第一回フランス国際Jr.ユース大会、決勝戦のカードはドイツ対日本だった。
 優勝候補と目されていたドイツはともかく、日本が決勝まで勝ちあがるとは多くの人は予想しなかっただろう。
 しかも日本はドイツを破り、優勝してしまった。試合結果だけを聞いた人は、さぞかし意外に思った筈だ。ドイツチームが余程不調だったのか、と考えたかもしれない。
 しかし実際に試合を見たならば、日本の優勝に不服を唱える者はいない筈だ。ドイツはベストメンバーで決勝に臨み、日本チームはその強敵と互角に渡り合ったのだ。文句のつけようのない、堂々の勝利だった。
 この決勝戦でGKを務めたのは若林だった。若林は今大会中、チームを強化するために裏方に徹し試合には出ていなかった。しかもただの裏方ではなく、チームメートの反感を一身に買う敵役を演じてきたのだった。そのせいで若林はチーム内で浮いた存在になっていた。若島津が前日の準決勝戦で負傷しなければ、若林が決勝戦に出ることはなかったかもしれない。
 しかし試合前に誤解は解け、若林の真意を知ったチームメートは、それまで抱いていた若林への不平不満を捨て、彼を温かく迎え入れたのだった。若島津も例外ではない。
 いくらチーム強化の為とはいえ、己を犠牲にし、敢えて誤解されたまま、試合にも出ないでいるなんて誰にでも出来ることじゃない。たまたま一番いい形で誤解が解け仲間に受け入れられたからいいようなものの、ずっと誤解され続けチーム内にしこりを残したままになる可能性だってあったのだ。
 (やはり若林は、俺のライバルに相応しい男だ)
 しかし皆が若林を取り囲み、打ち解けて話をしているときに、若島津は声を掛ける事が出来なかった。ポジションを争うライバル関係にある事から、日頃から若林とはそれほど親しい口を利いていない。そのこともあって、若林に声を掛けそびれてしまった。
 若林と話したいと思いつつ、緊迫した試合前や興奮冷めやらぬ試合直後には話す機会が無かった。そうこうするうちに時間が経ち、帰国前日の夜を迎えてしまった。ドイツに留学中の若林を除いて、明日には全員が帰国してしまう。その前に、若島津はどうしても若林と話をしたかった。
 ゆっくり話が出来る時間は、今夜しかない。
 チームが宿舎として利用しているホテルの部屋割りは、若島津と森崎が同室のツインルーム、若林がシングルルームを割り当てられていた。若島津は若林と一対一で話したかったので、自分から若林の部屋を訪ねた。
 ドアの外に立つ若島津を見て若林は少し驚いたようだったが、すぐに快く室内へと招き入れた。テーブルを挟んで向き合うように腰掛けながら、若林が尋ねる。
 「で? 俺に話って何だ?」
 「潔く負けを認めておきたいと思った」
 「負けだって?」
若林が不思議そうに聞き返す。
 「ああ。チームの事を思って、自分一人が悪役に徹するなんて、なかなか出来ることじゃない。正直、俺には真似できねぇよ」
 若林とは事ある毎に比較され、殆どの場合若林に軍配が上がる。キーパーとしての能力を比較した場合、二人の間に決して大きな差は開いていない。ただ若島津が日本で進学し普通にサッカーを続けているのに対して、若林はドイツへサッカー留学して現地で活躍している、その環境の違いだけで若林が有力視されるのだ。若島津にとって甚だ面白くない現実だった。
 自分も若林と同じ境遇だったなら、必ず若林と同様に現地でレギュラーの座を掴んでいる。自分と若林の間に実力差などない。そう思っていたのだが、今回のことで若島津は考えを改めた。
 サッカー選手に必要とされるのは、運動神経ばかりではない。サッカーは個人種目ではなく、チームで勝利を目指すスポーツだ。長い目で先を見通しチーム全体の事を考えて行動していた若林は、そういう意味で自分よりも上だと感じたのだった。その事を話すと、若林は困ったような表情を浮かべた。
 「そんなご立派なもんじゃない」
 「謙遜するなよ。らしくないぜ」
 「本当に違うんだ。俺は・・・」
若林が言葉を濁す。日頃のズケズケと本音をぶつける若林らしくない。ただの謙遜には見えなかった。若島津は気になって、問い質してみた。
 「なんだ? お前、まだ何か隠してる事があるのか?」
