天気が悪いわけでもないのに屋内練習場に集合する指示を受け、ハンブルクjr.ユースチームの面々は一様に不思議がった。その疑念は、練習場に足を踏み入れると同時に更に大きくなった。
一方のゴールマウスの前にブルーシートで作られたようなテントが設置されており、そのテントを白衣姿の見慣れぬ大人たちが何人も出入りしている。ドイツ人ばかりでなく、アジア系の顔立ちの人間も複数いた。その中にスーツ姿の男が一人だけおり、どうやらこの場の責任者らしい。他の者に指示を出したり報告を受けたりしている。普段の練習とは明らかに違う、何やらものものしい雰囲気に選手たちはざわついている。
「なんなんだ、ありゃ?」
楊枝を噛みながらカルツが傍らのシュナイダーに尋ねる。しかし問われたところでシュナイダーにも、何ひとつ事情は判らない。仕方なく憶測で返事をする。
「さぁな。しかし屋内練習場の中に更にテントまで張ってるんだ。あまり人目につきたくないものが、あの中にありそうだ」
「シュナイダー、鋭いな…」
そう答えたのはカルツではなく若林だった。青いテントの方を見遣りながら、どことなく浮かない表情だ。若林の視線につられるようにテントを見ると、ちょうど中から出てきた白衣のアジア系男性が笑顔でこちらに手を振るのが見えた。そしてそれに応じるように若林が軽く頭を下げる。
「若林、知り合いか?」
「んー…俺の知り合いっていうか、俺の実家が持ってる会社の人たちだから…」
「ゲンさん、何か知ってんのか?」
カルツがそう尋ねたタイミングに重ねるように、監督が選手たちに大声で呼びかけた。
「みんな、静かに! 今日の練習は少し特殊な内容になるから、ちゃんと説明を聞くように!」
それだけ言うと後方に控えていたスーツ姿の男性に場を譲る。男性は笑顔で挨拶し、自分たちはドイツと日本の企業が共同で進めているロボット開発チームの者だと名乗った。長ったらしい説明を要約すると、将来介護やサービス業など様々な分野に応用活用されるであろう人型ロボットの研究開発をしており、その試作品のひとつである「スポーツが出来るロボット」の作動テストをここで秘密裏に行うらしい。
「ロボットにはゴールキーパーをやらせるので、皆さんにはロボットの対戦相手をつとめて貰います。実はこのロボットには皆さんの仲間であるワカバヤシくんに協力頂いており、彼の身体データを基にプログラミングしているのです」
人型ロボットの作動テストと聞いてから選手たちの間に広がっていたざわめきが、若林の名前が出たことで一際大きくなった。
「ワカバヤシのロボット版ってこと?」
「どんなんだ?ロボコップみたいな奴か?」
「どーだろ?茶筒に手足付けたような手抜きデザインだったりして」
「全然ワカバヤシっぽくないじゃん」
「アディダスキャップ被せたらいいだろ」
「メカ林だな!」
「いや、ロボットだからロボ林!」
「実は、センサーでシュートに合わせてゴール前を高速移動する人型の板に、ワカバヤシの顔写真貼ってるだけだったりしてな~」
ロボットに若林のデータが使われていると聞き、座が一気に盛り上がっている。
「本当のところ、どうなんだ?どんなロボットか若林は知ってるんだろう?」
シュナイダーの問い掛けに若林は首を横に振る。
「俺は体力テストのやたら細かい奴みたいなのをやらされただけで、ほかの事は何も……大体、実家絡みで頼まれたから協力したけど、ロボットに俺のデータが使われてるってのがそもそも気に食わん」
「なんで?カッコいいじゃん!」
浮かれた声で会話に割り込んできたハンスに向かって、若林がため息をつく。
