け ケンカしたあとは。
朝からむっつりと塞ぎ込み、時折わざとらしいほど大袈裟に溜息をつくシュナイダーを、クラスメートたちは遠巻きにし見て見ぬ振りをしていた。シュナイダーには常日頃から気軽に声を掛けにくい雰囲気があるが、今日は機嫌が悪いのがありありと見て取れるので、なおさら敬遠されているようだ。授業と授業の間の短い休み時間ゆえ、教室内には多くの生徒が残っていたが、窓際のシュナイダーの席の近くには見事なくらい人がいない。「おいおい、いい加減にしろよ。お前さんの周りだけ空気が淀んでるぜ?」 からかうように呼び掛けられ、しかめっ面で窓の外を睨んでいたシュナイダーは視線を声の方へ向ける。シュナイダーに、しかも機嫌が悪そうな時であってもこれだけ気軽に声が掛けられるのは、付き合いの長い幼馴染のカルツしかいない。シュナイダーは立っているカルツの顔を見上げながら、不貞腐れた声で応じた。 「淀んでいて悪かったな。目障りだと思うなら、放っておいてくれ」 「本当に愛想が無いな。声を掛けてきたのが源さんなら、笑顔で向き直るくせに」 「・・・俺の前で、若林の話なんかするな」 きつい口調でそう言われて、カルツは一瞬呆気にとられる。そしてすぐに、シュナイダーが不機嫌な理由の見当をつけた。 「そうか。源さんとケンカしたから機嫌が悪いんだな?」 「おまえ、見てたのか?」 事情を知られていると思ったのか、シュナイダーは急に小声になりカルツに探りを入れた。カルツはやっぱりと思いながら、シュナイダーに尋ねる。 「何も見てないが、態度でモロバレだって。一体何があったんだ?」 「大した事じゃない。若林にちょっとしたプレゼントをしたら・・・」 「えっ!?」 カルツは驚く。シュナイダーが若林にベタ惚れで、報われない片想いを続けているのは知っていたが、まさかそんな積極的なアプローチをしているとは思わなかったのだ。 「何を贈ったんだ?」 「アディダスのキャップ。こないだ出たばかりの、ニューデザインの奴」 「それなら喜んだだろ? なんで喧嘩に?」 カルツはそう尋ねながら、シュナイダーの隣の席の椅子に腰を下ろす。そういえば若林は、何日か前の練習試合で相手選手と接触した際に、いつも被っていた帽子をボロボロに傷めてしまっていた。そこに新しいキャップのプレゼント(しかもアディダス新作)をしたのなら、さぞかし喜んだに違いないのだが。 「もしかしてお前、『新しい帽子が欲しかったら俺とデートしろ』とか、言ったんじゃないのか?」 「そんな援助交際みたいな事、誰がするか!」 シュナイダーは心外だと言わんばかりに、顔をしかめる。 「帽子に俺からの愛のメッセージを、油性ペンで書いておいただけだ。『君に とこしえの愛を誓う。10年経ったら結婚しよう!』って。」 「けっこん!? ソレ、本当に書いたのか??」 「書いた。・・・一世一代の告白だったんだぞ! それなのに、若林の奴・・・」 嫌な事を思い出したらしく、シュナイダーは忌々しげに口をつぐむ。しかし続きを聞かなくとも、カルツにはその時の情景が目に浮かぶようだった。 「そりゃ怒るだろ。せっかくの帽子にワケの判らんラクガキがしてあったら」 「そんな事は無い。若林は日本を発つ時に、自分の帽子に友人から寄せ書きをして貰ってるんだ。その帽子は俺の宝物だと、嬉しそうに話していたのを聞いたから俺は・・・」 「早速真似したのか?」 なんて単純なんだと呆れるカルツに、シュナイダーは力説する。 「帽子に寄せ書きをされて喜ぶ男なら、帽子に愛のメッセージを書いて告白されたら、胸にズキーンと響くに決まっているだろう!」 「響かない響かない! 絶対響かない!!」 両掌を左右に振りながら、カルツが全面否定する。お別れの寄せ書きを今まで使っていた帽子に書いてもらうのと、新品の帽子にラクガキ(にしか見えない愛の告白)をされるのでは、全然違うとカルツに説明され、シュナイダーはある事を思い出す。 「そういえば、袋に入れたまま帽子を手渡した時は、すごく喜んでいたんだ。それが袋を開けて実物を見た途端、『こんなモン被れるか!』って俺に突き返しやがった」 「だろ?」 「喜んでもらえると思ったのに、あいつの態度があんまりだから、こっちもつい言い返したりして・・・」 「ケンカになったわけか」 シュナイダーが深く頷く。事情が判り、カルツはやれやれと肩をすくめる。 「で、どうするんだ? それって昨日の話だよな。今日の午後には、また練習で源さんと顔を合わせるんだぜ」 「そりゃ、出来たら仲直りしたいけど・・・俺から謝るのは嫌だな。俺は、好意で用意したプレゼントを一方的にけなされたんだぞ」 「まー、お前さんの気持ちも判らなくは無いけど」 カルツは話しながらチラッと壁の時計を見た。