 「ああ。誰にも言うまいと思ったんだが・・・若島津に買い被られているのかと思うと気詰まりだ。お前にだけ話すよ」
若林は気持ち視線を伏せて、言葉を続ける。
 「俺は今回の大会には一切出場しないつもりだった。その本当の理由は・・・」
若島津は何も言わず、若林が話すのを待った。
 「日本とドイツが対戦した時、俺は全力で日本ゴールを守れないのではないかと思ったんだ」
 「おい、ちょっと待てよ。それはドイツに有利なように、守りに手を抜くという意味か?」
 「そう取ってくれて構わない」
 「本当なのか?」
若島津の声が怒りを帯びたものになる。
 全ては日本チームを思っての、崇高な理念に基づく自己犠牲なのだと思っていた。だからこそ皆は若林に対する不信感を捨て、若林を仲間として受け入れたのだ。それが実はドイツに有利に動いてしまいそうだから、出場したくなかったのだとあっては全く事情が違ってくる。
 若林は体裁よく自分の立場を取り繕い、全日本のチームメート全員を騙したことになるのだ。
 「若林! お前はどういうつもりで、全日本のゴールの前に立っていたんだ!? 答えろ!!」
 「・・・・・・俺はドイツに恋人がいるんだ」
若林は全く脈絡のない返事をした。若島津は戸惑い、話題を修正しようとする。
 「そんな事は関係ない。俺が聞いてるのは・・・」
 「ハンブルクJr.のチームメートなんだ。代表にも選ばれている。この間の試合にも出場していた」
 「だから・・・・・・ええっ!?」
若林の言葉に、若島津は仰天した。
 「お、おいっ、今、なんて言った!?」
若島津のうろたえぶりを見て、若林は小さく笑った。
 「聞こえただろう。俺は、男と付き合ってる。俺が孤立無援のドイツで今までやってこられたのは、あいつがいてくれたからなんだ。俺たちは常に同じチームで、共に勝利を目指してきた。それが今大会で初めて敵味方に分かれて対戦する。そうなった時、本気であいつを止められるかどうか自信がなかった。俺はあいつの喜ぶ顔が見たくて、ずっとゴールを守ってきた。チームの為じゃない。あいつの為なんだ。サッカーと恋愛は別のものだと頭では判っているけれど、恋愛感情ってのが理屈で割り切れないのも事実だ。だから・・・いざゴールを守る時、あいつのシュートを防ぐのを躊躇してしまうかもしれないと思ったんだ。」
 若林が一息に吐き出した。若島津はといえば、想像を絶する意外な告白に言葉が出ない。ただ唖然とした顔で、若林のことを見つめている。
 「でも、実際に試合に出てみたら、色恋の入り込む余地はなかった。全日本のみんなの真剣な気持ちが伝わってくるし、あいつも試合だけに集中していた。そのせいなのか、俺も雑念ナシで全力で試合に臨む事が出来た。だから試合に出られたのは本当に良かったと思う」
 若林が言葉を切った。そして若島津の顔を見て、ハッキリと言った。
 「お前の質問に答える。俺は全身全霊で日本ゴールを守るつもりでゴール前に立った。そしてそれを実践した。でも、いざ出場が決まるまでは、さっき言った理由で踏ん切りがつかなかったんだ」
 若島津が言葉を失っているのに気づき、若林は照れ隠しのような笑みを浮かべた。
 「悪かったな、変なこと聞かせて。でも、お前には話しておきたかった」
 秘密を打ち明けすっきりとした様子の若林と対称的に、若島津の方は内心パニックだった。たった今耳にした事が、信じられなかった。
 若島津にとって若林は、単なるライバルに留まらず、目標とも呼べる存在なのだ。プレースタイルこそ違うが、サッカーを極める為に単身留学した行動力には感心するし、なんのかんの言ってもプロに最も近い位置に居るのは大したものだと思う。黄金世代と呼ばれる実力者揃いのメンバーの中でも、若林はみんなより一歩先を進んでいる。
 同じポジションについている若島津としては、若林を殊更に意識せずにはいられない。
 何かにつけ引き合いに出されるのは腹立たしいが、若林個人に対して恨みや妬みはない。それは若林という男が、サッカーに人生の全てを打ち込み、常に上を目指している努力家だと知っているからだ。
 それなのに・・・・・・
 (今、なんて言った?)
 ドイツでやってこられたのは恋人のお陰?
 ゴールを守ってきたのはチームの為じゃなくて、恋人の為?
