今日は何の日
一月末頃から二月にかけて、ドイツの学校は冬休みに突入する。若林とシュナイダーが所属するハンブルクJr.ユースチームの練習日程も、これに合わせるように連休になっている。若林は学校が休みの間は、朝からチームの練習に出られるのだと思い込んでいたので、これを知ってガッカリした。そこでいつも居残り練習に付き合ってくれるシュナイダーに、こう提案してみた。 「なぁ、シュナイダー。冬休みの間、俺の自主トレに付き合ってくれないか?」 シュナイダーは何故かちょっと驚いた様子だった。 「構わないが・・・休みの間、毎日か?」 「うん、出来れば」 「毎日って事は俺の・・・あっ、そういうことか。判った。引き受けよう」 シュナイダーは何かを言いかけたが、急に言葉を切り上げると嬉しそうに若林の頼みを引き受けるのだった。 冬休みが始まり、若林とシュナイダー二人きりの強化練習がスタートした。 そして二月に入ったばかりのある日、この日も若林はシュナイダーと朝から練習を続けていた。この日のシュナイダーは何故か朝から落ち着きが無く、何かに気を取られているようだった。 シュナイダーが本調子ではないなと思ったものの、若林は黙々と相手を務め、いつもどおりのメニューをこなす。そしてその日の練習もシュナイダーの調子が上がらないことを除けば、つつがなく終了した。 連れだって帰る道すがら、シュナイダーが相変わらずソワソワとした様子で若林に話しかけてきた。 「若林、念の為に聞くけど・・・あの時の約束覚えてるよな?」 「え?」 予期せぬ事を聞かれ、心当たりのない若林は不審気な顔でシュナイダーを見る。 「約束?」 「・・・・・・何も言わないからおかしいと思ったら、やっぱり忘れてたのか」 シュナイダーがオーバーに肩を落として見せながら、若林を問い詰める。 「今日は何日だ?」 「えーっと、2月2日」 「それは何の日だ?」 若林の頭にまず浮かんだのは、「節分の前日」だった。しかし、それがシュナイダーの求める答ではあるまい。語呂合わせで「夫婦の日」やら「頭痛の日」だった気もするが、日本語の語呂合わせで作った記念日が答の筈がない。 (何だろう? 学校で習ったっけかな・・・?) 若林は学校の先生の話や、サッカーにかまけて学校をサボった時についていた家庭教師の話を思い返す。 神聖ローマ帝国が成立した日だっけ? ヘルツが電磁波の検出に成功した日だっけ? ジュネーブで軍縮会議が開かれた日だっけ? 「シュナイダー、ヒントないのか?」 「ヒントって・・・俺にとっては、神聖な記念日なんだけど」 シュナイダーはそう言って、不機嫌そうに口を尖らせる。しかし答探しに夢中の若林には、シュナイダーの態度は目に入っていないようだ。 「神聖な記念日かぁ・・・」 さっき考えたような単なる史実は、神聖な記念日とは言わないだろう。若林は「神聖な」という言葉の響きに、キリスト教を思い浮かべた。そういえば、ドイツはクリスマスシーズンが長いんだよな。1月6日にやっとクリスマス飾りを片付けて、それを処分するのはもっと後のキャンドルマス・・・ 若林の顔がパッと輝く。 「わかった! 今日はキャンドルマスだ!!」 得意満面でそう叫ぶと、シュナイダーはいよいよ苦りきった顔つきになった。 「確かにキャンドルマスだけどさ。・・・俺の誕生日でもあるんだぜ?」 「えっ!?」 思いもよらなかった答を聞かされて、若林は目が点になった。 「嘘だろ? お前の誕生日って、確か夏だと思ったけど」 「違う、今日だ。こんな事で嘘ついても仕方ないだろう」 ここまで話したところで漸く若林は、シュナイダーが不機嫌なのに気付いた。仲のいい友人に誕生日を忘れ去られていたのだから、気分を害するのは当たり前だ。若林は慌てて謝った。 「悪ぃ、誰かと間違ったみたいだ。誕生日おめでとう、シュナイダー」 この取って付けたような言い方に、シュナイダーは更に気を悪くする。 「いいよ、もう。どうせ俺とした約束も忘れてるんだろ」 シュナイダーは拗ねた口調でそう言うと、若林を置き去りにするようにスタスタと早足で歩き始めた。すぐに若林も早歩きになってシュナイダーを追いかけ、後ろから声を掛ける。 「ごめん、忘れた。でも必ず思い出すから」 「やっぱり、忘れてんのか!!」 「だからこれから思い出すってば!!」 話す相手が早足で前方を歩いているものだから、自然と大声になる。