たかがチョコ、されどチョコ

 部活の後で何か食って帰ろうという事になり、南葛中サッカー部の面々はファーストフード店を目指して市内の某ショッピングセンターに足を踏み入れた。1月下旬のこの時期はバレンタイン商戦の真っ最中であり、フロアの真ん中にはチョコレートの特設売り場が出来上がっている。ショーウィンドーに恭しく収められた見るからに高級そうなチョコもあれば、可愛くラッピングされたお手ごろ価格のチョコもある。ぬいぐるみなどのオマケがついてるもの、『義理』などとジョークメッセージが書かれたもの、シンプルなハート型のものなど、種類は様々だ。
 売り場は大盛況で、小学生くらいの女の子から女子高生、OL風の女性や子連れの主婦に至るまで、あらゆる年代の女性客が真剣に品定めをしていた。自分達と同年代と思しき制服姿の女の子達が、きゃいきゃい騒ぎながらチョコを選んでるのを横目に石崎がぼやいた。
 「うぇ〜、今年も嫌な季節がやってきたぜ」
 「あれ? 石崎くん、チョコ嫌いだっけ?」
翼に不思議そうに聞き返され、石崎は顔をしかめた。嫌味や悪意ではなく、本当に疑問を感じての質問なので余計に始末が悪い。これを聞いて周りにいた井沢たちは一様に噴出した。
 「翼、それさりげにキツイって〜」
 「え? どうして?」
 「だって、考えてもみろよ。翼や俺達はいいけど、石崎は・・・」
 「女にもてない奴はチョコが貰えなくて、惨めな思いをするから嫌なんだよ!」
不貞腐れた声で石崎に説明されて、翼もやっと合点がいったらしい。
 「そうか、ごめん。チョコが貰えない人もいるんだね。でもお母さんがくれたりしないの?」
 「そんな超義理チョコ、嬉しくねーっつうの!」
 「あ! 石崎くん、アレ見て!」
何を見つけたのか、翼が急に方向転換してチョコレート売り場の中に入って行った。売り場には女性しかいないので、石崎たちは気後れしてその場に止まっていたが、翼に大声で手招きされて少々緊張しながら翼の後をぞろぞろとついて行く。
 「ほら、コレ!」
嬉しそうに翼が指差す先には、可愛らしい字体で書かれた手描きPOPがあった。そこには仲良さそうに肩を組む二人の女の子のイラストと共に、こう書かれている。
 『仲のいいお友達には友チョコを!』
 「友達同士でチョコを贈ってもいいんだよ。だから石崎くんには俺がチョコを贈るよ」
 翼の発言に、周りにいた部員たちは爆笑した。そして、友チョコとは女性が同性の友人に贈るチョコだというのは承知の上で、わざと茶々を入れる。
 「よかったなー、石崎! 今年はチョコが貰えるぞ」
 「周りに自慢出来るな」
 「うるせー、お前ら黙れ! 翼も余計な事しなくていいからっ!」
真っ赤になって憤慨する石崎を見て、翼は困り顔だ。
 「俺、変な事言った? 石崎くんの他に、若林くんにも友チョコを贈ろうと思ったんだけど変かな?」
 ゲラゲラ笑ってた井沢たちの顔から、スッと笑いが引いた。滝が慌てたように翼を問い詰める。
 「翼、本気で言ってんの? 本当に若林さんにチョコを贈る気かよ?」
 「うん。皆とはいつも一緒だけど、岬くんと若林くんとはずっと会ってないし。でも岬くんは今どこにいるのか判らないから、若林くんにだけチョコを贈ろうかと・・・」
 「俺も贈る!」
それまで黙っていた森崎が、大声で会話に割って入ってきた。
 「翼が若林さんにチョコを贈るんなら、俺だって贈る!」
 「俺も!」
 「俺も贈るぞ。一番美味い奴!」
翼に対抗するように、元修哲小の部員達が次々に名乗りを上げた。自分の意見が受け入れられたと思ったのか、翼が楽しそうに言った。
 「よし。じゃあ、皆で若林くんに贈るチョコを選ぼう!・・・あれ、石崎くん、買わないの?」
一人だけそろそろと売り場から立ち去ろうとしていた石崎を、翼が背後から呼び止める。
 「あー、俺はいいよ。先にマック行って席取っとくから」
 「判った。じゃ、後でね」
石崎は翼に手を振ると、早足でその場から逃げ出した。あれがいい、いやこっちだと騒ぎながら真剣にチョコを選び始めた井沢たちを見て、周囲の女性客らは明らかにドン引きしている。その事にいち早く気付いた石崎は、同類と思われたくなくてこの場から脱出したのだった。

