他愛の無い雑談で賑わっている、ハンブルクJr.ユースチームのロッカールーム。しかしこの日は、浮かない顔で着替えをしている者が多かった。もちろん全員が塞ぎこんでいるわけではない。よくよく見れば、しょげているのは同じ学校に通っている者ばかりだった。彼らは学校で厄介な課題が出された為に、皆一様に頭を抱えているのである。
 「身近な外国人と交流を持ち、交流内容をまとめてレポートを提出する事」
これが課題の内容だった。生徒の国際感覚を養う為と思われるが、勉強よりもサッカーに生活の重点を置いている彼らには実に面倒な課題である。
 しかし幸いな事にハンブルクJr.ユースチームには、日本からのサッカー留学生が在籍していた。普段どおりにサッカーの練習をしていれば『身近な外国人と交流』できているわけで、その点は有難かった。
 問題は『交流内容をレポートにまとめる』、という作業だった。
 同じ課題に悩む者同士が、頭を寄せて相談を始める。
 「交流ったって、チームのメニューに添って一緒に練習してるだけだから、特に書くことなんか無いよなぁ」
 「うん。外国人だからって特別何かあるわけじゃなし、単なるチームメートだもんな」
 「それをそのまんま書いていいのかな? 『日本人留学生と毎日同じチームで練習してます』、って」
 「それだと一行で終わっちゃうぞ」
レポートが用紙一枚どころか一行で終わっていては、及第点はとても貰えまい。勉強は二の次のサッカー少年達だが、課題で落第点を貰うのはさすがにまずいので、真剣に対策を話し合う。
 「サッカー以外の事で何か『交流』すればいいんじゃないか」
 「それなら、あいつと一緒に飯でも食いに行って、そこで日本の話を色々聞いてみようぜ」
 「決まり! じゃ、早いうちに頼みに行こう」
彼らは着替えを済ませると、練習場へと駆け出していった。
 
 噂の留学生、若林源三は今日も練習場に一番乗りしていた。彼らは場内をランニングしていた若林をとっ掴まえて、事情を話し「国際交流」を頼み込む。
 「こういうワケだから助けてくれよ」
 「今日の練習が終わったら、俺らが奢るから一緒に飯食いに行こう。その代わり何でもいいから、日本の話を聞かせてくれ。レポートに書くから」
 しかし若林の表情は渋い。練習が終わった後は、チームメートのシュナイダーと居残って特訓する事になっている。これは若林にとって、欠かせない日課だった。
 「俺、そんな暇ねぇよ。知ってんだろ」
 「シュナイダーとやってる特訓の事か?」
 「毎日やってんだから、一日くらい休んだって平気だって。なぁ、俺たちを助けると思って頼むよ〜!」
若林は気乗りしなかった。しかし大勢のチームメートから必死の様子で頼み込まれるうちに、どうやら気が変わったらしい。
 「判ったよ。今日はおまえらに付き合う。でも、今日一日だけだからな」
 「助かった! 若林、恩に着るぜ」
 「シュナイダーにも、俺たちから断っといた方がいいかな?」
この問いかけに若林は首を振る。
 「あいつ、どうせ今日も遅刻だろ。シュナイダーには俺から言っとくから、気にするな」
 「わかった。じゃ、後でな」
説得で長々と立ち話している間に、練習開始の時間が迫っていた。いつの間にかシュナイダーを除く選手全員が出揃っており、監督とコーチもピッチに姿を見せた。
 すぐに練習が始まった。
 しかしメニューが進んで前半の練習が終わっても、シュナイダーは現れなかった。休憩の間に来た様子もない。後半の練習が始まっても、シュナイダーの姿はどこにも無かった。休みの届けは出ていないようだが、いつもの気まぐれで今日はサボる気らしいな、と若林は推測した。
 シュナイダーが来ないまま、とうとうこの日の練習は終わってしまった。若林は珍しく皆と一緒にロッカールームへと引き上げ、着替えを始める。頼み事をしてきたメンバーが、若林に話しかけてきた。
 「ちょうど良かったな。今日はシュナイダーが来なくて」
 「ああ。偶然だろうけど、シュナイダーに断る手間が省けて良かった」
 「そういや若林、どっか行きたい店とか・・・あれ!?」
チームメートが驚いた様子で言葉を切った。
 何事かと若林が視線を向けると、そこには今日はいない筈のシュナイダーが立っていた。若林は呆れる。
 「シュナイダー、今頃来たのか。もう練習は終わってるぞ」
 「お前との特訓には間に合っただろう? それとも今日はサボる気で着替えてたのか」
まるでこたえない様子で、シュナイダーはユニフォームに着替え始めようとした。それを見た若林は、慌ててシュナイダーを押し止める。
 「今日はいいんだ。俺は上がるから」
 「俺がいなかったから帰る気だったんだろう」
 「いや、そうじゃなくて」
若林は自分たちを囲むようにして集まっていた、課題提出組のチームメートたちを振り返りながら言った。