シュナイダーをなだめながら、若林は記憶の糸を手繰り始めた。 若林がシュナイダーと交わした約束はいくつかある。すぐに思い浮かぶのは、将来必ずプロになって勝負しようとか、W杯で対戦しようとか、サッカーに関連した約束だ。 (コレじゃないよな・・・シュナイダーの言葉からして、あいつの誕生日に何かする約束だったんだ) さっぱり思い出せないが、誕生日というキーワードから、お祝いに関係した事ではないかと推理する。シュナイダーが欲しがっている物を誕生日にプレゼントするとか、そういう内容だろうか? しかしそんな大事な約束をしたのなら、忘れる筈もないのだが・・・しかし他に思いつかないし・・・? 若林の考えは堂々巡りになっていた。ふと前方を見ると、互いの家への分かれ道がすぐ目の前に差しかかっている。早足で歩いていたので、いつもより早く辿り着いてしまったようだ。そしてシュナイダーは若林にあいさつする気配もなく、ずんずんと自宅への道へ進もうとしている。 機嫌を損ねたままのシュナイダーを、このまま帰らせるわけには行かなかった。若林は呼ぶ。 「待てよ、シュナイダー! プレゼントのコトだろ!?」 鎌を掛けてそう怒鳴ると、シュナイダーの足がぴたりと止まった。若林を振り返るその顔には、さっきまでの仏頂面が嘘のような笑顔が浮かんでいる。 「やっと思い出したな」 シュナイダーがニコニコしながら、若林に近寄ってきた。実際には約束を全く思い出していない若林は、内心焦りまくりである。 どうやらさっきの推理が当たりで、シュナイダーにプレゼントをすることになっていたようだ。しかしまだ問題は解決していない。何を贈る事になっていたのか、若林には全く思い出せないのだ。 こうなったら何とかしてシュナイダーに気付かれないように、プレゼントの内容を本人の口から聞き出すしかない。 約束を忘れていたのだから、どのみち今日はプレゼントを渡せない。だから後日その品を贈れば、シュナイダーは機嫌を直してくれるだろう。問題はその品物を間違わない事、その一点だ。 「あ・・・うん。忘れててゴメン」 などと言葉を取り繕いながら、若林はシュナイダーに探りを入れる。シュナイダーは若林の思惑など気付きもせず、嬉しそうに言葉を続けた。 「じゃ、どうする? ここじゃアレだよな。まぁ、俺はどこでもいいけど」 辺りを見回しながら、シュナイダーが言う。この言葉に若林は、何と返したらいいのか迷った。 (どこって・・・プレゼントをこれから一緒に買いに行こう、って事なのかな?) そういう事ならむしろ話が早くて助かる。店に行ってシュナイダーに好きな物を選ばせれば問題解決だ。若林は日頃無駄遣いをしないので、財布には実家から送られた小遣いが入れっぱなしになっている。少々高い買い物でも大丈夫な筈だ。 「えーっと、どこでもいいぜ。シュナイダーの誕生日なんだから、おまえが好きな所に行けよ」 ボロが出ないように、若林は行き先の決定を相手に委ねた。 「そうか、わかった」 シュナイダーは嬉しそうに頷くと、若林の手を引くようにして互いの家に向かうのとは別の道を進み始めた。 商店街や繁華街がある方角ではない。むしろ家もまばらにしかない、ちょっと寂しい雰囲気の場所に連れて来られる。その一角にある空き家らしい建物の前まで来て、シュナイダーがようやく足を止めた。若林を振り返り、説明を始める。 「ここがいい。今は空き家だけど、ただの空き家じゃないしな」 「ふーん」 「うちで通っている教会がずっと補修工事しててさ、こないだやっと工事が終わったんだ」 「へぇー」 「実はここ、教会が工事中で閉鎖してた時、仮の礼拝堂として使われてたんだ」 「ほぉー」 「つまり元教会、みたいなもんだろ? どうせなら、こういう場所がいいと思わないか」 「うん、いいねぇー」 適当な相槌を打ちながら、若林の頭はフル回転していた。 店に行かなかったということは、シュナイダーに約束したプレゼントというのは金で買える物ではないのだ。と言うよりも、手から手へ渡すような形ある品物ではないのだろう。もし約束の品が形ある物なら、誕生日を忘れていた若林がそれを持って来ている筈がないのだから、プレゼントを貰う為にはそれを入手出来る場所に向かう筈だ。 ここには空き家以外、目ぼしいものは何もない。 (そうだ! 大体なんで場所を移動したんだ?) シュナイダーは最初どこでもいいと言っていたのだから、プレゼントの条件に「特定の場所でなければならない」という制限はないようだ。