 かくして、この年のバレンタイン・デーには、日本からチョコレートが大量に詰まった小包が若林の元へと届けられた。小包を開けた若林は、きれいにラッピングされたチョコレートの数々を見て目を丸くする。
 「なんだこりゃ・・・? バレンタイン・チョコなのは判るけど、差出人が全員男なのは何故だ?」
 訝しく思いながら若林がそれぞれのチョコに添えられたメッセージカードを読んでいると、家の中にドアチャイムの音が鳴り響いた。どうやら誰か来たらしい。若林はチョコとカードをそのままにして、玄関に向かう。
 ドアの外にいたのは、小さな花束を片手に提げたシュナイダーだった。
 「よう、若林」
 「どうした、シュナイダー。何の用だ?」
 「用という程の事もないんだが・・・これを若林に渡したくて」
幾分照れ臭そうに赤い薔薇の花束を差し出されて、若林は戸惑う。
 「俺に花束? なんで?」
 「今日はバレンタイン・デーだろう。家族や友人の間で贈り物をする日だからさ」
 「へぇ。ドイツのバレンタイン・デーはそうなのか。ありがとう」
折角来てくれたのだからと、若林はシュナイダーを室内に招き入れた。部屋に通されたシュナイダーは、大小さまざまのカラフルな包みが散らばっているのを見て、これはどうしたんだと若林に尋ねる。若林が日本のバレンタイン・デーについて簡単に説明すると、話を聞き終ったシュナイダーは、不機嫌そうに顔をしかめた。
 「するとコレは、日本にいる女たちが若林に愛を告白している証、という訳か?」
 「残念ながら違うよ。今は友達同士でもチョコを贈るようになったんだと。このチョコを贈ってきたのも、全員元のチームメート・・・つまり男ばっかりさ」
 包みの一つを手に取って、若林が苦笑いを浮かべた。しかしシュナイダーは安心できなかった。同性の若林に恋をしているシュナイダーには、他の男も自分同様若林に気があってチョコを贈ってきたかもしれない・・・と考えてしまうのだ。
 (特にツバサとかいう奴が気になる。若林はいつも嬉しそうにツバサの事ばかり話してるからな・・・)
 疑心の塊になっているシュナイダーには気付かず、若林が言葉を続ける。
 「ところで、提案があるんだけど・・・シュナイダー、このチョコいらないか?」
 「ん?」
首を傾げるシュナイダーに、若林が事情を説明する。
 「実は俺、チョコあんまり好きじゃないんだ。せっかく贈ってくれた物だからメッセージカードは大事に取っておこうと思うけど、これだけのチョコは到底食べきれないし・・・。で、貰い物で悪いんだけど、花束のお返しにこのチョコはどうかと思ってさ。お前ん家は妹さんもいるし、毎日のおやつにどうかな?」
 この提案を聞いて、シュナイダーの顔はぱぁーっと明るくなった。
 「なんだ、若林はこのチョコいらないのか!」
 「ああ。少しくらいならともかく、こんなには・・・甘いモン苦手だからさ」
 「判った、有難く頂戴するよ。マリーも喜ぶ」
ニコニコと返事をしながら、シュナイダーは内心で快哉を叫んでいた。これらのチョコに本当に男共の愛が籠っていたとしても、若林がそれを口にしないという事は、若林が男共の求愛を退けたという事になるじゃないか! いや、それどころか・・・
 (若林がバレンタイン・デーに受け取ったのは、俺の花束だけ・・・!)
 若林の気持ちを独占できた気がして、シュナイダーは上機嫌だった。そして若林の前から、チョコレートの小箱や包みをウキウキと自分の前にかき集める。すると若林が大急ぎでチョコの山に手を突っ込み、中から一番小さな袋を取り上げた。
 「悪い、言い忘れてた。これだけは俺が食べるよ」
 若林の口調は平穏を装っていたが、チョコを取り上げた時の慌て振りから内心では焦っている事が容易に伺えた。シュナイダーは若林の様子を不審に思った。チョコはいらないと言いながら、何故かあの小さいのだけは是が非でも食べたいような態度だ。
 (あの小さいチョコに、何か意味があるのか?)
シュナイダーの脳裏に、ある仮説が閃いた。
 ツバサだ。これはツバサからのチョコに違いない!
