へ へいきだよ
ここはお馴染み、ハンブルクJr.ユースチームのロッカールーム。一日の練習を終えた選手達が、着替えをしながら例によって雑談に花を咲かせている。 「本当だって! 幽霊が出るんだってよ」 「嘘つけ。そんな話、聞いたことないぞ」 「悪い評判が立たないように、隠してるから知られてないだけだよ」 怪談もどきの話を持ち出したのは、チーム内でもお調子者で通っている選手だった。彼の実家は肉屋を営んでいる。彼はよく店の冷凍倉庫に、こっそりチームメイトを呼び込んでいた。屠殺されて無造作に吊るされた牛や豚を見せて、気の弱いチームメイトが怖がるのを見て楽しんでいるのだ。そういう性格なので、話を聞くほうもまたかという感じだった。 しかし怖い話というのは子供の興味を惹くもので、いつの間にやらかなりの人数が集まってきて、彼に話の続きを促していた。カルツに誘われた若林も、その中に混じっており、若林がいるのでシュナイダーも話の輪に加わっていた。 聴衆が増えたところで、おもむろに語られた内容は以下の通りである。 十数年前、ハンブルクJr.ユースチームにある選手が入団した。家族・親戚をはじめ、ご近所や、学校の友達・先生からも活躍を期待されていた彼は、皆の期待に応えるべく練習に励んだ。しかし練習、努力が必ず実を結ぶとは限らないのが、実力世界の厳しいところ。学校ではずば抜けてサッカーが上手い彼も、選りすぐりの選手が集うハンブルクJr.ユースチームの中では、さっぱり目立てなかった。それどころか、むしろ下手な部類だった。当然スタメンで試合に出る事はなく、控えとしてベンチ入りする事すらなかった。 しかし彼は諦めなかった。人一倍熱心に練習を積み、地道に努力を重ねた。そんな彼に、初めてチャンスが巡ってきた。ブレーメンJr.ユースとの練習試合を前日に控えたある日、レギュラーの間で些細な事から、取っ組み合いの大喧嘩が起こった。その結果、レギュラー数人が謹慎処分を食らってしまい、いつもならサブメンバーにも選ばれない彼にスタメン出場の機会が巡って来たのだった。 彼は喜んだ。そしてその日の練習が終わったあと、すぐに家に帰ろうとはしなかった。彼は帰宅途中にある、道路脇の公衆電話ボックスに入り、今まで自分を支えてくれた家族、友人、恩師らに次々と電話を掛けて、明日の試合のメンバーに選ばれた事を笑顔で報告した。 その電話ボックスに、暴走運転の大型トラックがフルスピードで突っ込んできた。ボックスは大破、彼は即死だった。 「でも、そいつは明日試合に出られる、っていう嬉しい気持ちのまま死んじゃったから、自分が死んだって自覚がないんだよ。それで、明日試合に出るつもりで、今もクラブハウスの中をウロウロしてるんだ・・・・・・」 話が終わった。話を聞いていたチームメイトたちは、口をつぐんだまま気味悪そうに顔を見合わせた。 沈黙を破ったのは若林だった。 「バカな奴だなぁ。浮かれて電話なんかしてないで、早く家に帰って明日の試合に備えていれば良かったんだ」 突き放したような言い方に、周りからは非難めいた声があがる。 「バカって・・・おまえ、結構キツイな〜」 「若林だって居残り練習したりして、レギュラーになったんだから、死んだ奴の気持ちとか判るんじゃねーの?」 「若林は、幽霊が怖くないのかよ?」 「怖いわけないだろう。幽霊なんていないんだから」 若林は事も無げに言った。若林があまりにもサバサバしているので、怪談話はそこで打ち切りになった。 (若林は幽霊が怖くないのか・・・) さすがに肝が据わっていると感心する一方、弱みのない相手は落としにくいよなぁなどと、怪談とは全く関係のない事をシュナイダーは考えていた。 その翌日。 シュナイダーは、休憩時間にカルツから話し掛けられた。カルツの話によると、昨日怪談をした奴が親しい連中と共謀して、大口を叩いた若林を脅かしてやろうと企んでいるらしい。 「ニセ幽霊で源さんを脅かして、怖がったところを見て大笑いしてやろうって手筈らしいぞ」 「くだらん。あいつらの考えそうな事だ」 「おまえ、今日は源さんと居残り特訓だろ? 