間もなく次の授業が始まる時刻だったので、勝手に座っていた席から腰を上げる。 「本気で仲直りしたいんなら、謝っちまった方がいいぞ。シュナイダーの方が立場は弱いんだから」 「俺の立場が弱い?」 シュナイダーが不審そうに聞き返す。自分と若林の立場は対等だと思っていたからだ。シュナイダーの怪訝な顔を見て、カルツがニヤニヤする。 「弱いだろ。『惚れた弱味』があるんだから」 「・・・・・・」 シュナイダーはムッとして、口をつぐむ。全くその通りなので、反論できないのだった。 この日の授業が全て終わった。生徒達はさっさと荷物をまとめ、ぞろぞろと教室から出て行く。この後Jr.ユースチームでの練習が控えているシュナイダーとカルツも、食事を摂るために一旦帰宅する。家が近いので、二人の帰り道は途中まで一緒だった。分かれ道に差し掛かったところで、カルツが言った。 「じゃあまた、練習でな。源さんに謝るんなら、今日は遅れない方がいいぞ」 しょっちゅう練習に遅刻するシュナイダーに、カルツがアドバイスがてら釘を刺す。シュナイダーは何も言わず、目顔で頷いて、カルツと別れた。 シュナイダーが帰宅したとき、家では妹のマリーが昼食のサンドイッチを頬張っていた。勤めに出ている母が、朝のうちに作り置きしておいてくれた物だ。シュナイダーもマリーの向かいに座ると、自分の分のサンドイッチをもそもそと食べ始めた。 すぐにマリーがシュナイダーに向かって、いつものように明るくお喋りを始めた。だがシュナイダーは、この後練習で若林に顔を合わせると思うと気分が塞いでしまい、気のない相槌を打つばかりだった。しかしマリーは兄が上の空なのに気付かないのか、楽しそうに話し続けている。 「・・・って言ったんだ。そしたら、なんだか急に可笑しくなっちゃってー。二人で大笑いしちゃった!」 「そうか」 「でも、それで仲直りできて、ケンカする前よりもっと仲良くなれたみたい。不思議だよね〜」 「そうだな」 「それからまた、一緒に遊びに行ったんだけど、そこで・・・」 お喋り好きの妹の口は止まらない。楽しげなマリーの声を聞き流しながら、シュナイダーは考える。 新しい帽子をプレゼントすると言ったとき、若林は実に嬉しそうだった。しかし、その帽子に俺が書いたメッセージが入ってるのに気付くと、明らかに落胆し俺に文句をつけてきた。自分がそれほど悪い事をしたとは思えないが、若林があんなに嫌がったところを見ると、若林にとっては不快な事だったんだろう。 (やはり俺から謝るべきか・・・『惚れた弱味』だしなぁ) 若林は俺に嫌われたとしても然程・・・いや全然平気だろう。しかし俺は、若林に嫌われるなんて耐えられない! カルツに言われた事を思い出しながら、シュナイダーは腹を括った。先に謝るのは『弱味』のある方。昨日の今日だし、こっちが素直に頭を下げたら、きっと若林も機嫌を直してくれる。 シュナイダーは皿に残っていたサンドイッチを、口に押し込みミルクで流し込んだ。そして食卓を離れると、手早く練習に行く支度を整える。いつもよりテキパキとした兄の様子に、マリーが目をぱちくりさせる。 「お兄ちゃん、もう練習行くの? いつもより早くない?」 「ああ。今日は少し早めに行くんだ。じゃあな」 若林が他の選手より早く練習場入りしている事を思い出しながら、シュナイダーは家を出た。 ロッカールームに入ると、丁度若林一人が着替えをしているところだった。遅刻魔のシュナイダーが定刻より早く来たのを見て、若林は驚いた様子だ。 「よう、シュナイダー。今日はまたえらく早いな」 「あ・・・うん。まぁな」 いつもと変わらぬ明るい調子で呼び掛けられ、シュナイダーは内心戸惑う。昨日の事があるので、わざと冷たい態度を取られるかもしれないと思っていたのだ。 「やっぱり、いつも遅く来てるのはただのサボりなんだな? 明日からずっとこの時間に来いよ」 若林に笑顔で言われて、シュナイダーはドキリとする。この時間に練習場入りしているのは、若林だけだ。つまり、『ずっとこの時間に来い』という事は、『これからずっと二人っきりで練習しよう=二人でいよう』という意味じゃないか!? 嫌われてるかと思いきや、むしろ好意的と受け取れる発言をされて、シュナイダーは嬉しくなる。若林は、もう怒ってないのか? だったら昨日の事をわざわざ蒸し返して謝らない方が、却っていいんじゃないか? 「あ、そうだ。シュナイダー、昨日の帽子の事なんだけど・・・」 胸の中で知らん振りを決め込んだ途端に件の話題を持ち出され、シュナイダーは慌てる。やはり無視するわけにはいかないらしい。詫びの言葉を言おうとシュナイダーが口を開きかけたが、それより早く若林が言葉を続けた。 