 恋人のシュートを防ぐのを、躊躇うかもしれなかっただと?
 だから試合に出ないつもりだったってのか!?
 こいつはそんな女々しい理由で、大一番の試合を辞退するつもりだったのか!!
 「若島津?」
沸々と湧き上がる怒りを押さえ込むように黙り込んでいる若島津を見て、若林が心配そうに声を掛ける。若島津は若林を睨むようにしながら質問した。
 「恋人ってのは誰なんだ?」
 「それは言いたくない」
若林は口をつぐんだ。若島津が自分の話に想像以上のショックを受けている事が判ったので、これ以上この話題はするべきではないと感じたのだ。
 「そいつと寝たのか?」
 「なに?」
 「そいつと寝たのかと聞いてるんだ。寝てるに決まってるよな。試合がどうでもよくなるくらい、大事なオトコだもんな。向こうから口説かれたのか。それとも若林がケツを振って誘ったのか」
 「なんだとっ!!」
若林は顔色を変えて、椅子からたちあがった。そして正面にいる若島津の胸倉を両手で掴むと、強引に立ち上がらせた。
 同性愛に理解のない相手に不用意に秘密を喋ってしまったのは、確かに迂闊だった。若島津が嫌悪を露わにするのも判らなくはない。しかし喧嘩を売ってるとしか思えない、侮蔑的な発言は許せなかった。
 「それ以上言ってみろ! ただじゃおかないぞ!!」
 「どうするって言うんだ。オカマに負けるほど俺はヤワじゃないぜ」
若林が右手を素早く引いた。だがうなりをあげて迫ってくるパンチを、若島津は左手でビシッと払いのけた。続けて胸倉を掴む若林の左手も振りほどき、隙を見せた若林の鳩尾に鉄拳を見舞った。
 「ぐっ・・・」
手加減はしてあるが、急所にクリーンヒットしている。若林は身体を折り曲げて、床の上をのた打ち回った。格闘家でない相手に拳を振るうことなどないのだが、この時の若島津は武道家の心得を失念するほど逆上していた。
 それほど若林に対して腹を立てていたのだ。
 言葉も出せず悶え苦しんでいる若林を見下ろしながら、若島津は冷たく言い放った。
 「見損なったぜ。人生最大のライバルだと思ってた男が、色ボケのオカマだったとはな」
若林を特別視していただけに、若島津の失望は深かった。床に這いつくばって苦しむ姿がこの上も無く惨めに見えて、余計に苛立ちがつのった。それは生真面目な若島津の中に、初めて芽生えた暗い感情だった。
 俺は今まで騙されていた。
 その仕返しに、こいつに罰を与えてやりたい。
だがこれ以上相手を殴ることは憚られた。空手を習得している自分が感情に任せて暴力を振るい続ければ、手加減を忘れて取り返しのつかない事になってしまう恐れがある。
 ・・・・・・そうだ。
 こいつはオカマなんだ。 
 だったらオカマらしく扱ってやろうじゃないか。
 若島津は屈みこむと床の上の若林のズボンに手をかけた。それに気づいた若林がすぐに身を起こし、若島津を睨みつける。
 「・・・てめぇ、何やってんだ!」
 「黙ってろ、変態が」
若島津はそう言うと、手を伸ばして若林の首を掴んだ。驚いた若林が反射的に若島津の腕を掴んだが、若島津は首を握る手を弛めなかった。咽喉を押さえられて若林が声を出せないのをいい事に、若島津は相手を罵り続ける。
 「オカマなんだろ? 俺たちの着替えとか見て興奮してたんだろうが。オカマはいいよなぁ〜。エロ本やAVなんか無くったって、そこらじゅうが天国だもんな〜?」
 首根っこを押さえられ、声を出すことも首を振ることも出来ない若林は、目で必死になって否定していた。それが判りながらも、若島津は手を弛めない。
 「なぁ、男同士でどうやってヤるんだ? まぁ、何となくは判るけど。俺にもヤらせろよ」
若島津は空いたほうの手で、若林のズボンの前を荒っぽく撫でさすった。
 若島津が若林の首から手を離した。途端に若林が苦しげに大きく咳き込んだ。若島津はその隙に若林のズボンと下着を、足首の辺りまでずり下げた。若林が縋るように若島津を見上げた。
 「・・・本気で、言ってるのか・・・?」
 「当たり前だ。逃げようとか思うなよ。俺が本気になれば、お前を一生立てないようにする事だって出来るんだ」