「カッコいいより、不気味じゃねぇか?もし凄く精巧なロボットだったら、自分のコピーが作られたみたいだろ」
「試作品だって言ってるし、多分そんなリアルな代物じゃないさ。気にするな」
シュナイダーがそう励ますと、若林はそれもそうか、と頷きやっと笑顔を見せた。若林の表情が和らいだのでシュナイダーもホッとする。
(それにしても、ロボットの若林とはな…妙な話があったもんだ)
選手たちが騒ぐのを余所に、白衣の男たちは青テントの撤去を始めていた。テントの中にあった簡易デスクやモニター類などの機器も運び出され、徐々にゴール前がすっきりと片付いていく。その様子を見ていた選手たちが大声を上げる。
「見えたぞ!あれがロボ林だろ!?」
「どれ!?」
「あっ!いた!」
白衣姿の人々が忙しなく動き回る中、一人だけすっくと立ったままの人影があった。外見的にはロボットらしい部分は一切見当たらない。
微動だにしないのが不自然と言えば不自然だが、それ以外は普通の人間と変わらない風貌だ。
小柄でゴールキーパーユニを身に着け、アディダスキャップを被っている。その顔立ちは遠目に見ても若林と瓜二つだった。
「すげぇ!ワカバヤシにそっくり!」
「あれ、本当にロボット!?」
(信じられん…本当に若林がもう一人いるみたいだ…)
予想外のビジュアル再現度の高さに、シュナイダーは動揺する。どんなに高性能で精密なロボットだったとしても、外観は生身の人間とはかけ離れていると思っていた。なので若林のデータが使われたロボ林だと聞いても冷静を保っていられたのだが……
(確かにあれじゃ若林はいい気持ちしないだろうな。しかし、あんなに似ているなら、本人が嫌がる事の身代わりをロボットが務められるんじゃないか!? 具体的にいうと、俺はこないだ若林にスキンシップで抱きつき更にキスしようとして思いっきりボディーブロー喰らったわけだが、確かロボットは人間に危害を加えない筈、つまりロボ林ならハグでもキスでもそれ以上の事でも何でも許してくれるわけで……)
「何だ、あれ?似せ過ぎてて気色悪りぃ」
若林愛しさが拗れてヤバい方向に思考が進みかけていたシュナイダーは、若林のイラついた声で我に返った。
「そ、そうだな。あんなに似せる必要ないよな、うん」
慌てて相槌を打つが、内心ではロボ林が気になり始めて仕方ない。ロボ林の隣にはスーツ姿の男が立ち、にこやかにロボットの説明を始めている。チームメートたちは自然と彼らを囲むように集まり、話を聞いていた。若林は不貞腐れた様子だったが、シュナイダーはポーカーフェースを装いながら熱心に耳を傾けている。
「……の最先端技術を活用し、人間の皮膚そっくりに再現出来たわけです。何故そこまで人間に似せるかと言うと、介護業務などデリケートな仕事に就かせる事を視野に入れて機械らしさを極力排除することも、我々が行っている開発目標の一つだからです。ワカバヤシくん、ちょっとロボットの横に並んで立ってくれないか」
指名を受けて若林が渋々とロボットに並ぶ。ロボットは無表情で目にも生気がないが、帽子を被っているせいでそうした点はあまり目立たない。パッと見は双子がいるようで、チームメートらは面白がる。
「すっげー似てる!ワカバヤシが怪我とか病気しても、ロボ林出せばバレないんじゃね?」
「っつーか、ロボットなんだからワカバヤシより凄いかも!PK阻止率100パーセントとか?」
「じゃ、レギュラーはロボ林でいいな」
「…お前ら、本気か?」
ゲラゲラ笑うチームメートを、若林が苦虫を噛み潰したような顔で睨む。不機嫌な若林をなだめるように、スーツ姿の男は笑顔で説明を続けた。
「本当にワカバヤシくんの代わりが務まるほど、ロボットにサッカーが出来るのか?