 シュナイダーの胸に嫉妬の炎がめらめらと燃え上がる。シュナイダーは手を伸ばし、若林の手の中から小さな袋を奪い返した。途端に若林が語気を荒げて、シュナイダーに詰め寄る。
 「おい、これは俺のだって!」
 「チョコは好きじゃないんだろう? 無理しなくていいぞ。俺が全部引き取ってやる」
 「そ、それはいいんだって。返せよ」
若林が腕を伸ばしてくるのをかわして、シュナイダーは頭上に小さな袋を掲げ持った。
 「何をムキになってるんだ。チョコくらいでおかしな奴だな」
 「ムキになってるのはシュナだろう! それは俺が食べるって言ってるんだから返せよ!」
 若林はシュナイダーの肩に手を掛けると、背伸びをしてシュナイダーが掲げた袋に手を伸ばす。しかしうまく袋を掴んだものの、シュナイダーが手を離さないので取り戻すことが出来ない。
 「返せよ!」
 「いーやーだー!!」
 ビッ!
 互いに譲らず袋を引っ張り合っていると、小さな音がして紙袋が裂けた。途端に小袋の中から丸いチョコレートがばらばらと床に落ちて転がる。まん丸のチョコを白黒のサッカーボール模様がついた銀紙で包んだ、安価でシンプルなボールチョコだ。
 「あー・・・ったく、シュナイダーが放さないからだぞ!」
 「俺のせいか? 若林のせいだろ」
お互いに文句を言いながら、二人は床に散らばったチョコを拾い集めた。小さなチョコレートは全部で六つあった。集めたチョコを数えた若林が妥協案を出す。
 「仕様がない。シュナイダー、半分やるよ。公平に三個ずつに分ければ文句ないだろ」
 「半分こか。いいだろう」
若林の執着ぶりから全部を没収するのは無理だと悟り、シュナイダーは渋々頷いた。若林はシュナイダーとチョコを分け合うと、早速自分の分のチョコレートの銀紙を剥いて、中身を口に入れる。
 「うーん・・・やっぱ甘いな」
 「当たり前だ。だから俺が貰ってやると言ったのに」
シュナイダーは三つのチョコを手の中で弄びながら、気になっている事を確かめたくて若林に尋ねた。
 「おい、何でこのチョコにだけこんなに固執したんだ? よりによって、貰ったチョコの中で一番安っぽいじゃないか?」
 ツバサがくれたチョコだから、俺一人で食べたかったんだ・・・という返事を予想して、シュナイダーは内心で苛ついていた。ところが若林の答は、シュナイダーの予想を大きく外れたものだった。
 「値段なんか関係ねーよ。サッカーボールの形をしてるから、食ってみたかったんだ」
笑いながら言われて、シュナイダーは呆気に取られる。
 「え・・・それだけ? 他に理由はないのか?」
 「他の理由? あー、あとは量かな。これは包みが小さいから、食いきれると思って」
 「・・・なんだ、そんな理由だったのか」
シュナイダーの身体から、急に力が抜けた。勝手な思い込みで嫉妬して、若林とチョコを取り合っていた自分が、急に恥ずかしくなってくる。シュナイダーは照れ隠しに笑みを浮かべながら、手の中のボールチョコを若林に向かって差し出した。
 「若林、さっきは悪かった。これも返すから、好きなだけ食ってくれ」
 「いいのか? ありがとう、シュナイダー」
シュナイダーからチョコを受け取り、若林が嬉しそうに礼を言った。早速二つ目のチョコの銀紙を剥きながら、若林がシュナイダーに話し掛ける。
 「このチョコを贈ってくれたの、誰だと思う? 俺がいつも話してる、サッカー小僧の翼なんだぜ。サッカーボール型のチョコを選ぶなんて、本当あいつらしいよ。翼の頭の中は、いつだってサッカー一色なんだな」
 日本で翼と一緒だった事でも思い出しているのか、若林の顔はイキイキと輝き実に嬉しそうだった。楽しげに翼の話を続ける若林は、シュナイダーの顔がみるみるうちに強張っていった事には気付かない。やがてチョコの銀紙をキレイに剥き終わると、若林はチョコを食べようと大きく口を開けた。
 「待てっ! やっぱりそのチョコ寄越せ!」
大声でそう叫ぶと、シュナイダーがいきなり若林の腕に飛びついてきた。そしてチョコを持つ若林の指ごと、ぱくりと口に咥えてしまった。
 「うわっ、シュナイダー! 何すんだよ!?」
指ごとシュナイダーに食いつかれて、若林は肝を潰す。チョコを口に含んだシュナイダーは、若林の指から顔を離すと叫んだ。
 「さっきのは取り消し! そのチョコを全部こっちに渡せ!」
 「何だと!? 好きなだけ食えって言ったじゃねぇか!」
 「うるさい! とにかく、チョコを返せーっ!」
こうして二人の間で、またもや小さいボールチョコの取り合いが始まるのだった。
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