若林の目に絶望の色が浮かぶ。若島津が若林の足首に手をかけて、引っ掛かっている服を取り去っても、若林が抵抗する気配は無かった。どうやら観念したようだ。
 若島津は椅子に掛け直し、床の上の若林を見下ろした。和室でもない部屋の床にべったり尻をついているだけでも違和感があるのに、若林は下半身裸でペニスも丸見えだ。将来を嘱望されて名高い『SGGK』の間抜けで情けない有様に、若島津は失笑した。
 「おい、俺はお前と違ってチンポ見せられても勃たねぇんだ。こっちにきて、口でサービスしてくれよ」
若林が信じられないと言わんばかりの表情で、若島津を見る。何か言いかけるのを、若島津が遮った。 
 「口答えはナシだ。妙な気を起こしたら、速攻で骨を折ってやるからそのつもりでいろ」
若林は若島津をきつく睨み返したが、何も言わず大人しくにじリ寄って来た。そして若島津の前に跪くと、ズボンのファスナーを下げ下着の中からペニスを引き出す。
 一瞬の躊躇いの後、若林はそれを口に含んだ。
 もっと反抗するかと思ったのに、意外な程素直に従われたので、若島津は拍子抜けした。そしてペニスを熱い口中に含まれ舌先で舐られる感触に、たちまち興奮を覚えた。偉そうに指示をしてみせたが、フェラチオされるのはこれが初めての体験だったのだ。
 (う・・・やべぇ、気持ちいい・・・このオカマ野郎、慣れてやがるんだ・・・!)
 亀頭を吸われ、熱い舌で裏筋を丁寧に舐められ、唇でついばむように満遍なく愛撫される。勃ちかけるとすかさず深く咥えられ、頭を動かしてずぷずぷと全体をしゃぶりまくる。こんな気持ちのいい思いをするのは、若島津は初めてだった。たちまちペニスは限界まで固くなり、知らぬ間に声が漏れる。
 「あ・・・は・・・」
果てそうになり、若島津は慌てて若林の頭を乱暴に押しのけた。床に突き飛ばされた若林は、無言で若島津を見上げている。
 「いいっ、もういい!」
そう叫ぶと、若島津は己の一物を見下ろした。
 唾液にまみれたペニスは完全に勃ちあがり、先端からは先走りの汁が伝い落ちている。
 (マジかよ・・・)
自分がやらせたとはいえ、男の口にしゃぶられて勃起してしまった事が信じられなかった。そして、今自分が考えていることも。
 若林に挿れたかった。
 若林を犯して、若林の中でイきたかった。
 腹立ち紛れに若林を貶めてやろうとは思ったが、本気で若林に欲情してしまうとは思わなかった。若島津は自分の中で膨れ上がった、異質の欲望に戸惑い混乱した。
 しかし若島津には、最早自分を抑える事が出来なかった。若島津は椅子から立ち上がると、足で蹴るようにして若林をうつ伏せにさせ、尻を掲げさせる。
 若島津は床に膝をついた。そして若林の舌で勃起させたペニスで、今度は若林のアナルを貫いた。
 「がっ・・・!」
何の前戯も無くいきなり挿入されて、痛みに若林が呻いた。だが若島津はぐいぐいと力強く中に押し入ってくる。
 若林は俯き、歯を食いしばって痛みに耐えた。
 固い肉の棒が、若林のアナルを激しく突き始める。ペニスを抜き差しする度に粘膜がきつく絡みつき、若島津を悦楽の頂へと導く。かつてない快楽を味わい、若島津は理性を失いそうだった。
 (あっ、いいっ・・・くそっ、これは罰なんだ。若林に対する罰なんだ! しっかりしろ!)
 「このオカマ野郎!」
若島津は理性を保つ為に、若林を罵った。
 「男の癖に、チンポ突っ込まれて感じてんのか!? この変態が! 淫売が!」
思いつく限りの言葉で罵倒しながらも、若島津の腰の動きは止まらなかった。途中までしか挿入していなかったペニスは、今は根元まですっかり埋まり、若島津が腰を打ち付ける度に肌がぶつかり合う音が響いた。
 何度も突き込んでいるうちに、若林のアナルが少しずつ解れてきた。挿入直後の肉の固さがやわらぎ、若島津を一層気持ちよく包み込む。
 「この野郎・・・男にヤられて、悦びやがって・・・この・・・この・・・」
 こんな事はしたくなかった。
 俺と若林とは互いを認め合う好敵手の関係だったんだ。
 なのに、・・・男の恋人を作って、そいつの為にサッカーをしているって何なんだ!!
