さ ささやいて
シュナイダーがやや遅刻して練習場に姿を見せた時、他のチームメートは既に全員顔を揃えており、練習はとっくに始まっていた。皇帝サマの遅刻は今日に始まった事ではないので、シュナイダーが素知らぬ顔で練習に紛れ込んで来ても、今更なじったり冷やかしたりする者はいない。若林もシュナイダーが来たからといって特に注意を払う事なく、ゴールキーパーの練習エリアで他のGKと一緒にキーパーコーチの指導を受けていた。編入当初はチーム内で浮いていた若林も、今ではすっかり場に馴染んでいる。正GKのハンスとの間にあったわだかまりも、あの「タイマン勝負」の後は遺恨を残すことなく解消されたらしい。練習中の二人を見る限り、あれ以来揉めたり喧嘩したりしている様子はない。 それどころか、二人の仲はかなり打ち解けたようだ。 今も、コーチが他の選手に集中指導している合間に、ハンスが若林に何事か話し掛けていた。しかもただの立ち話ではなく、ハンスが若林の腕を取るようにして身体を密着させている。練習場に着くなり若林の姿を目で追っていたシュナイダーは、この有様を見て内心面白くない。 (ハンスの奴、馴れ馴れしく若林に触りやがって・・・!) シュナイダーの顔つきが見る見るうちに険しくなる。しかし当の若林はスキンシップを嫌がる素振りもなく、相手の話に素直に頷き返している。若林の真面目くさった表情から話題はサッカーに関する事だろうと察しをつけたが、それにしても見るからに仲が良さそうだ。若林に対して絶賛片思い中のシュナイダーは、こんな光景を目の当たりにして心穏やかではいられない。 (気にするな。同じポジションについている者同士で話が合うのは当然じゃないか。別にどうって事は・・・) 落ち着けと自分に暗示をかけつつ、食い入るように二人の様子を見つめていると、何気ない様子でこっちを向いた若林と目が合ってしまった。 「!!」 焼きもちを焼きながら二人を見ていた後ろめたさから、シュナイダーは慌てて斜め上を向き視線を反らす。しかしシュナイダーは、自分の反応が拙かった事にすぐに気付いた。 (せっかく若林と目が合ったのに、これじゃ俺が若林を避けているみたいじゃないか!) 俺の今の態度を、若林は不快に思ったのではないか? 不自然な方角を向いている顔はそのままで、シュナイダーが視線だけを恐る恐る若林の方に戻してみると、若林は顔をこちらに向けたままで横にいるハンスに何か話していた。 その表情に戸惑いの色が浮かんでいるのが判り、やっぱり変に思われてしまったとシュナイダーは悔やむ。すぐにでも若林の所に駆け寄って、さっきのは別になんでもないと弁明したくなったが、練習時間中に持ち場を離れてあんまり勝手な真似も出来ない。 いや、何も駆け寄るまでもない。ここから若林に手を振るなり、笑いかけるなりしてフォローしよう。 シュナイダーがそう思った矢先、今度は若林の横にいたハンスが顔をこちらに向けた。若林が何を見ているのか気になったらしい。若林だけがこっちを見ているのなら、いくらでもフォローのリアクションを取れるのだが、それをハンスにも見られるのだと思うとシュナイダーは明後日の方を向いている顔の向きを直す事すら出来なくなってしまった。 (ったく、とことん気に障る奴だ!) ハンスがこちらを見るのを止めたら、すかさず若林に向き直って手を振ろうと思い、シュナイダーはちらちらと目線だけをGKたちに向ける。するとシュナイダーがこちらの様子を窺っている事に気付いているのかいないのか、急にハンスが若林の顔に自分の顔を寄せた。 (!! な、何をする気だ!?) 頬にキスでもするのかとシュナイダーは焦る。 だがハンスは若林の頬ではなく耳元に口を寄せた。そしてそのまま何かを囁きかけている。最初くすぐったそうに首をすくめた若林は、ハンスに何を言われたのか明るく笑い出した。そして今度はハンスの顔に若林が顔を近付けた。若林もハンスの耳元で何かを囁いている。若林が顔を離すと、二人は顔を見合わせて笑った。 キスではなかったが、こんな親密そうな姿を見せ付けられて、シュナイダーは堪ったものではない。 (・・・・・・・・・なんなんだ! あの付き合い始めたばかりのカップルみたいなリアクションはーっ!!) ハンス『若林、愛してる』 若林『俺もだよ』 という安直なアテレコが浮かんでしまい、シュナイダーはチラ見だけでは我慢できなくって、とうとう身体ごとGKの練習エリアを向いた。 しかし若林とハンスは、もうこちらを見ていなかった。