ま まだまだです

 味方がキープするかに見えたこぼれ球を、疾風の如く切り込んできたシュナイダーが一瞬のうちに奪い取るのを見て、若林は緊張した。
 (来る!)
 シュナイダーがチラリとゴールに目を向け、すかざずシュート体勢に入る。 
 強烈なシュートが放たれると同時に、若林もシュートコースに飛んでいた。若林の伸ばした右手が、飛んできたボールに当たりバチッと大きな音をたてる。
 「うあぁっ!?」
右手に走る激痛と衝撃に若林が思わず叫ぶ。わずかにコースが変わりはしたものの、若林の右手を弾き飛ばしたボールはそのままゴールネットに突き刺さった。
 勢い余ってピッチに倒れこんだ若林がゴールを振り返ると、ネットから落ちたボールが転々とこちらに転がってくるのが見えた。
 「シュナイダー、やったー!」
 「さすがは若き皇帝!」
 「若林もシュナイダー相手じゃ、まだまだだなー」
シュナイダーへの賞賛と共に、こんな野次も聞こえてきて若林の頭に血が昇る。コースは合っていたのにシュートを防げなかった己が不甲斐なく、若林は悔しげに傍らのゴールポストを叩いた。
 今日はレギュラーとサブメンバーを織り交ぜたチーム分けをして、紅白戦が行われている。シュナイダーは遅刻していたので、当初はどちらのチームにも参加していなかった。シュナイダーのいない間、若林は何本ものシュートを防ぎ、自陣ゴールを完璧に守りきっていた。
 ところが後からやって来たシュナイダーが敵側のチームに合流した途端、あっさりと点を奪われてしまった。余所者の若林が活躍するのを日頃から快く思ってないチームメートたちは、シュナイダーの活躍に大喜びだ。
 「この調子で頼むぜ、シュナイダー」
 「若林を叩きのめしてくれよ!」
 「おまえにボール集めるからな!」
しかし、そう言われたシュナイダーの反応は渋い。ゴールを奪ったのにちっとも嬉しそうではなく、仲間からの賞賛を疎ましく感じているように見えた。そんなシュナイダーを見て、若林はハッとなる。
 若林はシュナイダーに頼み込み、シュートを打ってもらう特訓を毎日行っていた。初めはボールに反応するのが精一杯で、全くシュートを防げなかった。しかしここ数日は、シュナイダーの強烈なシュートを何本か止められるようになってきており、若林の成長をシュナイダーは言葉少なにだが褒めてくれていた。
 ところがその特訓の成果が、試合ではちっとも生かされていない。シュナイダーは若林の未熟さに呆れ、失望しているのに違いない。
 (見ていろ、シュナイダー! 次は必ず止めてやる!!)
若林の闘志に火がつく。気合の籠った目でシュナイダーを睨みつけると、視線を感じたのかシュナイダーがこちらを見た。
 敵愾心剥き出しの若林を見て睨み返すかと思いきや、シュナイダーは口の端を少し持ち上げてニコッと笑いかけてきた。大人が子供をあしらう時のような余裕を感じて、若林はますますいきり立つ。
 (次は絶対止める!!)