気をつけた方がいいぜ」 どうせ大した悪戯ではあるまいと思いながらも、シュナイダーは情報提供してくれたカルツに礼を言った。 そしてその日の練習が終わった。シュナイダーはいつも通り、若林と残ってマンツーマン特訓をしていた。特訓中は別におかしな事は何もなく、シュナイダーはカルツに言われたことを暫し忘れていた。その居残り練習も終わって、ロッカールームに引き上げた時、若林が大声をあげた。 「あれっ!? 俺の荷物がないぞ??」 この言葉に、シュナイダーはカルツの言葉を思い出した。例のイタズラが始まったらしい。若林に事情を教えてやろうとして、ふとシュナイダーは考えた。 怖いものなしを自認している若林が、本気で幽霊を怖がったら・・・・・・ちょっと可愛いかも!? シュナイダーは悪戯の件は黙っていることにした。陳腐な発想だが、幽霊に脅えた若林が自分に抱きついてでもくれたらめっけものだ。 「別のロッカーじゃないのか。よく探せ」 「ロッカーはここだ。間違いない。クソッ、誰か嫌がらせしてやがるな」 過去にチームメイトといざこざの絶えなかった若林は、至極妥当な推測を立てた。シュナイダーは若林に近づいた。若林のロッカーを覗きこむとそこは空っぽで、床になにやらどろっとした赤黒い水溜りがあった。 「おい、それは血か?」 「そのつもりみたいだな。つまらん真似をしてくれるぜ」 若林は屈み込むと、水溜りに指を付けて液体の匂いを嗅いだ。 「うわ。絵の具かと思ったらホントに血だ。気持ち悪い事しやがる」 「ホントの血?」 悪ふざけにしても手が込んでいる。シュナイダーは顔をしかめた。 「とにかく、荷物を探してくるよ。先に帰っててくれ」 「いや、俺も手伝う」 ロッカールームを出て行く若林の後を、シュナイダーは慌てて追いかけた。 廊下に出た若林はシュナイダーに聞いた。 「どこに隠したと思う?」 「さぁ?」 シュナイダーが当てもなく首を巡らす。すると、廊下に点々と、血の跡がついていることに気づいた。ロッカールームに入る時には、こんな跡はなかった。悪戯にしても大した早業だ。 「あっちみたいだぜ」 「なるほど。よし、行こうぜ」 二人は血の跡を追って廊下を歩いた。血の跡は延々と続いており、やがて一枚のドアの前で途切れた。 「ここ、何の部屋だ?」 「さぁな。とにかく入ってみよう」 ドアノブを握ると鍵は掛かっていなかった。若林がバンッと勢いよくドアを開ける。 かび臭い、ひんやりとした空気が部屋から流れ出た。 その淀んだ空気の冷たさに、シュナイダーはかすかに寒気を覚えた。 そこはどうやら、事務関係の物置に使われている部屋らしかった。本棚には分厚いファイルが並び、壁際のデスクの上には紐で束ねられた書類が無造作に置かれている。部屋中が埃っぽくて、掃除も行き届いていない。見捨てられた感じの部屋だ、とシュナイダーは思った。選手たちはもちろん、事務員も普段はここに来ないのではないだろうか。 「俺の荷物はないな」 若林がキョロキョロと室内を見渡して言った。シュナイダーは見るともなしに、デスク上の書類を眺めた。重ねられた書類の束の一番上には、Jr.ユースチームのスタメンリストがあった。それは現在のチームの物ではなく、何代か前のチームのリストらしい。シュナイダーが知っている名前はひとつもなかった。 「・・・あれ?」 シュナイダーは不思議に思った。そのリストは選手名をペンで書き込んであったのだが、多くの選手の名前が棒線で消され、他の選手の名前に書き直してあった。ゴールキーパーに至っては、消して書き直した名前にまで棒線が引かれ、二重に名前が訂正されていた。 ふいに昨日聞かされた怪談が、耳元に甦った。 『レギュラー数人が謹慎処分を食らって・・・・・・いつもならサブメンバーにも選ばれない彼にスタメン出場の機会が・・・・・・しかしその後、彼は即死・・・・・・!!』 シュナイダーの背筋を、悪寒が走り抜けた。 これは、その当時のメンバー表か? 死んだ選手のポジションは、ゴールキーパーなのか? まさか、本物の幽霊が現レギュラーの若林を妬んで、こんなことを・・・・・・!? 