笑い声で二人の雑談に気付いたキーパーコーチが、彼らを自分の前に呼びつけて叱っている真っ最中だったのである。叱責を受けた二人が、その後は雑談も余所見もせずに練習に集中しているのを見て、シュナイダーは密かに胸を撫で下ろした。 しかしハンスと顔を寄せ合って楽しそうに話していた若林の姿が、どうにも気になって仕方がない。シュナイダーとて若林の居残り特訓に付き合ったりして、彼とかなり親密にしているつもりだったのだが、残念ながらシュナイダーは若林とあんな風に仲睦まじげにじゃれ合って話をした事はなかった。 (こうなったら、今日の居残り特訓で若林を問い詰めて、ハンスと何を話していたのか聞き出してやる!) 僅かな時間の間に極限まで溜まったストレスをボールにぶつけて発散させながら、シュナイダーは練習時間が終わるのをひたすら待ち続けるのであった。 「お疲れー」 「じゃあな。お先にー」 本日のトレーニングメニューもつつがなく終わり、選手たちは自主的に居残りをしているシュナイダーと若林に声を掛けながら練習場から引き上げて行った。 周りに人がいなくなったのを確かめてから、シュナイダーは若林をフェンス際に連れ出して詰め寄った。 「若林、今日ハンスと何を話してたんだ? そのせいでコーチに怒られてただろう?」 フェンスによっ掛かる若林の前に立ち塞がり冷ややかにそう尋ねると、ばつが悪そうに若林が苦笑する。 「お前、見てたのか」 「見てたさ。人前でこそこそ耳打ちなんかして、一体何の話だったんだ?」 「耳打ち? そんな事したっけ」 不審顔で呟く若林に、シュナイダーが畳み掛ける。 「とぼけるな。最初はハンスがお前の腕をこう、取って話していただろう? それから若林が俺の方を見て、ハンスも同じようにこっちを向いて、その後でハンスがお前の耳元に・・・」 説明しながら実際に若林の腕を取り、更に鼻息も荒く若林の耳元に顔を近付けたところで、若林がパッとシュナイダーから顔を離した。若林はしかめっ面でシュナイダーに文句をつける。 「やめろって! 鼻息が耳に掛かって気持ち悪りぃんだよ!!」 ハンスが同じ事をした時との反応の違いに、シュナイダーの心は深く傷ついた。しかし若林にそれを悟られてしまうのも癪なので、シュナイダーは無表情を保ちながら強い口調で若林を追及する。 「とにかく、何を話していたのか教えろ!」 「大した事じゃない。次の試合で俺とハンスのどっちが起用されるか、まだ何も言われてないからさ。その話をしてただけだ」 やっぱり話題はサッカーの事だと判って、シュナイダーは少しだけ安堵する。しかしまだ肝心な事を確かめていない。 「それだけじゃないだろう? ハンスとこそこそ耳打ちして、一緒になって笑ってたじゃないか。あの時は何の話をしていたんだ?」 「耳打ちして笑った時・・・あ〜・・・」 その時の事をやっと思い出したらしく、若林の顔が緩んだ。 「ハンスの奴がくだらねー冗談言うからさ。つい笑っちまって、それでコーチに見つかっちまったんだ。そんだけ」 「だから、その冗談の内容を聞いてるんだ!!」 「なんでそんな事聞くんだよ?」 困ったように眉を寄せながら若林が尋ねる。気になるからだと言い返すと、若林の表情は更に曇った。そしてもう忘れたと言って会話を打ち切ろうとしたが、シュナイダーは引き下がらなかった。若林の表情や態度から、本当に忘れたのではなくて隠しているだけだと察しをつけたからだ。 (ただの冗談なら俺に教えてくれたっていいのに、何故隠そうとするんだ!) シュナイダーの頭の中には、例の『若林、愛してる』『俺もだよ』のアテレコがエンドレスでリピート回転していた。こうなると若林の口から違う答を聞かなければ、どうしても納得できない。話を終わらせて練習に取り掛かろうとする若林を引き止めて、シュナイダーは尚も絡む。 「どうして隠すんだ! 俺に聞かれたくない話でもしてたのか!?」 「・・・・・・当たり」 あまりのしつこさに根負けしたのか、とうとう若林が口を開いた。 「ただの冗談だけどよ、聞いたらきっとシュナイダーは不愉快になる。だから言えない」 「ち、ちょっと待て、若林!」 俯きがちで申し訳なさそうに告げる若林の様子に、シュナイダーの胸に不吉な仮説が浮かんだ。 (俺が聞いたら不愉快になる、って事は・・・もしかしてハンスと二人で俺をコケにして笑ってたのか? まさか若林が俺の事を、そんな!?) 「・・・俺の事を笑ってたのか?」 