 なんで、なんでこんな事になっちまったんだ・・・・・・! 
 「くぅっ!!」
若島津が達した。熱い汁が若林のアナルに迸る。
 「あっ、あぁ・・・っ!」
若林が苦しげな声を漏らし、前に這うようにして若島津から身体を離した。そのままいざるようにして、間近にあったソファに手を伸ばし、すがるようにもたれ掛かる。若林が下っ腹に力を入れると、アナルから精液が滴り落ち床を濡らした。
 二人は無言のまま、それぞれ息を整えていた。
 さっきまで自分を罵り続けていた若島津が、すっかり静かになってしまったのに気づき、若林は若島津を振り返った。
 「若島津・・・」
返事はない。セックスの間じゅう若林に罵声を浴びせ続けていた若島津は、今は固く口を結んでいた。その表情は暗く沈みきり、近寄り難い空気が漂っている。しかし若林は、若島津に声を掛けた。
 「若島津、すまない・・・」
 「・・・なんで、若林が謝るんだよ」
 「俺は、お前の期待を裏切ってしまったから・・・」
若島津は違和感を覚えた。蔑まれながら力尽くで犯された直後である。怒りをぶつけられたり、恨み言を言われたり、それなら判るが詫びを言われるとは思わなかった。
 「若林、なんで男と付き合ってるんだ?」
何か言葉を返さなければと思って、間抜けな質問をしてしまった。個人の性癖に理由などあるわけがない。だが理由があるのなら、是非とも知りたいと思ったのも事実だ。若島津は若林の答を待った。
 若林は答に窮しているようだった。だが、だんまりを決め込むことはなく、やがて口を開いた。
 「そうだな。全部話さなきゃ、判らないよな。今度こそ、全部話す。若島津はあまり聞きたくないだろうが・・・」
 「聞く。全部聞く。だから、話してくれ!」
若島津に促され、若林は語り始めた。
 ドイツ留学直後、若林はチーム内で虐めに遭った。しかし若林は持ち前の気概で虐めをはねのけた。練習中に集中砲撃を喰らうのは、上達する為の特訓だと割り切って立ち向かった。練習後に殴られれば、お返しに相手を殴り返した。袋叩きに遭ったら、タイマン勝負で借りを返した。
 そうやって真っ向からぶつかっていくと、徐々に虐めは沈静化した。
 しかし若林に対して根強く嫌がらせを続ける奴らがいた。彼らの嫌がらせの内容は、若林が腕を上げ上達していくのと比例していった。
 そして若林が初めて練習試合でスタメンを務めた日の夜。
 「俺は、あいつらに輪姦されたんだ」
輪姦と言う言葉が、若島津の胸を刺した。男の身でありながら同性に、しかも複数の相手に凌辱される。常識では有り得ない惨事だ。
 若島津は、最前自分が若林にした行為の意味を、まざまざと突きつけられた気がした。
 「俺もガキだったからさ。また袋叩きにされるんだぐらいに思ってた。・・・全然違ったよ。詳しく言いたくないけど、・・・生まれて初めて死にたいと思った。それぐらい、辛かった」
 「わ、若林、俺は・・・」
 「でも俺は死ななかった。あいつが俺を支えてくれたから・・・」
若林が話題の深刻さとは不似合いな、幸せそうな笑みを見せた。
 輪姦事件の後、若林は練習を休んだ。若林が練習を休むのは、この時が初めてだった。そのせいか親しくしているチームメートの一人が、心配して様子を見に来てくれた。彼は若林が虐めに遭っている事を知っているので、何かあったのかと聞いてくれた。
 自分を心から気遣ってくれる、その優しさが痛めつけられた心に染み渡った。
 誰にも言うまいと思っていた事実を、若林は打ち明けた。
 話しているうちに自分が受けた仕打ちを思い出してしまい、屈辱に感情が昂ぶってきた。何の関係もない話し相手に、八つ当たりのように怒りをぶつけてしまった。だが彼は嫌な顔一つせず、若林の怒りと嘆きを受け止め、温かく包んでくれたのだった。幼児のように泣きじゃくる若林を、彼は優しく抱しめ慰めの言葉を掛けて癒してくれた。
 『若林、戻って来い。二度とお前を酷い目には遭わせない』
彼の言葉を支えに、若林は練習に復帰した。それと入れ違うように、若林を襲った連中は次々と自主的にチームを辞めていった。やつらに何かしたのかと尋ねても、彼は笑って答えてくれなかった。しかし若林には、彼が自分の為に体を張って連中を追い払ってくれたのだと判っていた。