「悪かったな、文句ばかり言っちまって。せっかくシュナイダーが新品の帽子まで用意してたのに。俺、そういうの疎いから、判んなかったんだ」 そう言うと若林は少々照れ臭そうに、頭をひょいと下げてみせた。昨日とは打って変わった殊勝な態度に、シュナイダーは驚きを隠せない。それもただ謝るのではなく、今の若林の言葉は・・・昨日の、俺の告白を判ってくれたのか!? シュナイダーの動悸が俄かに早くなる。そうだ。カルツも言ってたじゃないか。『先に謝るのは、惚れた弱味のある方』だと。若林は俺より先に謝ったんだから・・・俺に惚れてるんだ!! 「あの帽子は家に置いとくよ。さすがに外では被れないから」 若林の言葉に、シュナイダーはうんうんと頷いた。メッセージがストレート過ぎて、恥ずかしいのだろう。そういう照れ屋なところも、可愛いじゃないか。 「構わない。若林が、あれの意味を判って受け取ってくれた。それだけで満足だ」 「大袈裟だなぁ」 声を上げて笑いながら、若林は着替えを終わらせ、さっさと出入り口のドアへと向かう。 「俺、先に行ってるぞ。シュナイダーも早く来いよ」 まだ着替えの済んでいないシュナイダーは、大きく頷いて若林を見送った。昨夜から続いていた不快な気分が嘘のように吹き飛び、この場で踊りだしたいほどに晴れやかな心持ちだった。 「そういえば、昼飯の時にマリーがなんか言ってたな・・・そうだ。『仲直りしたら、ケンカする前よりもっと仲良くなれた』だっけ。本当にその通りだ!」 学校での仏頂面とは打って変わって、溢れ出る笑みを堪えきれずニヤつきながらシュナイダーは着替えを始めた。 シュナイダーを待つ間、若林はピッチでストレッチをしていた。身体を動かしながら、若林は昨日の事を思い出す。 新品のキャップを買い、それにわざわざラクガキして寄越すシュナイダーの意図がさっぱり判らず、からかってるのかバカにしてるのか、どちらにしても不愉快だと感じてシュナイダーに文句を言った。文句を言われたのが気に食わないらしく、シュナイダーは何やら意味不明な反論をしていたが、やがてラクガキ付き帽子を若林に押し付けると、ぷいと背を向けて一人で帰ってしまった。仕方が無いので、その帽子を家に持ち帰ったところ、保護者代わりのコーチの見上にそれを見られてしまったのだった。 「源三、その帽子は何だ?」 「ああ、今日シュナイダーが俺にくれたんです。でも、妙なラクガキがしてあるから使えないんですよ」 若林は見上に、事情を説明する。話を聞いた見上も首を捻っていたが、苦笑いをしながらある仮説を述べた。 「まぁ、メッセージの内容からして、ジョークなんだろうな。欧米人と日本人じゃ、ジョークのセンスが違うから思いっきり滑ってしまった訳だが。シュナイダーにしてみたら、新品の帽子を犠牲にして手の込んだ冗談を披露したつもりが、源三に受けなかったんで、決まりが悪くてついケンカ腰になってしまったんだろう」 「ケンカなんかしてないですよ」 若林はすかさず見上の言葉を否定する。 「ちょっと言い争いはしたけど、本気じゃないってお互い判ってるし。俺とシュナイダーは、こんな些細な事でケンカなんてしないですよ」 若林の言葉に、見上はうんうんと頷いた。 「まぁ、そうだろうが、シュナイダーはわざわざネタを仕込んだギャグが受けなかったんで、深く落ち込んでるかもしれんぞ。日本じゃ滑ったギャグには触れないのが人情だが、ここはドイツだし、明日は源三から一言言ってやった方がいい」 「そういうもんですか? 判りました、見上さん」 そして翌日、若林は見上の言葉に従ったのだった。 『せっかくシュナイダーが新品の帽子まで用意して(ネタを仕込んで)たのに。俺、(ギャグとか)そういうの疎いから、(どういうジョークなのか)判んなかったんだ』 若林がそう詫びた途端、シュナイダーの表情が見る見る明るくなったのを思い出し、若林はストレッチを続けながらもつい笑ってしまった。 「・・・それにしても、こっちの冗談って何が面白いのか判んねぇな〜。ギャグの意味を教えてくれ、って当人に聞くのは野暮だし。まぁ、シュナイダーは俺に冗談が通じたと思ってるみたいだから、このままでいいか」 ケンカをしたあと、仲直りできれば、ケンカをする前よりもっと仲良くなれる。 但し、この場合ケンカをしたと思っていたのはシュナイダーだけなので、この言葉が当てはまるのかどうかは、甚だ疑問である。もちろん若林が告白を受け入れてくれたというのもシュナイダーの誤解なので、10年後に二人が結婚しているという保証も何もないのだった。 おわり
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