あ あきらめきれずに
(若林、元気がないな・・・)居残りの特訓を終えて、黙々とボールを片付ける若林を見ながらシュナイダーは思った。いつもは目を輝かせて練習に打ち込んでいる若林に、今日は何となく覇気が感じられない。いや今日に限った事ではなく、思い返せばここ数日の若林はいつもそんな感じだった。 体調が悪いのかと聞けば、何ともないという返事が返ってくる。実際怪我や病気はしていないようだ。だが明らかに若林の調子は悪い。シュナイダーには気懸かりでならなかった。 悩みがあるのかもしれない。それも軽々しく人に打ち明けられないような、深刻な悩みが。もし本当にそうだとしたら、こちらから根掘り葉掘り聞くのは、却って若林に負担を掛けてしまうかもしれない。ここは気付かぬ振りをして、若林の動向を見守るのが一番なのだろうが、そんな消極的な対処はシュナイダーには出来なかった。 練習場から引き上げる帰り道で、シュナイダーは若林に単刀直入に尋ねた。 「おい、何か悩みがあるんじゃないのか? 俺でよければ相談に乗るぜ」 「悩み?」 若林が苦笑する。 「俺が悩んでるように見えたのか。まぁ、あながち的外れでもないけど」 「やっぱり何かあったんだな? どうした?」 「シュナイダーに話しても仕方ない事だから」 それだけ言って、若林は話を切り上げてしまった。シュナイダーは、話すだけでも話してみろと食い下がったが、若林は首を横に振ってはぐらかし続ける。 だが別れしなに、一言だけ妙な事を言った。 「シュナイダー、二年もの間ありがとうな」 急に礼を言われて戸惑い顔のシュナイダーに手を振ると、若林はその場から駆け出して家のある方へと姿を消したのだった。 帰宅してからシュナイダーは若林の言った言葉の意味を考えてみた。 二年といえば、若林がチームに編入してから今日までの年数だ。シュナイダーは若林がチームに入った直後から、ずっと彼の個人的な特訓に付き合ってきたので、若林はその事について礼を述べたのだろう。 だが、何故急に? シュナイダーは二年といわず、三年でも四年でも若林が望む限り特訓に付き合う気でいた。そうして若林と出来る限り長く一緒に過ごし、ゆくゆくは恋人としてのお付き合いを始めたいという目論見がある。なのに、あんな風に礼を言われると、これが最後で二度と一緒に特訓できないみたいで落ち着かない。 (・・・・・・待てよ!?) 突如シュナイダーの脳裏に、二年前の記憶がまざまざと蘇った。それは見上コーチに連れられた若林が、初めてハンブルクJr.ユースの練習に合流したときの事だ。今と違い、当時の若林はチームメートから嫌われていた。虐め紛いの集中砲火式キャッチング特訓を受けさせられた若林が、音を上げずにボロボロになりながらも立ち向かってくるのを見て、彼らは忌々しげに陰口を叩いていた。 『ったく、うっとーしい奴だぜ』 『野郎、いつまでここにいるんだよ?』 『あのグラサンのコーチの任期が二年だっていうから、二年はいるんじゃねぇの?』 『ケッ! 二日で逃げ出すように、ビシビシしごいてやるぜ』 当時聞くともなしに聞いて何となく耳に残っていた会話を、シュナイダーは克明に思い出していた。 ・・・二年。そうだ、あの時からもう二年が経っていたのだ! 「まさか、まさか、若林とこれでお別れなのか!?」 シュナイダーはパニックに陥った。若林の特訓に付き合うようになったお陰で、シュナイダーはチームの中で若林と最初に打ち解ける事が出来た。今では単なるチームメートやライバルという関係を超えて、若林からは親友と見做されている筈だ。 だが、二人の関係はそれ以上には進んでいない。 毎日特訓はしているが、デートに出掛けた事は一度もない。 手を繋いだりキスしたり抱き合ったり×××したりした事もない。 焦って迫らなくても、時間を掛けて徐々に関係を深めていけばいいと思っていたのだ。 