それを今日ここでテストするんですよ。選手の皆さんには、このロボットキーパーが守るゴールに向けて、PKの要領でシュートして貰いたいんです。誰か志願者は……」
するとその場にいた選手の半分ほどが、元気よく名乗りを上げた。最新のロボット相手にサッカーをするなど滅多にない機会なので、みな期待に顔を輝かせている。残り半分の選手は遠くから慎重に事の成り行きを見守っている風だった。その中にはシュナイダーやカルツ、ロボットのモデルである若林も含まれている。
「ま、お手並み拝見だな」
シュナイダーと若林の肩の間から顔を出すようにして、カルツが冷やかし口調で言った。
最後の点検らしきものが行われ、白衣姿の男たちがピッチから離れた。ゴール前には若林ならぬロボ林だけが残される。
ペナルティエリア内には既に一番手を務める選手が待機しており合図を待っていた。一方のロボ林はシュートにそなえる気配はなく、ゴール前で棒立ちのままである。
「あんなんで、シュートに反応出来るのか?」
カルツの呟きに、シュナイダーも若林も同感だった。
ホイッスルが鳴った。
キレのあるシュートがゴール左隅を目がけて飛んでいく。
が、次の瞬間。ボールはキーパーに両手でしっかりキャッチされていた。屋内練習場にどよめきが広がる。
「は、早えぇーっ!」
「よく間に合ったな!人間業じゃないぞ!」
「さすがロボット!!」
その後何人もの選手が交代してシュートを蹴ったが、ロボ林はその全てを防いでいた。際どいコースを狙われても、威力のあるシュートを打ち込まれても、全く危なげなくキャッチする。取りこぼしてボールを弾くことすらなかった。まさに100パーセントの防御率だ。しかし無表情に棒立ちの姿勢から瞬時にシュートコースに移動するので、何とも異様な光景でもあった。
「これはすごい!ちゃんとセービング出来てるじゃないか。しかも予想以上の好成績だ!」
モニターを覗き込みデータを確認している白衣姿の研究員たちに、スーツの男が機嫌よく声を掛ける。それから選手たちに向かって叫んだ。
「皆さん、どんどん挑戦して!データは多ければ多いほど、今後の研究に役立ちます!」
この呼び掛けに応えるように、志願していなかった選手もシュートを打ち始めた。しかし誰一人としてゴールラインを割ることが出来ない。楊枝を吐き捨てたカルツの本気のシュートすらも、ロボ林は易々と防いでみせた。
「マジかよ?」
呆気に取られた顔でカルツがぼやく。その様子を険しい表情で見つめていた若林が、シュナイダーを振り返った。
「シュナイダー、蹴らないのか?」
「俺?」
実のところシュナイダーは迷っていた。ここまで鉄壁のセービングを見せているロボ林に、自分も挑戦してみたい。そう思うのと同時に、相手が人間の能力を凌駕した高性能ロボットである事を今までの結果から充分理解していた。勝ち目のない勝負に挑んだところで…というシュナイダーらしからぬ、ネガティブな思考も生まれていたのだった。
そんなシュナイダーの逡巡を吹き飛ばすように、若林が大声を出す。
「シュナイダーなら、あいつからゴールを奪えるだろ? 行けよ!」
「そうだ、まだシュナイダーが残ってるじゃないか!」
「頼む、シュナイダー!俺たちの仇を取ってくれ!」
若林の声に、他のチームメートも賛同する。最早後には引けない空気だった。シュナイダーは皆に向かって頷くと、ウォーミングアップを始めた。
(若林の身体データを基に動いているロボットか…)
生身の若林相手のPK勝負なら成績は五分五分、いやゴールを決めた数の方が僅かながら多いくらいなのだが、果たしてロボ林に通じるかどうか。
そんな事を考えながら、シュナイダーは研究チームの詰所のようになっている簡易デスクの傍を通ってピッチへ向かった。背後から嬉しそうな大人たちの話し声が耳に入ってくる。声を落としているが、シュナイダーには会話内容がハッキリ聞き取れた。
『…完封とは大したものだ。基本になってるワカバヤシの能力データが高いからか?…』
『…ロボットの成績は、ワカバヤシの実績より遥かに高いですよ…』
『…生身の人間では活かしきれない潜在能力も、ロボットなら実現出来るから…』
『…つまりは、人間のワカバヤシより、ロボットのワカバヤシが上ってわけか…』
シュナイダーは声の方を振り返った。視線の先にはモニターを見ながら談笑しているスーツの男と、部下である白衣の研究員たちがいる。その笑顔がとてつもなくシュナイダーの神経を逆撫でした。胸の中で怒りの炎が沸々と燃え上がる。
(若林よりロボ林が上だと?あいつら、何も判ってない!)
