ふ ふたりはナカヨシ
一日の練習が終わり、廊下はロッカールームに向かうハンブルクJr.ユースチームの選手達でごった返していた。但し、この人の流れの中には、練習場に居残って特訓をしているシュナイダーと若林はいない。ぶらぶらと人の列の最後尾を歩いていたカルツは、コーチの一人に背後から呼び止められた。 「君にちょっと聞きたい事があるんだ。悪いが、着替え終わったらミーティングルームまで来てくれないか」 「ワシに? はぁ、判りました。後で行きます」 「うむ。それじゃ、待ってるからな」 カルツの返事に頷くと、コーチはミーティングルームの方に向かって去っていった。たまたま傍にいて二人の会話を聞いていた選手が、不思議そうにカルツに話しかける。 「あのコーチに呼ばれるなんて、お前何やったんだよ?」 「何もしてねーぜよ」 「じゃ、何で呼び出し食らうんだ?」 「判らん。ワシが知りたいわい」 カルツを呼び止めたのは見上という、JFAから海外視察の形で派遣されて、ハンブルクJr.ユースチームの臨時コーチを務めている男だった。しかし見上はキーパーコーチなので、日頃の練習ではカルツと一切接触を持っていない。それが一体全体、カルツに何の用があるというのだろう? 不審に思いつつも、カルツは着替えを済ませてミーティングルームに足を運んだ。部屋に入ると、見上に勧められるままに椅子に座り、見上の言葉を待つ。 「実は・・・聞きたい事というのは、源三の事なんだ」 「源さんの?」 若林源三は見上が日本から連れてきた選手で、キーパーを務めている。見上はハンブルクJr.ユースのキーパーコーチであると同時に、若林源三の保護者代わりでもあるのだ。 「うむ。今日はチームのコーチとしてではなく、若林源三の保護者として、君に話を聞きたいんだ」 「はぁ・・・一体、何を聞きたいんすか?」 話が若林の事だと聞いて薄っすら見当がつかなくもなかったが、カルツはすっとぼけて尋ねた。 「実は、最近源三の様子がおかしいんだ」 やっぱりその話か!と思いつつ、仕事師の異名をとるカルツは無表情を保ったまま、見上に言葉を返す。 「そうすか? ワシにはどこもおかしくは見えないですけどねぇ」 「そうか? 君なら源三と親しいし、勘が鋭いから、何か気付いているかと思ったのだが」 見上の言葉に、カルツは楊枝を噛みながら何と答えたものかと考えた。 見上の指摘通り、最近の若林の言動は少しおかしい。そしてその理由をカルツは知っている。 若林は、チームメートのシュナイダーに告白され、交際を始めたばかりなのだ。 毎日口説き続けた甲斐あって、とうとう若林が付き合ってくれる事になった、とシュナイダーに聞かされた時、カルツは全く信じていなかった。カルツの見る限り、恋にのぼせているのはシュナイダーだけで、若林はサッカー以外眼中に無い様子だったからだ。 ところが、この話を聞かされた翌日からカルツが若林の様子を注視してみると、驚いたことにシュナイダーの言葉が本当らしいと判ってきた。 練習の最中にぼーっと何かを眺めている若林の姿を見つけ、その視線の先を追ってみると、そこには必ずシュナイダーがいる。 休憩時間になると、若林の方からシュナイダーに近付いてくる。もともと若林とシュナイダーは親しい間柄だから休憩時間に一緒にいてもおかしくはないのだが、シュナイダーに話しかける若林の目つきが前とは違う。 若林の瞳の輝きは、以前からシュナイダーが若林に向けていたそれと同じ物だった。 詳しい経緯は不明だが、どうやらシュナイダーは本当に若林と両想いになったらしい。 (それはまぁ、目出たい事だと思うけど・・・あいつら、周りが見えなくなってるんだよなぁ) 同性同士のチーム内恋愛であるから、人目を憚るべきだと当人たちも自覚はしているらしい。しかし付き合い始めたばっかりで一番浮かれている時期なので、本人達は隠せているつもりでもそこかしこにボロが出ている。いつか自分以外にも二人の関係に気付く者が現れるのではないかと懸念していたが、それが当たったようだ。保護者として若林に目を配っている見上には、若林の言動に色々と不自然な点が目に付くようになったに違いない。 カルツは逆に見上に探りを入れてみることにした。 「見上コーチは、何か気付いたんすか?」 「ああ。この間、源三が休憩時間にシュナイダーと話しているのを見たんだが・・・その、ちょっとスキンシップが過ぎるように見えてな」 見上が渋い顔で腕組みをする。 「シュナイダーが肩を組むようにしながら、源三の顔を抱き寄せていた。源三は人にベタベタするような性質じゃないから、すぐにシュナイダーの手を払いのけるかと思って見てたんだが、そのまま顔を近づけた格好でずっと話をしていた。よく見ると、源三の手はシュナイダーの腰の辺に、こう回されていてな。まるでカップルがキスする前みたいなポーズで妙な感じだった」 見上の言葉に、カルツは内心焦る。しかし動揺を表に出すことはなく、平然と言い放った。 「何かと思えば、そんな事ですか。源さんとシュナは仲がいいから、それくらいのスキンシップはおかしくないですよ」 「そうか?」 「ええ。日本人同士はどうだか知らないけど、ドイツじゃそれくらい友人同士なら普通ですって」 「ふーむ、そうか・・・」 カルツの言葉に頷きつつも、見上はまだ納得していないようだ。カルツは他にもフォローするべき事があるかもしれないと感じ、見上に他に変だと思ったことはあるのかと聞いてみる。 