 ゴールが決まった後やんやと騒ぎ立てるチームメートを、シュナイダーは鬱陶しく感じていた。点が入ったのを喜んでるだけならいいのだが、それにかこつけて若林をバカにした発言をしている奴が多くて腹が立つ。自力では若林から得点できないのに、ここぞとばかりに若林を侮る連中にシュナイダーはウンザリしていた。
 サッカーは実力が全て。試合で活躍しチームを勝利に導く者だけが、その価値を認められるのだ。こいつらはその事を判っていないのだろうか。
 判ってないんだな、とシュナイダーは思う。若林を、道楽で金に飽かせてサッカー留学してきたタダのボンボンだと決め付け、磨けば確実に輝きを放つ若林の素質に気付いていない連中なのだから
 (若林を笑いたいなら、自分でゴールを奪ってみろ)
そう口にしかけ、シュナイダーはふと視線を感じて敵陣を振り返った。
 若林が射るような眼で、こちらを睨みつけている。
 シュナイダーに点を奪われたのが余程悔しいらしく、全身から闘志を立ち昇らせているのが目に見えるようだった。
 素晴らしい気迫だ。
 さすが、俺が見込んだ男だけの事はある。
思わずシュナイダーの顔に笑みが浮かぶ。微笑みを返された若林が表情を固くするのを見て、シュナイダーは一層楽しい気分になった。
 若林という男は逆境に追い詰められれば追い詰められる程、奮起して実力以上の力を発揮する。毎日若林の特訓の相手を務めているシュナイダーには、その事が手に取るように判っていた。鍛えれば確実に進歩を見せる若林の相手をするのが面白くて、シュナイダーはチームメートの白い目も気にせず若林の練習相手を続けているのだった。
 (この試合も、かなり楽しめそうだな)
 若林のパントキックで試合が再開された。若林が蹴ったボールは的確に味方のFWへと繋がった。しかしその直後にパスをカットされ、ボールはすぐに取り返されてしまった。シュナイダーが入った事でチームの士気が上がったのか、シュナイダー以外の選手も動きが良くなってるようだ。すぐに前線のシュナイダーまでボールが回ってきた。
 ボールを持ったシュナイダーが、再び若林の守るゴールへと攻め入って来る。
 シュナイダーを警戒していたDF陣が、シュナイダーの進路を塞ぐようにしてボールを奪いに来るが、シュナイダーには通じない。
 あっという間に敵の防御網を突破したシュナイダーは、キーパーと1対1の態勢になった。
 しかし若林もシュートを打たれるのをじっと待っていた訳ではなかった。シュナイダーがこちらのDFを巧みにかわしながら迫ってくるのを見て、勝負を掛けて飛び出している。
 シュナイダーがシュートを打つより一瞬早く、若林がボールを抱え込んだ。
 「うっ!?」
 ボールを求めて若林が足元に滑り込んできた為、足を取られてシュナイダーはバランスを崩す。
 そのまま若林の上にうつぶせに倒れこんだ。ボールを抱えて横向きに倒れた若林を、さらに上から抱え込むような恰好だ。
 シュナイダーは慌てて若林の両側の地面に手を突き、上半身を起こした。自分の身体に痛みは無かったので、シュナイダーは自分の下敷きになった若林を気遣った。
 「済まない。怪我してないか、若林?」
若林に覆い被さるような恰好で、若林の顔を見下ろしながら聞くと、俯くようにしてボールを抱えていた若林がシュナイダーの方に顔を向ける。
 「ああ、平気だ。それに、今度は防いだぜ!」
そう言って、若林は誇らしげに笑った。闘志に燃えていた大きな黒目が嬉しそうに細められ、口元からきれいな白い歯が覗く。得意満面の笑顔だ。
 自分の腕の下で屈託無く笑う若林の顔を見下ろし、シュナイダーは今までに感じたことの無い胸騒ぎを覚えた。

 ・・・・・・あれ?  
 こいつ、笑うとこんなに可愛いんだ・・・

 自分に敵意を抱くチームメートが多いからか、若林はいつも口元を引き締めた厳しい表情をしている。ライバル心を抱いているシュナイダーに対しても同様の態度だったので、シュナイダーが若林の笑顔をこんな間近に見るのは初めての事だった。
 「おい、早くどけよ」
若林にせっつかれて、シュナイダーは慌てて身体をのけた。シュナイダーが立ち上がった後に、若林もボールを持ったまますっくと立ち上がる。衝突した二人がどちらも何ともなさそうなので、そのまま試合が再開された。
 だが、シュナイダーは先刻見た若林の笑顔が気になって、いつものように試合に集中する事が出来ない。自陣に運ばれたボールを追いながらも、若林が気になってつい後方を振り返ってしまう。
 シュナイダーにボールが渡った。ところが気が散っているシュナイダーは、さっきのようにボールを維持できない。攻めあぐねている間にボールを奪われそうになり、止む無く味方にパスを出す。
 (何を余計な事を考えているんだ。何故、試合に専念できないんだ・・・!?)
結局この後は双方ボールを奪い合うものの決定力不足で得点できず、1−0のままシュナイダーのチームが勝利したのだった。
 試合の後、若林がシュナイダーに駆け寄り話し掛けてきた。
 「やっぱりシュナイダーは凄いな。あいつらの言うとおり、俺はまだまだだ。でも、次に対戦した時は絶対負けないからな!」
 黒い瞳を輝かせ興奮した口調で、若林がシュナイダーに宣言する。1点は取られたものの、その後シュナイダーのシュートを防いだ事が、自信に繋がっているようだ。若林に見つめられ、試合中に感じた胸騒ぎを再び覚えながら、シュナイダーは答える。
 「いや、まだまだなのは、俺だ・・・」
口ごもるシュナイダーの態度を見て、若林がムッとして口を尖らせる。
 「おい、それって俺が相手ならもっと点が取れた筈だ、って言いたいのか?」
 「いや・・・」
決してそういう意味ではない。何故かは判らないが平常心を失い、試合に集中出来なかった。何であんなに動揺したのか、自分でもよく判らない。接触プレーのせいで、抱き合ったような格好で若林と顔を近づけたから、変な気持ちが起きたのか・・・?
 バカな。試合中に他選手と接触するのは日常茶飯事だ。そんな事でいちいち動揺していたら、試合を戦い抜く事など出来ないではないか。
 いずれにせよ、精神面において鍛え直す余地がある事は間違い無さそうだ。
 若林に何と説明したらよいのか判らず、シュナイダーはこの会話を打ち切ってしまった。自分に対して何か言いたげなのに、何故か口をつぐむシュナイダーを、若林は不思議に思った。

 シュナイダーが、自分が平常心を失うのは若林に対してだけだと気付き、その理由が若林に恋してしまったからだ、と自覚するのはもう少し先の事である。
おわり