その時、高らかにホイッスルが鳴り響いた。
「いけー!シュナイダー!」
「がんばれーっ!」
「シュナイダー!俺のニセモンなんかに負けるなーっ!」
チームメートの声援、特に若林の声がシュナイダーの闘志を奮い立たせた。
相変わらず無表情に立ち尽くすロボ林目掛けて、シュナイダーが渾身のシュートを放つ。
「HA!」
「ファイヤーショットだ!」
若林が叫ぶ。その横でカルツが焦った声で言った。
「キーパーの真正面じゃねーか! あれじゃキャッチされるぞ!」
その言葉通りロボ林は真っ向からガッチリとボールを受け止めていた。
……が、キャッチしたボールの勢いに押されて、そのままどんどん後退っていく。
「おお!? ロボ林が押されてる!」
「倒れるぞ!」
ガシャーン!
金属的な音を立てて、ロボ林が仰向けに倒れた。ボールをキャッチしていた両腕が肘からもげており、白煙が立ち上っている。零れたボールはゆっくりと転がり続け、静かにゴールネットを揺らして止まった。その瞬間、屋内練習場に歓声があがる。
「うおぉぉー! シュナイダー、やったぁぁー!」
「ロボ林からゴールを決めたぞー!」
「さすが、シュナイダー!」
「若き皇帝の名は伊達じゃないぜ!」
「莫大な経費が掛かってるロボットがぁー!!」
最後の一言は頭を抱えたスーツ姿の男が発したものだった。シュナイダーは男に近づくと、冷たい目で言った。
「俺は若林と何回も勝負してる。勝つことも負けることもあるが、若林は勝負に負けたからってぶっ壊れたりしないぜ」
「え? 君、いったい何を言って…」
不審げな男にシュナイダーは言い放つ。
「ロボ林より、若林の方が上だ。忘れるな」
シュナイダーの言葉を理解したのかしないのか、男は目を白黒させながら煙を上げて倒れているロボットの様子を見に行くのだった。思わぬ緊急事態に選手たちは屋内練習場を追い出され、その後は監督やコーチの指示により普段通りの練習が行われた。
「いや~今日は面白かったな!」
「ロボ林を修理したら、またテストプレーしに来るかな?」
「来ないだろ? 何回も高額なロボットをシュナイダーに破壊されたら大変だ」
ワイワイ騒ぎながら引き揚げていく選手たちの最後尾をシュナイダー、カルツ、そして若林が歩いている。カルツと若林も唯一ロボットに勝ったシュナイダーの活躍を称えていた。特に若林の表情は晴れ晴れとしていて、実に嬉しそうだ。
「やっぱりシュナイダーは頼りになるな。お陰でスッキリしたぜ!」
「ゲンさんは自分そっくりのロボットが壊されて、嫌な気分になったりしないのか?」
「なるわけないだろ? 偽物がいなくなっていい気分だ」
楽しげに話している若林を見て、シュナイダーも嬉しくなる。壊れたロボ林をあたふたと回収していたロボット開発チームの連中には気の毒だが、若林を見下すような事を話していた奴らが悪い!