なのに、もうタイムリミットになっていたなんて!! シュナイダーは頭を抱えながら、次善の策を講ずる。 (若林が日本に帰ってしまっても、仲を深める事は可能だろうか・・・?) 毎日電話して、手紙を書いて、休みになったら会いに行って、そうやって努力を積み重ねていけば、いつかは・・・ しかしシュナイダーは頭を横に振った。毎日会っていた今でさえ、親友以上の仲にはなれなかったのだ。離れ離れになった途端、恋仲になれるとはとても思えない。第一、日本にはあの「ツバサ」がいる。事あるごとに目を輝かせてツバサの話を嬉しそうに語る若林が、日本に帰ったら一体どうなってしまうのか。 (俺と恋に落ちるより、ツバサとカップルになっちまう可能性の方が遥かに高い・・・) 悔しい事だが、そう考えずにはいられなかった。若林とツバサの仲が進展しないようにするには、自分が傍にいて目を光らせでもしない限り無理だろう。だがいくら若林が愛しいからといって、若林にくっついて日本に行く事は不可能だ。 こんな形で若林を諦めなくてはならないなんて。 若林をちゃんと口説かなかった過去の自分を呪いながら、シュナイダーはガックリと肩を落とした。 その翌日。いつもは練習に遅刻する事が多いのだが、若林と過ごせる時間があと僅かなのだと思うと居ても立ってもいられず、シュナイダーは早めに練習場へと向かった。ところがこういう時に限って練習場に若林の姿がなく、シュナイダーは落胆する。 「お〜、今日は早いな。どういう風の吹き回しだ?」 暢気に話しかけてくるカルツの両肩をガッシと掴んで、シュナイダーは問い詰める。 「カルツ! 若林はどうした!?」 「はぁ? 知らんぜよ。これから来るんだろう? まだ練習開始時間前なんだから」 「しかし、いつもだったら若林は、この時間にはもう来てるんだろう?」 「いつもはそうだが、たまには遅くなる事もあるんだろ」 シュナイダーが何故こんなに興奮しているのか判らず、カルツは面倒くさそうに肩を掴んでいる手を払いのける。シュナイダーはじりじりしながら若林の到着を待ったが、やってくるのは他の選手ばかりだった。そしてとうとう若林が姿を見せないまま、監督やコーチたちがピッチに姿を現した。 いや、やって来たのは監督とコーチたちだけではなかった。歩きながらキーパーコーチの見上と話をしているのは、紛れもなく若林だった。その様子を目敏く見つけて、カルツがシュナイダーをからかう。 「遅いと思ったら、今日の源さんはミカミコーチと同伴出勤だぜ」 「なんでコーチと一緒に・・・?」 シュナイダーの胸に言い知れぬ不安がよぎる。 監督はピッチの外に立つと、バラバラに散って各々準備運動を始めていた選手たちを大声で呼び集めた。全員集合したのを確かめてから、監督がおもむろに口を開く。 「今日は練習前に、みんなに言っておきたい事がある。実は二年間に渡って、指導に務めてくれたミカミコーチが日本に帰る事になった。今日はミカミコーチが練習に参加する最後の日だ」 選手たち、殊にキーパーたちの間にざわめきが広がる。監督に促され、一歩前に出た見上は大きな声で言った。 「監督の仰った通りだ。私は今日を最後に、ハンブルクJr.ユースのコーチを辞める。二年間君たちを指導してきたが、逆に私が君たちに教えられる事も多かった。ここで過ごした二年間は、私にとって極めて貴重な体験だった。皆に礼を言う。ありがとう・・・」 そして見上は自分の後ろに立っていた若林を手招きした。見上の隣に並んだ若林の肩に手を置き、見上が言葉を続ける。 「それから、私が日本から連れてきた、この若林・・・」 「行くな!!」 見上の言葉を誰かが大声で遮った。選手たちは驚いて、声の方を振り向く。 叫んだのは、選手たちの最後尾に立っていたシュナイダーだった。隣にいたカルツが、ぽかんとした顔でシュナイダーを見る。 「おい、シュナ。どうしたんだよ?」 シュナイダーはその質問には答えられなかった。