王子様

 運命の赤い糸で結ばれた若林と劇的な再会を果たした(と思い込んでいる) シュナイダーは、内心の興奮を抑えつつ、今後どのようなアプローチを取ったらいいのか必死に考えていた。シュナイダーはどちらかといえば女の子にモテる方で、黙っていても女の子の方から瞳を潤ませて告白してくるのが常だった。自分から声を掛けたことなどないので、どんな風に話し掛けたらいいのか判らない。
 (昨日だったらな・・・。『マリーの兄です』で自然に話が出来ただろうに・・・)
 マリー。そうだ、以前マリーがこんな事を話していたっけ。
 『恋人はやっぱり、カッコいい人がいいな』
 『カッコいい人? 意外だな。マリーは面食いなのか』
 『違うよ〜。外見だけの話じゃないの。何でもいいんだけど、うんとずば抜けた魅力や才能があって、カッコいいなぁ、憧れちゃうなぁって思える人がいいの!』
 『カッコいいっていうのは、憧れの人って意味か』
 『そう! 憧れが恋に変わるの。憧れの人が王子様になるのよ!』
 憧れが恋に変わる。憧れの人が王子様になる・・・・・・これだ!!
 若林と俺の接点はもちろんサッカーだ。そして俺はサッカーにおいて「若き皇帝」と称される程、高い実力を持っている。そうだ、いつも通りに練習をしていれば、若林の方から俺に注目して、憧れを抱いて、そして恋心に発展する筈だ!
 今まで告白してきた女の子達のように、若林が瞳を潤ませて迫ってくる姿を思い浮かべて、シュナイダーは気分がウキウキしてきた。
 「おーい、シュナイダー。いるかー?」
 シュナイダーが空想世界に浸ってるのに気づいたのか、真横にいたカルツがシュナイダーの顔の前で掌をヒラヒラと振った。シュナイダーは慌てて、カルツの手をどけた。いかにも小馬鹿にされてるようで、若林がこんなところを見たら俺に幻滅してしまうかもしれない。
 「あれ・・・若林は?」
 「ワカバヤシ? ああ、さっきの留学生か。キーパーみたいだから、ハンスたちと同じメニューなんだろ」
 カルツの言う通りだった。若林はキーパーなので、練習メニューがシュナイダーとは別になってしまうのだ。シュナイダーはガックリした。
 (せっかく俺の大胆かつ華麗なプレイの数々を見せつけてやろうと思ったのに・・・ぶつぶつ)
 しかし捨てる神あれば拾う神あり。練習メニューが進み、キーパーのキャッチング練習の時間になって、キーパー担当のコーチが若林相手にシュートを打つ選手を3人ほど呼びに来た。シュナイダーは喜び勇んでこれに志願した。しかしコーチは笑いながら、シュナイダーの申し出を退けた。
 「わざわざシュナイダーが出るほどじゃない。実を言うと、JFAからの正式な留学生だからレギュラーの練習に入れてるが、若林の実力はせいぜい2軍クラスなんだ」
 「2軍・・・」
 シュナイダーは自分の目論見が成功しつつあることを確信した。そんなに能力が低いなら、若林が俺のプレイを一目見たら絶対に憧れを抱くはずだ!
 しかしそれには一緒に練習をしなければ始まらない。キーパー担当コーチに選ばれて若林の方へ行く3人の選手を、シュナイダーは妬ましい気持ちで見送った。
 「どうか、若林があいつらに憧れを抱きませんように・・・・・・」
シュナイダーが祈るような気持ちで練習を続けていると、いつの間にか、キーパーが練習に使っている一角が何だか騒がしくなっていた。あそこには若林がいる。シュナイダーがついついそちらの方ばかり気にしていると、カルツが見かねたように声を掛けてきた。
 「シュナイダー、あの留学生がそんなに気になるんなら、ちっと様子を見に行こうぜ」
カルツにそう言われるや否や、シュナイダーはずんずんキーパーの練習エリアに向かって行った。慌ててカルツも後を追う。
 キャッチング練習は異様な盛り上がりを見せていた。ゴール前の若林に向かって、3人の選手が連続してシュートを蹴り込むのだが、コーチの言ったとおり若林は大した選手ではないらしい。泥だらけになってゴール前を右往左往しているが、殆どのシュートを防げずにいる。その有様が面白いのか、若林が受け損なう度に口汚い野次や怒号が見物している連中の間から飛んでいた。
 「なんか野次がきつくねぇか。なにかあったのか?」
カルツが見学に廻っている正GKのハンスに聞いた。ハンスが興奮した口調で説明する。
 「あの日本人があんまり生意気でよ。大した腕でもないのに、やたら態度がでかいから、ちょっと教育してやってんだよ」
 「そういうおまえは、練習しなくていいのか」
ハンスの話にカチンときたシュナイダーが、わざときつい言い方をする。ハンスは首をすくめて言った。
 「だって、あの日本人が、『シュートを止められるようになるまで交代しない』って言い張ってるんだぜ。下手くそのクセに、よく言うよ」 
 おおっ!と、どよめきが起こった。慌ててゴール前を見ると、さっきまでふらふらになりながらもボールに立ち向かっていた若林が、バッタリ大の字に倒れている。だが、周りの連中は生意気な若林に反感を持ってるのか、誰も若林を助けようとはしない。シュナイダーはハッと気づいた。
 これはチャンスではないだろうか? 見たところ、若林に親切に接しているチームメイトはいないようだ。この手荒い歓迎では、若林の方でも連中に好意だの憧れだのは抱いていまい。今、俺が若林を優しく助け起こしたら、若林の気持ちはぐぐっと俺に傾くのではないか? そう、若林の眼には、俺が救いの王子様に見えるのでは・・・・・・!