カルツに問われて、見上は大きく頷いた。 「ある。ロッカールームでのことだ」 ロッカールームと聞いて、カルツは嫌な予感がした。まさかあいつら、どうせ誰も見てないと思ってロッカールームで何かやってたんじゃ・・・!? 「源三に用があったんで、シュナイダーと居残り練習をしている筈の源三を捜しに行ったことがあった。しかし早仕舞いしたのか、練習場には誰もいなかったんで、ロッカールームに行ってみた。ノックなんぞはしないでドアを開けたら、中にシュナイダーと源三がいたんだが・・・」 「だが?」 「ドアを開けた途端、それまでぴったり寄り添っていた二人が、弾かれたように急に身体を離していた。俺の姿を見て、何事も無かったかのようにそれぞれ着替えを始めたが、何だかおかしいとは思わんか?」 「・・・・・・別に」 そういう時は内鍵くらい掛けとけ!と思いつつ、カルツは平静を装う。 「練習内容か何かで、内緒の相談をしてたんじゃないすか?」 「内緒の相談だって?」 「源さんもシュナも、サッカーに於いては人一倍熱心ですからね。コーチにも知られたくない秘密特訓のメニューを、こっそり相談してたのかもしれませんよ」 我ながら嘘臭い言い訳だと思いながら、カルツは説明する。案の定、見上はこの説明には納得出来ない様子だった。 「そうかな? そんな相談だったら、あんなに身体をくっつけて話す必要は・・・」 「で! 他に変な事はないんですか? 無けりゃ、ワシはもう帰らせてもらいますぜ」 先を促すことで強引に見上の言葉を遮ると、更に返事が返ってきた。 「ある! トイレの事だ」 「今度はトイレですか?」 「ああ。昨日の休憩時間の事だ。俺が小用でトイレに入った時、個室が一つ塞がってる以外、トイレには他に人はいなかった」 「・・・それで?」 「俺が小用を済ませた時に、丁度個室からシュナイダーが出てきた。タイミングが合っちまったんで、俺とシュナイダーは一緒にトイレを出たんだが、俺は洗面台にハンカチを置き忘れたのに気付いたんで、すぐにトイレに戻ろうとした」 カルツは無言で見上の言葉を待つ。何が起きたのか凡その見当がついたカルツは、必死になって上手い言い訳を考えている最中だった。 「すると、急にシュナイダーが俺を引き止めて、トイレに行かすまいとし始めたんだ。俺とシュナイダーは廊下で押し問答をする羽目になった。何でシュナイダーがそんな事をするのか訳が判らなかったんだが、この時俺はとんでもないものを見てしまった。・・・誰もいないはずのトイレから、源三が出てきたんだ。これがどういう事が判るか!?」 「さ、さぁ?」 「シュナイダーと源三はトイレの同じ個室に入っていた、という事になるんだぞ! 休憩時間に二人でトイレの個室に籠って、一体何をやっていたんだ?」 やっぱりそういう事だったかとカルツは内心で頭を抱える。個室の中で何をしていたのかは不明だが、あまりにも無用心過ぎる二人の行動を呪いながら、カルツは先刻考えた言い訳を話し始めた。 「それは見上コーチとシュナが出てきた後で、入れ違いに源さんがトイレに入ってたんでしょう。コーチはシュナと押し問答していたから、源さんがトイレに入るところを見逃したんですよ」 「それはない。俺とシュナイダーが揉み合っていたのは、トイレの真ん前だ。どこから源三が来たにしても、トイレに入る所を見逃すはずは無い!」 キッパリと反論されて、カルツは返答に詰まった。 「その場で二人に事情を聞こうとしたんだが、丁度練習開始時間になってしまってな。それっきり、話を聞きそびれてしまった。昨夜家で源三を問い詰めてはみたんだが、『自分は何も疚しいことはしていない』の一点張りで、どうも要領を得ない。君なら何か知ってるかと思ったんだが・・・」 「・・・買い被らんでくださいよ」 「なぁ、源三とシュナイダーの間には、何かあるんじゃないのか? カルツ、本当に何も気付いてないのか?」 流石の仕事師も、最早まともな言い訳は思い浮かばなかった。しかし自分の口から、実は二人が付き合ってるとは言いかねた。いずれはバレる事だろうが、自分の口から見上にバラされたと二人になじられるのは御免だった。 何か言わなければ! そして、この場を切り抜けなくては!! 「それは・・・・・・連れションですよ! あいつら仲がいいから、同じ便器を使ってたんですよ!」 「はぁ!? 連れションだと!?」 「そ、そう、連れションです! 日本人同士はどうだか知らないけど、ドイツじゃ仲のいい親友同士なら同じ個室に入って連れションするくらい普通ですよ。それじゃ、ワシはこれでっ!!」 それ以上質問されるのを恐れて、カルツはガタガタと慌しく席を立つとミーティングルームから逃げ出した。 「おい、カルツ! まだ聞きたい事が・・・」 見上は慌てて呼び止めたが、カルツは足を止めることなく廊下を走り去っていった。遠ざかるカルツの後姿を見送りながら、見上はポツリと呟く。 「・・・そうか。ドイツじゃ仲がいいと、同じ個室に入って連れションするもんなのか。正に異文化だな」 その後暫くは、カルツはまた見上に呼ばれるのではないかと気が気ではなかった。しかし見上がこの件で再びカルツを呼び出すことは無く、シュナイダーと若林の交際が見上に知られるのは、カルツが予想したよりもずっと先の事になるのだった。 おわり
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