て ていこうできない

 練習が終った後のロッカールームは、開放感も手伝っていつも騒がしい。特に今日は興奮気味に大声で話す者がいて、部屋中にその選手の声が響き渡っている。その選手とは離れたロッカーで着替えをしているシュナイダーや若林のところまで、話の内容は丸聞こえだった。
 シュナイダーと若林は、二人だけで毎日居残りして特訓を続けている。今日も本当ならもっと遅い時間に帰り支度をする筈だったのだが、たまたまフィールド整備があって居残りを許されなかった為、こうして皆と一緒の時間に着替えをしているのだった。自然に耳に入ってしまうので、シュナイダーも若林も着替えをしながら聞くともなしに彼の話を聞いている。
 「・・・カワイイんだけど気が強い子でさ、デートの行先でも何でもいつも彼女が決めちゃうんだ。何つうか、俺の事を彼氏っていうより、弟みたく思ってるみたい。で、俺としては自分が一人前扱いされてない感じで、ちょっと嫌だったんだよ」
 嫌だと言いつつ、その顔はニヤけている。本気で嫌がって、愚痴をコボしているわけではなさそうだ。話を聞かされる方ものろけ話だと見当をつけて、わざと話を混ぜっ返している。
 「あー、判る判る。そういう女はウザイよな」
 「ウザイ女の尻に敷かれて、お前も大変だな」
 「ウザイって言うな! 俺の彼女だぞ!!」
この台詞に周囲にがドッと沸いた。直接会話には加わっていないシュナイダーも、つられるように小さく笑みを漏らす。しかし若林の方は、どちらかといえば呆れ顔だ。
 「大声で何の話かと思えば、女のことか。つまらん」
サッカー以外の事には至って無関心な若林が、首を振りながら独り言のように呟く。若林が「彼女話」に少しも興味を示さない事に内心安堵しながら、シュナイダーは言葉を返した。
 「大方、彼女と付き合い始めたばかりで、はしゃいでるんだろう」
 先に着替え終わったシュナイダーは、騒いでいる連中の方に顔を向けた。仲間にひとしきりからかわれ、この話はもう終わりなのかと思いきや、まだ続きがあったようだ。またも大声で話し出すのが聞こえてきた。
 「でさ、俺もこのままじゃイカン!と思って、昨日はちょっと強く出てみたんだ」
 「マジ?」
 「『何でも自分で決めるな。俺が好きなら、俺の言う事を聞け!』って言ってやった」
気持ち反り返ったような姿勢で得意気に話すところに、すかさず茶茶が入る。
 「その一言が原因で彼女と破局した、ってオチか?」
 「違げーよ!! こっちが強く出てみたら、彼女が急に大人しくなっちゃってさ。いつもはキスどころか手も握らせてくれないのに、昨日は何でも俺の言う事聞いてくれてさ。彼女の意外な一面を見ちゃったって感じ? 向こうが全然抵抗しないから、俺もつい調子に乗って・・・」
 もともとニヤケていた顔が、いよいよだらしなく緩む。傍で話を聞いていた連中は、ここぞとばかりに大声でツッコミを入れた。
 「嘘つけーっ!!」
 「本当なら、もっと詳しく話せよ!」
 「詳しく聞きたい? しょうがねぇなぁ、モテない奴らは~」
ここから先は急に話し声が小さくなって、シュナイダーたちのところまでは話が聞こえなくなった。丁度若林の着替えも終ったので、シュナイダーと若林は連れ立ってロッカールームから出て行く。騒いでいる連中の傍を通った時、得意気に自慢している声がシュナイダーの耳に入ってきた。
 「・・・だからさ、気の強い子ほど押しに弱いって事さ。体験談だから、間違いないって!」
シュナイダーはロッカールームのドアを閉めた。騒がしい声は聞こえなくなり、廊下は急に静かになった。
 「女と会ってる暇があるんなら、もっと練習したらいいのに。勿体ねぇよなぁ」
若林がチラッとロッカールームの方を振り返りながら、シュナイダーに同意を求める。ああと頷きながらも、シュナイダーは心に引っ掛かるものがあった。それはさっきロッカールームで聞いたばかりの「体験談」だった。
 『こっちが強く出てみたら、彼女が急に大人しくなっちゃってさ。いつもはキスどころか手も握らせてくれないのに、昨日は何でも俺の言う事聞いてくれてさ。彼女の意外な一面を見ちゃったって感じ? 向こうが全然抵抗しないから、俺もつい調子に乗って・・・』
 『気の強い子ほど押しに弱いって事さ。体験談だから、間違いないって!』
 お調子者のチームメートが言う事だから多少誇張は混じっているかもしれないが、全くのデタラメではないだろう。・・・この話、自分と若林に置き換えても有効だろうか? さっきの話に出てきた彼女と同様、若林は気が強くて、何でも自分が先に立って事を進めるタイプだ。ならば若林も相手に強く出られたら、大人しくなって相手に従うのだろうか・・・?