 すぐさま若林に駆け寄ろうとした時、倒れていた若林がむっくり起き上がるのが見えて、シュナイダーは慌ててその場に踏みとどまる。突然足踏みのような動きをしたシュナイダーを、カルツが妙な目で見た。
 起き上がった若林は、さっきまでへばっていたのが嘘のような大声で啖呵を切った。そして挑発に乗った3人が連続して放ったシュートを、驚いたことに皆止めてしまった。若林のあまりにも劇的な復活に、周りの連中は呆気に取られている。侮っていた相手が突然、文句のつけようがない好守備を見せたので、どう反応していいのか途惑っているようだ。
 「へっ、甘っちょろいシュートだぜ」
ガッチリとボールを握った若林が、吐き捨てるように言うのが聞こえた。さっきまで、その甘っちょろいシュートを散々取り損なっていたくせに、負けん気が強いのは確かなようだ。
 シュナイダーは閃いた。
 今だ! 若林は(どういう根拠か判らないが)あいつらをなめきっている。ここで俺があの3人とは比較にならない、強力なシュートを打って見せれば、若林は俺に注目する!
 シュナイダーの脳裏にバラ色のビジョンが広がった。
 シュナイダーの華麗で完璧なシュートに眼を奪われる若林。こんな凄いシュートを打つのはどんなヤツなんだろう。興味はやがて憧れに変わり、そして恋心に昇華して・・・・・・。
 『シュナイダー・・・もし良かったら、俺と付き合ってくれないかな・・・?』
日本人らしい恥じらいを見せながら、若林がもじもじと告白する姿を夢想してシュナイダーは頭に血が昇った。
 今度こそシュナイダーは行動を起こした。
 シュートポジションにいる3人を有無を言わさぬ迫力で追っ払い、堂々と若林の正面に立ちはだかる。新手の登場に、若林の顔にも緊張がよぎった。黒い瞳が刺すように自分を睨んでいるのを見て、シュナイダーはときめいた。
 (う・・・笑顔もいいけど、こういう真剣な表情も可愛いなぁ・・・)
 つい微笑みかけそうになって、シュナイダーは慌てて下を向いた。この緊迫したシチュエーションに笑顔は不似合いだ。この場は重厚かつ威厳に満ちた態度で、若林をあしらわなければならない。
 (いくぞ、若林!)
 シュナイダーは渾身の力を籠めて、若林の正面にシュートを打った。
 若林はシュナイダーのシュートを、顔面でガッチリと受け止めた。
 (・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え? 止めた?)
 「へっ、とめたぜ」
 ボールを持った若林が、勝ち誇ったように言い放つ。
 (ちょっと待て! ここで簡単に止められたら、俺の「憧れの王子様計画」はどうなるんだぁーっ!!)
 シュナイダーは焦った。頬を染めて告白する若林の幻想が、音をたてて崩れていく。憧れを抱かせるどころか、これじゃあの3人と変わらない。それどころか、カッコつけて出てきた分、余計に三枚目に見えてしまう。どうしたらいい? どうすれば挽回出来るんだぁ!?
 (落ち着け、まだ間に合う。これから強力なシュートを打って、若林を魅了すればいいんだ!)
 「ボールをかせ! ボールだ!!」
シュナイダーの剣幕に気圧されて、チームメイトがてんでに足元にボールを転がしてきた。シュナイダーはそのボールを、次々とゴール目掛けて蹴り込む。負けん気の強い若林も、流石にこれにはついていけなかった。必死にボールに向かってくるものの、ひとつもシュートを止めることは出来なかった。
 「シュナイダー! おい、シュナイダー!!」
 何十本目かのシュートを蹴ったとき、カルツや他の連中が自分を呼んでいるのに気づいた。
 「もう、のびてるぜ! その辺にしとけって!」
 カルツに言われてゴールを見れば、肝心の若林はゴール前に突っ伏して動けないでいた。
 (し、しまった! シュートを決めるのに夢中でやりすぎた!?)
 もしかして、逆効果になってしまったのではないか? 憧れるどころか、若林は俺に敵意を抱いたのではないか?
 急に不安が押し寄せてきた。若林を助け起こそうかとも思ったが、今更優しく接して見せても、若林に手を振り払われるのではないか。そう思うと、シュナイダーはその場から動けず、ただ倒れた若林を見下ろすのみだった。
 「・・・・・・おい!」
 下を向いたままの若林が、自分に話しかけているのだと気づくのに時間がかかった。若林がのろのろと顔をあげ、シュナイダーを睨んだ。そのきつい眼差しに、シュナイダーの不安は高まった。
 (・・・・・・やっぱり、嫌われたか?)
 「おまえ、名前は?」
シュナイダーの胸が高鳴った。名前を聞くという事は、俺に関心を持ってくれたって事だよな・・・?
 「カール・ハインツ・シュナイダー」
 「シュナイダー? じゃ、見上さんが教えてくれた『若き皇帝』ってのは、おまえだったのか・・・!」
若林はゆっくりと立ち上がり、落ちていた帽子を拾って被りなおすと、シュナイダーに宣言した。
 「今日のところは俺の完敗だ。でも、俺は必ずおまえのシュートを止められるようになって見せる。覚えとけよ!」
シュナイダーの胸にじわじわと喜びが広がった。
 若林は最初から俺の事を知っていたんだ。やっぱり俺たちは、赤い糸で結ばれていたんだ! 
 「覚えておくよ」
 若林が抱いているであろう、「若き皇帝」のイメージを崩さぬようシュナイダーはクールに答えた。しかし内心はその場で踊り出したいほどに、浮かれているのだった。
 「王子様」になれるかどうかはさておいて、シュナイダーの望みは辛うじて先に繋がったようであった。