若林がたたられる。そう思うと、シュナイダーはじっとしていられなかった。 「若林、出よう!!」 シュナイダーは大声で、若林を呼んだ。 「そうだな。ここに荷物はないし」 落ち着き払って返事をする若林の手首をひっ掴むと、シュナイダーは部屋から走り出た。若林が驚いて、手を引っ張られながら叫ぶ。 「シュナイダー、何を慌ててるんだよっ!?」 しかしシュナイダーは何も言わなかった。 廊下を走って、逃げるようにロッカールームに駆け込んだ。顔面蒼白のシュナイダーに、若林が尋ねる。 「なんなんだよ? おまえ、幽霊でも見たような顔してるぜ?」 「・・・・・・実は・・・」 さっき見たリストの事を話そうとして、シュナイダーはあるものに目を奪われた。 若林のロッカー。そこにはいつもどおり、若林のスポーツバッグが投げ込まれていた。シュナイダーの視線に気づき、若林は振り返って背後を見た。 「なんだ、もう返して寄越したのか」 バッグを手にして、底を見る。さっきの血がついていないか、確かめたのだろう。しかしバッグにもロッカーの床にも、血は残っていなかった。 あんなにたっぷり血溜りが出来ていたのに。 今はその痕跡すら残っていない。 シュナイダーの全身を、言い知れぬ恐怖が覆った。しかし肝心の若林は、荷物が戻ってきたのでさっさと着替えと帰り支度を始めた。やがて若林が言った。 「待たせて悪かったな。帰ろうぜ」 「若林・・・おまえ、何とも思わないのか? 怖くないのか?」 「え? だって怖いような事、何も起きてないし」 ケロッとした若林の態度に、シュナイダーは自分の見たものを説明しながら、大声で反論した。 「さっきの血を見ただろう! それが跡形もなく消えてるんだぞ!?」 「悪戯を仕掛けた奴らが、俺たちが部屋を出ている間に拭いたんだろう。その方が怖く見えるとでも思って」 「しかし、絵の具じゃなくて本物の血だったんだろう?」 「うん。でも、昨日幽霊話してたの、肉屋の息子じゃん。 あいつが悪戯の首謀者なら、本物の血ぐらい調達できるだろ」 「だが、俺が見た、あの部屋のスタメンリストは・・・」 「そんなの、いくらだって偽造できるって」 「じゃあ、悪戯を仕掛けた連中が、笑いながら種明かしをしに来ないのは何故だ!」 「それは・・・」 若林がちょっと困ったように、シュナイダーの顔を見て言った。 「俺じゃなくて、シュナイダーが怖が・・・いや、驚いてるから、当てが外れて出てこられないとか・・・?」 「う・・・」 若林の言葉にシュナイダーは焦った。言われて見れば、確かにハッキリ霊を見たわけでもなく、血の件もリストの件も若林の説明で納得できる。 怖がる若林の可愛い姿を見るどころか、自分が恥を晒してしまったらしい。急に黙り込んでしまったシュナイダーを慰めるように、若林が言葉を掛けた。 「あのさ、心配してくれたのは嬉しいけど、俺は全然平気だから」 「そうだよな・・・若林は幽霊なんて信じてないんだし」 「そうじゃなくて」 若林が、シュナイダーの顔を見て笑顔で言った。 「もし幽霊が出ても、シュナイダーが一緒だって思ってたから。だから平気だったんだ」 半信半疑で、シュナイダーは聞き返す。 「今の、本気で言ってるのか?」 「当然! 俺、シュナイダーのこと、頼りにしてるし」 この台詞は落ち込んでいたシュナイダーの気分を、天より高く持ち上げた。 「そ、そうだな! 二人でいれば、幽霊が出ようが槍が降ろうが大したことないな!」 「おっ、やっと元気になったな」 「初めから元気さ。手が込んだ悪戯だったんで、ちょっと驚いただけだ」 「全く、悪趣味な奴らだよなぁ〜」 それから二人は、明日になったら悪戯をした奴らを問い詰めてやろう、と話しながらロッカールームを出て行った。シュナイダーも若林も、悪戯を見破ってやったという得意な気持ちで一杯だったのだ。 翌日、「昨日は急用が出来てしまったので、悪戯はせずに帰った」と、首謀者だと思った選手に真顔で言い訳されるまでは。 おわり
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