それなら何故シュナイダーは、この場所を選んだのだろう。ここに来たのに、どういう意味があるのだろうか? 「ちぇっ、やっぱり中には入れないか」 敷地内に入り込んで、建物のドアノブを引っ張ったり、窓に触ったりしていたシュナイダーが諦めたように戻ってきた。 「ここがいいと思ったんだけどなぁ。静かで人目はないし・・・」 若林が耳をそばだてる。またヒントだ。賑やかな所や人目のある所は、プレゼントの条件に相応しくないらしい。しかしこのヒントから、これといった答は思いつけなかった。 「まぁ、外でもいいや。若林、こっち来いよ」 シュナイダーに手招きされて、若林も敷地内に足を踏み入れた。シュナイダーは若林の手首を掴むと建物の裏手へと足を進め、往来からは見えない場所に若林を連れ込む。そして若林と向き直ると、照れたような笑みを浮かべた。 若林も曖昧に愛想笑いを返す。 シュナイダーが急に真面目な顔になった。 若林も慌てて笑みを引っ込める。 だが、シュナイダーはその後は何も言わず、何もしなかった。じっと若林の顔を見ているだけだ。どうやら若林の方から「プレゼント」をくれるのを待っているらしい。 (参ったな・・・もうヒントは無しかよ・・・) 若林は心底困り果てた。今更約束のプレゼントが何だったか聞いたりしたら、シュナイダーを怒らせてしまうのは確実だ。今回の事は自分に一方的に非があるから、これ以上シュナイダーの機嫌を損ねたくない。 (何としても思い出すんだ!) 若林はシュナイダーの視線を避けるようにして俯くと、目を閉じて過去にシュナイダーと交わした会話を可能な限り反芻し始めた。 (あの時のシュナイダーの言葉・・・いや、違うな。もっと前の・・・う〜ん・・・) 同じ姿勢のままじっと考え込んでいた若林の前に、シュナイダーが歩み寄る。そして若林の帽子をさっと取り除くと、下を向いている若林の顎に指を添えて静かに上向かせた。 不審に思った若林が目を開けた時には、いとも自然にシュナイダーの唇が若林の唇へと重ねられていた。 「うわあああああっっ!!」 仰天した若林が大声をあげて、その場から飛びずさる。シュナイダーが慌てたように、声を掛けてきた。 「ごめん。若林が躊躇ってるみたいだから。それなら俺からでもいいかなぁって・・・」 「思い出した!! 思い出したぞっ!!」 若林は口を拭いながら叫ぶ。 それは数ヶ月前のロッカールームでの出来事。あるチームメートの惚気話がきっかけだった。 『この前の休み、俺の誕生日だったんだけどさ。デートの間中「プレゼントだから」って、彼女が5分おきにキスしてくれたぜ〜!』 『ウソだろー!?』 『本当なら羨まし過ぎだな〜』 その彼女というのが相当な美人という事もあって、ロッカールームは騒然となった。だが誰もが興味深げに話に聞き入る中、シュナイダーだけは退屈そうに淡々と着替えをしていた。その様子をからかって、こんなことを言い出す奴が現れた。 『シュナイダー、彼女いないんだろ? 後学の為に聞いとけよ』 『あいつが羨ましいんなら、代わりに俺がキスしてやろーかぁ?』 チームのお調子者が軽口を叩くと、これが受けて大爆笑になった。俺もキスしてやる、じゃあ俺も、と話が広がり最終的には「シュナイダーが誕生日までに彼女を作らなかったら、チームメート全員がキスでシュナイダーの誕生日を祝う」などという与太話になっていた。 その場にいた全員が俺も俺もと言い出すので、若林もその場の流れで「俺もキスしてやる」と確かに言ったが・・・・・・ 「冗談を真に受ける奴があるかぁっっ!! 大体、なんで俺だけ本当にキスしなきゃいけねーんだよ!?」 「だって、俺の誕生日に俺に会いに来てくれたのは若林だけじゃないか」 シュナイダーは平然と言い放つ。 「てっきり俺の誕生日を覚えてて、約束を果たしてくれるんだと思ったよ」 「約束じゃねぇっ!! あれは冗談だーっ!!」 若林は顔を真っ赤にしながら、シュナイダーの手から帽子をひったくった。そして足元に放り出していたバッグを肩に背負うと、ダッシュでその場から逃げ出した。 「待てよ、若林ー! キスは5分おきだぞーっ!!」 もちろんシュナイダーも後を追う。チーム一の俊足が若林に追いつくのは時間の問題であり、その後若林が本当に5分おきのキスをシュナイダーにプレゼントしたのかどうか・・・は定かではない。 |