…と、思ってはいるのだが、正直シュナイダーの胸には幾ばくかの罪悪感も生まれていた。失礼な開発チームの連中にではなく、ロボ林そのものに対しての罪悪感だ。何しろロボットの容貌があまりにも若林に似ているので、両腕が千切れた状態で倒れている姿の視覚的ダメージが半端なかった。あれはロボットで、そもそも壊したのは自分だと判っていても、若林が大怪我をしているようなビジュアルは見ていて辛いものがある。
駐車場の脇の道を通って敷地外に出ようとしたとき、シュナイダーはそこに見慣れない車が数台駐車されているのに気付いた。そのうちの一台は特に大型の車両で、救急車のように後部が観音開きになるタイプの車種だ。その車両から、男が一人降りてきたかと思うと駆け足で屋内練習場の方へ向かっていく。その男の顔に見覚えがあった。先ほどのロボット作動テストの時、白衣を着てモニターを見ていた男だ。
(…ってことは、あの車は全部ロボ林開発チームのか)
とっくに引き揚げたと思ったが、まだ残っていたらしい。おそらくあの特大の車両にロボ林を乗せて運ぶのだろう。
(ここで待ち伏せていたら、最後にもう一度ロボ林を見られるかもしれない)
そう考えてシュナイダーは少し前を歩く若林とカルツを引き止めようとした。しかしすぐに考えを改める。
若林はロボ林に対して不快感を持っている。おそらくロボ林をまた見たいとは思うまい。誘ったところで不機嫌にさせてしまうのがオチだ。カルツと会話が盛り上がってるようだし、二人はこのまま帰して自分だけ残ろう。シュナイダーは二人に向かって言った。
「忘れ物を思い出した。悪いが、先に行っててくれ」
「忘れ物?だったら待ってようか?」
「いいんだ。先に帰ってくれて構わん」
「シュナがああ言ってるんだ。行こうぜ、ゲンさん」
カルツに促され、若林もそれじゃあと手を振って去って行った。二人と別れたシュナイダーは、さっそく駐車場に入り込む。特大車両に近づきその後部ドアに手をかけてみた。開くまいと思っていたのだが、予想に反してロックは掛かっていなかった。細く開けた隙間から、シュナイダーはそっと中を窺う。
車内壁面を覆うたくさんの機器類に囲まれるようにして、寝台が設置してあるのが見えた。そこに誰かが横たわっている。シュナイダーは扉を大きく開け、車内に乗り込んだ。寝台を覗き込むと、そこにいたのは案の定ロボ林だった。しかも…
「目、閉じてる…瞼まであるのか」
生気を宿さない無機質な瞳が閉じられているせいで、ピッチで見た時より更に若林に似ていた。体にはシーツのようなものを被せてあるので、腕がない事はパッと見では判らない。
まるで若林が眠っているようだ。これは単なるモノだと理解しているのに、無防備な若林の寝込みを襲っているようなドキドキした気持ちが湧いてくる。その異様な興奮に後押しされるように、シュナイダーはロボット相手に話し掛けてしまっていた。
「若林…じゃなくて、ロボ林、さっきはすまなかった。壊す気はなかったんだ。大体、俺が若林に危害を加えたいと思うわけないだろう?俺は若林の期待に応えたくて、それから若林を軽く見てる奴らに腹が立って、それでお前と対戦しただけで…」
自分でも何を言ってるのかよく判らなくなっている。違う。俺は若林にこんな事を言いたいんじゃない。
シュナイダーは寝台に手をつき、仰向けに目を閉じているロボ林の顔を間近に覗き込んだ。
似ている。
本当に若林の寝顔を見ているみたいだ…
「若林、愛してる…」
そう呟くとシュナイダーは自分の唇を、相手の唇へと近付けた。
「シュナイダー、何やってんだよ!?」
背後からの大声に、シュナイダーは弾かれたように飛び上がった。
振り返れば開け放たれた後部ドアのすぐそばに若林が立っており、唖然とした表情を浮かべている。シュナイダーはパニックに陥った。
「わ、若林!なんでここにいる!帰ったんじゃないのか!」
「カルツは帰ったけど、俺はシュナイダーと帰りたかったから戻ってきたんだ。それよりお前…」
若林がドアに手を掛けて中に乗り込んできた。寝台と機械類のせいで狭くなっている車内で、シュナイダーと若林の身体が密着する。寝台に横たわるロボ林を見下ろしながら、若林が再度尋ねた。
「シュナイダー、何やってたんだ?」
「そ、それは…その…」
リコーダーをこっそり咥えてたとか、体操服の匂いを密かに嗅いでいたどころの騒ぎではない。当人に瓜二つのロボット相手に告白しながらキスを仕掛けていたのだから、言い訳のしようがない。
「シュナイダーさぁ…こないだドサクサに紛れて、俺にキスしようとしたよな?」
「あ!?あ~、うん…そんなこともあったかな…」
前科まで持ち出され、最早シュナイダーは生きた心地がしない。若林の顔を見られなくて、不自然に顔を反らす。すると若林の手がグイッと伸びてきて、シュナイダーの顔を強引に向き直らせた。今日は顔を殴られるかと思い、シュナイダーは無意識に歯を食いしばる。そして若林の顔が近づいてきたかと思うと…
チュッ…
軽い音と共に、唇に触れる柔らかい感触。
(……………え?)