見上が自分の挨拶に続いて、若林にも別れの挨拶をさせるのだと思い至った瞬間、考えるより先に声が出て邪魔をしてしまったのだ。 突然コーチの話を遮ったシュナイダーに、チーム中の注目が集まる。 こうなると、最早後には引けなかった。 シュナイダーは腹を括ると、好奇の目を向けてくるチームメートたちを掻き分けるようにして前に出た。そして若林の前に、すっくと立ちはだかる。シュナイダーは若林の顔を見据えて、厳しい声で言った。 「若林、行くんじゃない! お前はまだ、このハンブルクでレギュラーの座を勝ち取っていないじゃないか! 公式の試合にも殆ど出ていない。お前はまだ何も結果を出していないんだ。今、日本に帰ってしまったら、若林は尻尾を巻いて逃げ出したも同然だぞ!!」 本音は「まだ俺の恋人になってないじゃないか!!」なのだが、流石に皆の見ている前でそれを言うわけにもいかず、シュナイダーはスポーツマンらしい台詞でカッコよく若林を引き止める。だが、この発言を聞いた若林は目をぱちくりさせながら、困ったように見上の顔を見上げた。見上も困惑の表情を浮かべながら、シュナイダーに話しかける。 「あー・・・シュナイダー。源三はここに残るんだが・・・」 一瞬の沈黙。 その直後、シュナイダーと若林、見上を除いた全員が爆笑した。試合で活躍し賞賛を浴びる事は数あれど、物笑いの種にされる経験など皆無だったシュナイダーは内心で冷や汗をかく。それでも見上に向かって、知りたい事を再度確認した。 「おい、本当か!? 本当に若林は残るのか!?」 「ああ。だから私は『私はいなくなるが源三は残るから、これからも宜しく頼む』と挨拶するつもりだったんだ」 「じゃ、じゃあ、何で若林はあんな・・・??」 今度は若林に向き直り、シュナイダーが尋ねる。若林はきょとんとした顔をしていたが、すぐに何の話か気付いたらしい。きまりが悪そうに、やや小さな声で話し始めた。 「我ながらガキっぽいと思うから、あんまり言いたくなかったんだけど、実は俺、見上さんが帰っちゃうのがちょっと寂しかったんだ。その事ばっかり考えてたからか、最近は練習でも調子が上がらなくて。今日も、見上さんと練習できるのがこれで最後なんだと思ったら名残惜しくてさ、練習開始までずっと見上さんと話してたんだ」 「だから今日は同伴出・・・いや、ミカミと一緒に来たのか」 シュナイダーの言葉に若林が頷く。 「この二年間、本当にあっという間だった。で、昨日なんだけど・・・そういえばシュナは俺の為に、その二年間ずっと特訓に付き合ってくれたんだって思ったら、何か急にジーンときちゃってさ。ちゃんと礼を言わなきゃ、って思ったんだ」 「それで、あんな意味ありげな礼を・・・」 思わず苦笑するシュナイダーに向かって、勘違いさせるような事を言ってごめん、と若林が頭を掻きながら謝った。その照れ臭そうな笑顔を見ながら、シュナイダーは幸福感に浸る。 若林はドイツに残る。自分はまだまだずっと、この笑顔を見ていられるのだ。 「シュナイダー、源三を頼むぞ」 二人の会話に見上が割って入った。シュナイダーは任せろと言わんばかりの大きなアクションで、深く頷いて見せるのだった。 その後しばらくの間、シュナイダーのチーム内でのニックネームは「早とちり皇帝」「勘違い皇帝」になってしまったが、当のシュナイダーはそんな陰口など気にならないくらい舞い上がっていた。 (何たって今の若林には煩い保護者がついてないんだからな。若林と一歩進んだお付き合いをするチャンスだ!) それに、またいつ若林と離れ離れになる危機が訪れるか判ったものではない。焦りは禁物だが、今は保護者の監視の目もない事だし、積極的にアプローチをかけた方が得策かもしれない。 こうして今日もシュナイダーは、下心全開で若林の特訓に付き合うのであった。 おわり
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