 「俺、こいつらと付き合うことにしたから」

 笑っていたシュナイダーの顔が、きつく強張る。そして先刻よりも厳しい口調で、若林を問い詰めた。
 「若林、今なんて言った?」
 「『俺、こいつらと付き合うことにしたから』って言った」
 「おい、『こいつ』ってどいつの事だっ!!」
シュナイダーは周囲のチームメートの顔を、嫉妬に燃えた眼でじろりと睨めつける。その血走った視線の凄まじさに、思わず数人が後退りした。シュナイダーの迫力に呑まれた格好で、彼らは無言のまま脅えたように顔を見合わせる。
 若林だけが落ち着き払った声で、シュナイダーに言い返した。
 「おいおい、よく聞けって。『こいつ』じゃなくて、『こいつら』。俺はこいつら全員と付き合うことにしたから」
シュナイダーの顔が引き攣る。
 「・・・・・・こいつら全員!?」
 「そう」
 「お前、誰か一人とじゃなくて、こいつらといっぺんに付き合うのか!?」
 「ああ。その方が面倒じゃなくていいだろ」
一人一人のレポート作成に個別に付き合うのは時間が掛かってかなわないし、と思いながら若林は応じる。
 シュナイダーの目の色が明らかに変わった。
 「・・・・・・若林、こっちに来い! 大事な話がある!!」
シュナイダーはそう言って若林の腕を掴んだ。
 「なんだ? 話ならここでしろよ」
 「いいから、来い!!」
若林は尚も文句を言っていたが、シュナイダーに腕を引っ張られ渋々部屋を出て行った。ドアが閉まると、廊下で言い争う二人の声は急に小さくなり、そして少しずつ遠ざかって行った。
 声が完全に聞こえなくなった所で、ロッカールームに残されたチームメートたちは、ふぅーっと一斉に息をつく。
 「なぁ、なんで俺たちがシュナイダーに怒鳴られなきゃいけないんだ?」
 「俺が知るかよ! っていうか、もしかして今日はレポート無理?」
何が原因でシュナイダーが怒っているのか判らず、更には課題の行く末も危ぶまれて、彼らは不安気に話し合った。

 若林の腕を掴んだシュナイダーは、ロッカールームから出口に向かうのとは逆の方へと廊下を進む。そしてその廊下の突き当たりに来た所で、若林を問い詰めた。若林は簡潔に事情を説明し、シュナイダーの誤解はすぐに解けた。
 「学校のレポートの為・・・なんだ、そんな事だったのか」
 「何だと思ってたんだ?」
 「え? いや、別に・・・」
若林が自分以外の男(しかも複数)との交際宣言をしたのかと思った・・・とは言えなくて、シュナイダーは言葉を濁す。
 「特訓をサボるのは今日だけだから、そんなに怒るなよ」
若林が申し訳なさそうに言った。
 居残り特訓の為だけにやって来たのに、今日は必要ないと言われたからシュナイダーは怒り出したのだ。
 若林はそう察しをつけていた。そもそもこの特訓は、若林がシュナイダーに頼み込んで相手をして貰っているものだ。それを直前に断られたら、シュナイダーが怒るのも無理はない、と若林は思った。
 「先にシュナイダーに断らなくて、本当に済まなかった」
そう言って若林が頭を下げたので、シュナイダーはばつが悪くなる。
 「気にするな。俺こそ短気を起こして悪かった」
 「明日からは、またシュナイダーに特訓に付き合ってもらうから。だから今日だけは休ませてくれ。あいつらと約束しちゃったんだ」
 「判った。気にしないで行ってこい」
シュナイダーが声を和らげてそう応じると、若林が安堵の笑みを見せる。その若林に、シュナイダーが更に言葉を続けた。
 「それから・・・・・・若林にちょっと頼みがあるんだけど」
 「なんだ?」
若林に聞き返され、シュナイダーは内心焦りつつ視線を宙に泳がせる。
 「さっきの台詞、俺にも言ってみてくれないか。『こいつと付き合う』とか何とかいうヤツ」
 「え? どうして?」
特訓に付き合ってもらっているのは自分の方だ、と若林が言うと、シュナイダーは顔を赤くして怒鳴った。
 「深く考えなくていいから! 俺はさっきの台詞を若林の口から、また聞いてみたいだけだ!」
 「そうか」
おかしな事を言うやつだと思いながらも、またシュナイダーが機嫌を損ねては厄介だと思い、若林は素直に従うことにした。
 若林はシュナイダーの顔を真正面から見据えた。シュナイダーは期待を押し隠しながら、じっと若林の顔を見つめ返す。無言で向かい合っているとにらめっこでもしているようで、若林はなんだか可笑しくなる。
 シュナイダーに照れ隠しのようにニコッと笑いかけ、それから凛とした声でハッキリと告げた。
 
 「俺、シュナイダーと付き合うよ」

 この時の若林のビジュアル&ボイスは、シュナイダーの胸に深く深く刻み付けられ、その記憶は何年経っても全く薄れる事がなかった。若林の交際宣言映像は事ある毎にシュナイダーの意識の中で鮮明にリピート再生され、シュナイダーの恋心を一層駆り立てるようになった。
 仮想ゴールを見たことにより、シュナイダーの若林への想いはいよいよ燃え盛っていったのだった。
おわり