呆然とするシュナイダーに、若林がぶっきらぼうに告げる。
「お前なぁ、そんなにキスしたいんなら、ちゃんと言えよ!何もロボット相手に、その、キスとかおかしいだろうが!」
そう言う若林の顔は真っ赤で、耳まで朱に染まっている。若林のこの反応、これは、これはもしかして…?シュナイダーの表情が見る見るうちに明るく輝きだす。
(若林が自分から俺にキスを? しかもちゃんとキスしたいって言えば、させてやるって言ったよな? つまり若林は俺の事を好…)
「今日は特別だからな!誕生日だから、特別!」
シュナイダーの胸に広がりかけていた甘い幻想を、若林が大声で打ち砕いた。
「お前が本気でキスしたがってるって判ったから、特別に誕生日プレゼントしてやったんだ!それだけだからな!」
「あのー、俺の誕生日なら2が…」
「今日だよな!誕生日!」
真っ赤な顔で怒鳴るように断言する若林。有無を言わさぬその剣幕に、シュナイダーは浮かれかけていた気持ちを抑える。
(若林は勢いでキスしてしまったのを誤魔化そうとしているんだ。今は下手に逆らわない方がいい)
「ああ、そうだった。俺は7月4日生まれだった。うん、プレゼントありがとう、若林」
「あ、ああ。別に、どうってことねぇし」
素っ気なく答えるとシュナイダーから離れ、車から降りようとする若林。その腕を今度はシュナイダーが掴み引き留める。振り返った若林の顔を引き寄せ、今度はシュナイダーが若林の唇を塞いだ。それも先ほどの触れるだけの軽いキスとは違い、時間をかけた甘く柔らかなキス。若林も抵抗はせず目を閉じてそのキスに素直に応えていた。
名残を惜しみながらそっと唇を離してみると、息を詰めていたのか若林が大きく呼吸するのが判った。瞳を潤ませて何か言いたげに見上げてくる若林に、シュナイダーは満面の笑みで応える。
「素晴らしいプレゼントを貰ったから、そのお返し」
すると若林はパッと視線を反らしてしまった。だがその素振りから嫌悪は感じられない。伝わってくるのは…猛烈な照れ隠し。そそくさと車を降りた若林は、ずれていたアディダスキャップをしっかり被り直すと車中のシュナイダーを振り仰いだ。
「帰るぞ!」
「ああ」
横たわっているロボ林に一瞥をくれると、シュナイダーも車を降りドアを閉めた。妙に口数が少なくなった若林を可愛く思いながら、シュナイダーの気分は高揚していた。
若林は必死に誤魔化していたが、好意を持っていない相手とあんな風にキスする事はあり得ない。若林は自分で気づいていないだけで、俺に恋愛感情を抱いているのだ。あとは本人すら気づいていない気持ちを、傷つけないようにそっと露わにしていくだけ…
(俺と若林が晴れて結ばれるのはもうすぐだ!)
やや俯きがちな若林とは対照的に、シュナイダーは前をしっかり見据えながら意気揚々と帰路につくのだった。
「あの、ちょっと相談したいことが…」
人型ロボットの研究開発チームのラボで、白衣を纏った研究員が上司に意見を求めている。今日届いたばかりのサッカープレーをするロボットのデータ解析をしていた上司が、眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら部下を見た。
「何かね?」
「先ほど、ロボットの待機状態をチェックするための車内ビデオを回収したんですが、極めて興味深いモノが映ってまして…」
部下に促され上司は別のモニター画面に目を向ける。そこに映し出された数分の映像を無言で眺めていたが、肩をすくめながら言った。
「ロボットに関係のない内容なら速やかに消去したまえ」
「ですがこの映像は、人間がロボットを相手に、人間に対するときと同じような愛情を抱いた事を示す貴重な資料ですよ。今後の研究に於いてもきっと…」
「中学生の黒歴史を記録しておいてどうなる。消してやれ」
厳しい声音に気圧されるように、部下は該当部分の映像を急いで消去するのだった。
(2015シュナイダー夏誕生祝作品 兼 C翼ファンフェスタ2015便乗作品)
おわり