 シュナイダーが長いこと若林に対しての恋心を打ち明けられず、募る想いを胸の中で持て余し続けてきたのは、下手に迫って若林に嫌われてしまうのを恐れての事だった。相手が大人しい性格だったら、多少強引に迫った方が上手くいくのかもしれないが、我の強い若林が相手では慎重にアプローチしないとダメだろう・・・と考えていたのだ。
 しかし先刻の体験談とやらを信じるなら、そうとも言い切れないらしい。
 (試してみよう!)
 「若林、これから後のことだが・・・」
 「ああ、公営のサッカー場に行こうぜ。前に居残りさせて貰えなかった時も、あそこで練習したしな」
 「いや、今日は練習は止そう」
 「えっ? なんで?」
若林が不満気に聞き返す。しかしすぐに笑顔を見せて、言い直した。
 「あ、シュナイダーは用事があるのか。じゃあ、俺だけ練習してくるよ」
 「そうじゃない。お前も今日は練習を止めるんだ」
 「?? どうして!?」
いつもなら積極的に練習に付き合ってくれるシュナイダーが、今日に限って妙な事を言い出したので、若林が不審げに聞き返す。
 「それは・・・俺が、今日は練習をしたくないからだ。サッカーよりも、その・・・」
強気に出なければと思いつつ、こんな人目につく所でいきなり愛の告白というのも唐突過ぎる。シュナイダーは一瞬言葉に詰まったが、やがて強い口調で言った。
 「サッカー以外にも、やらなければならない大事な事があるんだ! 今からお前の家に行くぞ!!」
 「今から、俺ん家に?」
 「そうだ!!」
ここぞとばかりに語気を強め、シュナイダーは若林をジロリと睨みつける。すると若林は渋い顔をしながらも、あっさり頷いた。
 「・・・わかった」
思いの外素直な返事が返ってきて、シュナイダーは驚く。強気に振舞ってはみたものの、内心では若林の機嫌を損ねてしまわないかとヒヤヒヤしていたのだ。
 (すごい! 本当に強気に出た方が効くんだ・・・)
 若林は保護者代わりのコーチと二人暮らしをしているが、この時間ならばまだコーチは家には帰っていない筈だ。今のうちに若林の家に行けば、若林と部屋で二人っきり。そこでなら、人目を気にせず俺の想いを若林にぶつける事ができる!  自分の気持ちを打ち明けたら、若林の手を握って、抱き寄せて、それからキスをして・・・
 戸惑い、恥らいつつも抗う事が出来ず、されるがままになっている若林を想像して、シュナイダーの動悸が早くなる。心なしか足取りが重くなった若林をリードするように、シュナイダーは先に立ってずんずんと若林の家へと向かった。
 先に歩いていたシュナイダーが若林の家の前まで来ると、若林は鍵を開けて中に入り、シュナイダーを客間に通した。
 「なんか飲物持ってくるから、テレビでも見てろよ」
そう言って台所へ向かおうとするのを、シュナイダーは腕を掴んで引き止める。
 「待て。そんなものはいらん。俺は、若林の部屋に行きたい」
 「えっ・・・そんなすぐに始めるのか?・・・」
腕を掴まれた若林が戸惑ったように口ごもるのを聞いて、シュナイダーのテンションは一気に上がった。
 今の台詞、もしかして若林は既に俺の気持ちを知っているのではないか!? 俺が何を言いたいのか、何をしたいのかをちゃんと判っていて、俺が行動を起こすのを心密かに待っていたのでは・・・
 (そうと判っていれば、もっと早く告白したのに・・・いや、今からでも遅くはない!)
 「ああ、今すぐにだ!」
 「いや、でも・・・先に休憩してからの方が・・・」
 「休憩は後! とにかく若林の部屋に通してくれ」
シュナイダーが強く言うと、若林はコックリ頷いた。練習や試合の時とは打って変わった素直な素振りに、シュナイダーはますます興奮する。若林はシュナイダーの手をやんわり解くと、溜息をついて言った。
 「・・・わかった。逃げてても仕方ないしな。俺の部屋に行こう」
諦めたように若林が呟くのを聞いて、シュナイダーは己の推測が当たっていた事を確信した。やはり、若林は俺の気持ちに気付いているんだ! そして今日が二人にとって記念すべき日になるのを予期しているのに違いない!!