 彼に対する友情と感謝の想いは、やがて恋愛感情に昇華した。そして彼が自分に同じ想いを抱いていてくれたのだと判った時、二人の関係は特別なものへと変じた。
 「・・・俺は男なら誰でもいいわけじゃない。カー・・・あいつは特別なんだ。あいつがいなかったら、俺は自棄を起こして自殺を図ったかもしれない。死なないまでもサッカーを辞めていたかもしれない。今の俺があるのは、あいつのお陰なんだ」
 若島津は何と言っていいのか判らなかった。
 事情を知らず、且つ逆上していたせいで、若林にとんでもないことをしてしまった。折角治った若林の傷を、自分は思いっきり抉ってしまった。そう思うと恥じ入るやら申し訳ないやらで、言うべき言葉が思いつかなかった。
 「俺は若島津が思っているほど、立派でも強くもない。だから俺を軽蔑するのは構わない。でも、俺を救ってくれたあいつのことまで、見下すのは止めて欲しいんだ」
 「・・・見下したりしねぇよ」
ようやく若島津が口を開いた。
 「済まない。俺は若林にとんでもないことを・・・」
 「気にするな。若島津が怒るのは当然だ」
 「でも、あんな・・・あんな酷いことしちまって。若林の古傷をえぐるような事を・・・」
 「俺はなんともないよ」
若林が柔らかな笑みを浮かべた。
 「俺はもう何があっても大丈夫なんだ。俺にはカールがいてくれるから」
隠し続けていた恋人の名が、若林の口から漏れた。そう話す若林の顔はとても穏やかで、満足そうだった。
 その場にいたたまれなくなり、若島津は詫びの言葉を残して若林の部屋を出た。そして逃げ込むように自分の部屋へと戻ったのだった。

 翌日ホテルを引き払い、全日本チームの一行はド・ゴール空港へと向かった。空港までは若林も一緒である。一見したところ若林の態度は平静で、昨日若島津との間に起きた出来事など忘れてしまったかのようだった。しかし若島津の方は、若林の顔をまともに見られなかった。
 「若島津」
後ろめたい気持ちで一杯の若島津に、若林が声を掛けてきた。その屈託のない口振りに、若島津は昨日の出来事が全て夢か幻だったような錯覚を起こした。若林が明るい表情で、しかしごく小さな声で言葉を続ける。
 「昨日は驚かせてしまって悪かった。ああいう事は迂闊に口外するもんじゃないって、つくづく思ったよ。だから若島津も・・・」
 「言わない。絶対、誰にも言わないって!」
この話題を続けるのが嫌で、若島津は慌てて言った。 
 「ありがとう」
若林が笑顔で礼を述べる。
 その後、二人の間でこの話題が交わされる事は一切無かった。
 若林は修行の地ドイツへ、若島津ら全日本のメンバーは故国日本へと帰っていった。
 それから程なくして、若林がドイツでプロ契約を結んだというニュースが日本に流れてきた。
 東邦学園の部室で、チームメートと共にスポーツ紙の記事を読みながら、若島津はあの日のことを振り返る。
 若林の性癖を知った時、どうして俺はああまで憤激したのだろう。
 若林の性癖に嫌悪を感じた筈なのに、何故若林を辱めようと思ったのだろう。
 そして若林から全ての秘密を知らされた時、やり切れない思いで一杯になったのは・・・。
 (俺は若林が好きだったのかもしれない)
それと意識したことはなかったが、そう思えばあの時の怒りや行動に説明がつけられる気がする。だが若島津はそれ以上考えるのを止めた。
 もし自分が若林を意識している理由が、敵愾心ではなく恋心だったとしても、その恋が実ることはない。若林には命を預けた恋人がいる。身体はともかく、若林の心を手に入れることは出来ないだろう。
 俺と若林は互いを認め合う好敵手。それが自分たちに最も相応しい関係なのだ。
 若林はプロになり、また一歩前進した。マスコミの若林評は更に上がり、また自分は下に見られることだろう。その差を埋め、若林と肩を並べるには今まで以上にサッカーに打ち込み鍛錬するしかない。
 間もなく練習が始まる。若島津はスポーツ紙を置くと、チームメートと共にピッチへと向かった。

おわり

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