「違う! いや、笑ってたのは事実だけど、別にシュナイダーをバカにしてるとかじゃなくって・・・!」 暗い顔になったシュナイダーを見て、若林は慌てる。 「判った、ちゃんと説明するよ。でも本当に悪気があったわけじゃなくて、ただの冗談だから・・・」 さんざん前置きをしてから若林は、ハンスとのやり取りを細かく丁寧に説明した。 ハンスと試合の事を話している時に若林がふと顔を横に向けると、シュナイダーがこっちを向いているのに気付いた。ところが丁度目が合ったと思った途端、シュナイダーは突然斜め上を向いて視線をそらしてしまった。その振り向き方があまりに不自然だった為、若林は呆気に取られる。 (なんだ、あいつ?) 奇妙に思ってついそちらばかりを眺めていると、話し相手のハンスがどうかしたのかと声を掛けてきた。 「別に。ただシュナイダーが何を見てんのかと思って」 この言葉に、ハンスも若林の視線を追うようにしてシュナイダーを見る。彼が首を後ろに反らすようにして虚空を眺めている姿に、ハンスは首を捻った。 「鳥でもいたのか?」 「判らん。始めはこっちを見てたみたいなんだけど、俺がシュナイダーの方を見たら、急にああやって空を見上げてずっとそのままだ」 「マジ? それってまるで・・・」 ここでハンスは急に小声になり、若林の耳元に口を近付けて続きを話した。 「モテない男が片想い中の女のコトこっそり見てて、相手に気付かれて挙動不審になった時みたいな感じ?」 耳元がくすぐったいのと、ハンスの例えが場違いで可笑しいのとで若林が首をすくめながら小さく笑う。若林に自分のジョークが受けたと思ったのか、ハンスは更に悪乗りした。 「どうする? シュナイダーが若林に片想いしてたら? 『若林、愛してる』とか言って」 台詞の部分はご丁寧にもシュナイダーに似せての声色だった。それが結構似ていたものだから、台詞のミスマッチと相俟って若林は笑いが堪えきれなくなる。自分も何か面白い事を言い返してやろうとして、咄嗟に考えた。 (『愛してる』って言われて『バーカ!』とか『ありえねー!』じゃ、当たり前過ぎるな。よし・・・) 若林はハンスの耳に口を当てると、わざと気取った口調で囁いた。 「俺も愛してるよ」 狙い的中、若林がこういう返事をするとは予期してなかったらしくハンスが声をあげて笑い出した。つられて若林も一緒になって笑う。そこでコーチに、無駄口を叩いているのを見つかってしまったのだった。 若林の話を聞き終わったシュナイダーは、むっつりと押し黙っている。よくよく見ると、歯で下唇をきつく噛んでいるのが判って、若林は内心で溜息をついた。 (やっぱり、いい気持ちはしねぇよな。話してる方は冗談のつもりでも、ネタにされた方は・・・) シュナイダーの粘りに負けて、つい正直にホモネタの冗談だと話してしまった事を若林は悔やむ。沈黙に耐えかねて、若林が大声で言った。 「ごめん、シュナイダー。怒ってるよな? 悪かった! ごめん!!」 「・・・・・・・・・いや、別に怒ってない」 やっとシュナイダーが口を開いた。 「その場限りの、他愛もない冗談だろ? 若林が変に隠すから気になっただけで、怒ってるわけじゃない」 「本当に?」 「ああ。だから気にしなくていい。練習を始めよう」 そう言って、シュナイダーはくるりと若林に背を向けた。若林に顔を見られる心配が無くなった途端に、シュナイダーの口元がにまにまとだらしなく緩む。 (そうかそうか。若林は俺に『愛してる』って言われたら、『俺も』って返してくれるのか〜) 若林は盛んに「ただの冗談だから」と力説していたが、心底嫌いな奴を想定していたら、冗談やネタでもあんな事は言わない筈だ。ある程度相手に好意を持っていなければ、冗談にせよこんな台詞は出てこないだろう。 シュナイダーの頭の中には、互いの顔を寄せ合い、耳元で『若林、愛してる』『俺も』の台詞を繰り返す二人の幸せ絵図が思い浮かんでいた。にやけた顔を若林に見られまいと顔を伏せ、足元のボールを眺めながら、シュナイダーはゴール前の若林に叫ぶ。 「それじゃ、始めるぞ!」 「おう!」 気持ちを切り替えたらしく、若林からは元気のいい声が返ってきた。 いつか近いうちに、若林が俺の耳元でその台詞を囁いてくれますように。そんな願いを込めながら、シュナイダーは右足を鋭く振り抜きボールを蹴った。 おわり
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