 逸る気持ちを抑えつつ、シュナイダーは若林の後に続く。そして若林が自分の部屋にシュナイダーを招き入れた時、シュナイダーの理性は弾け飛んだ。若林の身体を後ろから抱き締め、彼の耳元に口を寄せる。
 「若林、俺はこの時をずっと待ってたんだ! 俺はお前のことが・・・」
 「うひゃひゃひゃ! シュナ、くすぐったいってっ!!」
若林が笑いながら首をすくめ、ジタバタと身をよじってシュナイダーの腕を振り解く。そして耳の辺りをくすぐったそうに掻きながら、シュナイダーに言った。
 「おい、ふざけんなよ! さっさと始めようぜ」
 「あ? ああ・・・」
若林が照れているのかと思い、シュナイダーはひとまず若林から離れた。すると若林はシュナイダーの肩を押すようにして、シュナイダーを窓際に置かれた机の前に押しやった。
 「んじゃ、そこに座っててくれ。さーて、最初は何から始めるか・・・」
シュナイダーを椅子に座らせると、若林は学校に持っていく鞄の中から教科書と問題集、そして問題がびっしり印刷された課題プリントを取り出した。何事かと眼を丸くしているシュナイダーの前で、若林は科目別にテキストとプリントをまとめて机の上に置いた。
 「どの科目も宿題を溜めちゃってて、マズイな~とは思ってたんだ。でも今日はシュナイダーが手伝ってくれるんだし、出来る限り終わらせるよ。シュナイダー、得意な科目ある? それから始めよう」
 シュナイダーの右隣に椅子を持って来た若林が、それに腰を下ろしながら訊いてきた。まさかと思いながら、シュナイダーは若林に尋ね返した。
 「・・・若林、もしかして俺に宿題を手伝えと・・・」
 「? そうだけど?」
キョトンとした顔で若林が答える。
 「だってシュナイダーが言ったんじゃないか。『サッカー以外にも、やらなければならない大事な事がある』って。サッカー以外のやらなければならない大事な事って、学校の勉強の事じゃないのか」
 「あ、あれはそういう事じゃ・・・」
 「違うのか? 俺が前に学校の宿題を溜めっ放しにしてる、って話した時に『俺でよければいつでも手伝う』って言ってくれたじゃん。だからてっきり『練習場が使えない時くらい、手伝ってやるから宿題をしろ』って意味だと思った」
 勉強が苦手なので、つい休憩を先にして取り掛かるのを遅らせようとしてしまったが・・・と言って屈託なく笑う若林に、シュナイダーは真剣な顔で迫った。
 「違うんだ、若林! 俺はそんな事をしにここに来たんじゃない!」
 「は? じゃあ何でだよ?」
首を傾げた若林の視線が、見るともなしに窓の外を向いた。すると窓の外に何かを見つけたのか、椅子から立ち上がって身を乗り出した。
 「あ、見上さんだ。今日は帰りが早いって言ってたけど本当だな」
 「ミカミ!?」
この時間は若林と二人きりだと思っていたので、シュナイダーは動揺する。若林の誤解を解き、これから改めて若林を口説こうと思っていたのに!!
 すぐに玄関ドアを開閉する音が聞こえてきて、見上が若林の部屋に顔を見せた。見上は予想外の来客に、少し驚いたようだ。
 「源三、帰ってたのか。自主トレをしてこないとは珍しいな。それにシュナイダーも一緒とは、今日は一体どうしたんだ?」
 「見上さん、お帰りなさい。今日はシュナイダーに手伝ってもらって、宿題を片付けようと思って」
 若林の殊勝な発言に、見上はそうだったのかと満足気に大きく頷く。それからシュナイダーに向かって話し掛けてきた。
 「源三はサッカー特待生という事で、宿題の提出期限も特別に遅らせて貰ってるんだ。しかしそれに甘えてるうちに、いつの間にか随分提出物が溜まってしまってな」
 「はぁ・・・」
見上の登場を快く思っていないシュナイダーの反応は鈍かったが、見上は大して気にも留めず言葉を続ける。
 「そうだ。今日は時間もあるし、俺も勉強を見てやろう。その方がはかどるだろう」
 「えっ・・・いや、それは・・・」
 「お願いします、見上さん」
シュナイダーが断りの言葉を考えるより早く、若林が嬉しそうに頭を下げていた。見上は別室から椅子を持ってくると、シュナイダーの左隣に置く。それに腰を下ろすと、見上はシュナイダーの向うにいる若林に声を掛けた。
 「で、どこまで進んだんだ。やってるのはドイツ語か? 数学か?」
 「まだ全然始めてないんです。シュナイダー、どうする?」
 「・・・いや・・・俺は・・・」
宿題を手伝いに来たんじゃない!と言いたかったが、それを言って当初の目的通り若林を口説き始めるのは、この状況下では自殺行為だった。今日のところは無駄な抵抗は止めて、若林の宿題を手伝うしかなさそうだ。
 それにしても、若林の宿題なのに何で俺が若林とミカミに挟まれて真ん中なんだ・・・と思いながら、シュナイダーは渋々と机上のドイツ語問題集に手を伸ばすのだった。
おわり