叶わぬ恋とは知りながら

 若林がハンブルクJr.ユースに編入して以来、シュナイダーは上機嫌だった。運命の赤い糸で結ばれている(と信じている)若林へのファーストアプローチは、まずまずの成果を上げていた。練習の合間などにふと視線を感じて振り返れば、そこには若林が射るような眼でこちらを睨んでいたりする。
 シュナイダーの思惑通り、若林は明らかにシュナイダーを意識していた。そして、こんな時シュナイダーはわざと視線を合わせず、いかにも興味なさそうに若林に背を向ける。若林より上位にいることを徹底的にアピールして、憧れの感情が芽生えやすいようにする計画だ。
 (まずは関心を抱かせる事から。関心はやがて憧れへ、憧れは恋心へ・・・くくくくく)
 心の中では都合のいい空想を繰り広げて悦に入るものの、それを決して顔には出さないように注意していた。いつどこで若林が見ているか判らない。一人思い出し笑いをしてニヤけている姿は、憧れの対象に相応しくない。
 とは言うものの、若林が恋心を抱いて告白してきてくれるまで、このまま何の進展もないのかと思うとちょっとつまらなかった。かといって、自分から親しく話しかけてしまっては、若林が抱いているであろう「近寄り難い威厳と栄光を身にまとったドイツの若き皇帝」のイメージを壊してしまうかもしれない。
 (憧れの対象ってのは、やっぱりある程度の距離がないと駄目だよな。あー、でももし若林が奥手で、このまま告白してくれなかったら、一生この中途半端な関係のままなのか!?)
 それはまずい。シュナイダーの最終目的は、若林と恋人同士になることなのだ。
 (やっぱり、こちらから話しかけた方がいいのかな? でも・・・・・・)
 「おい、シュナイダー」
背後から急に声を掛けられて、シュナイダーは心臓が止まりそうになった。何故ならその声は、紛うことなき愛しの若林の声だったからだ。
 (こ、これは、早くも告白タイムか!?)
顔が喜びで弛みかけるのを無理に引き締めて、シュナイダーはクールに答えた。
 「なんだ?」
 「おまえ、練習の後ヒマか?」
 「別に用事はないが・・・(デートのお誘いか?)」
 「じゃ、俺の練習に付き合ってくんねぇか」
 「え?」
若林は正規の練習の後も、居残りして練習をしたいのだと説明した。シュナイダーに初日練習の時のように強力なシュートを打ってもらい、それを受けられるようになりたいのだという。
 「ヒマにしてるんなら、ちょっとぐらい付き合ってくれてもいいだろ。な?」
憧れの人にお願いをしている態度ではなかったが、シュナイダーにはそんな事はどうでもよかった。
 (若林が俺を必要としている! 一歩前進だ!)
 「判った。引き受けよう」
内心の興奮を押し隠し、シュナイダーは淡々と了解した。
 その日からシュナイダーにとって、至福の時間が毎日訪れる事になった。正規の練習では、キーパーの若林と一緒に練習できる時間は少ない。しかし居残り練習では若林と一対一、二人っきりで時間を過ごすことが出来るのだ。
 (この居残り練習を続けていれば、きっと若林との仲も進展する筈だ)
 「おい、シュナイダー! 早く蹴れよ!」
 ついつい甘い未来を夢想して、集中力を欠いてしまうシュナイダーだった。

 若林との居残り練習を始めてから数日が経った。若林と二人だけで過ごす時間は、シュナイダーの毎日の楽しみになっていた。チーム練習の時間中も、ついついその後の居残り練習のことを思い、ニヤケそうになってしまう。そんなシュナイダーに、幼馴染でもあるチームメイトのカルツが話しかけてきた。
 「なぁ、最近は随分あの日本人に構ってるみたいだな」
 「まぁな。若林は素質があるから、鍛えれば伸びると思って」
 「シュナイダー」
 「ん?」
 「若林は脈ナシだ。止めといた方がいいぞ」
いきなり核心を突かれ、シュナイダーは仰け反った。
 「お、おい、カルツ! いきなり何を・・・」
 「隠すなよ。おまえの態度見てりゃ、ただの親切で若林に接してるんじゃないって判るって」
 「そ、そんなにあからさまだったか・・・?」
隠していたつもりだったのに周囲にバレバレだったのかと思うと、シュナイダーは冷汗が止まらなかった。若林にも、俺の小細工がバレていたのだろうか? 俺に憧れを抱くどころか、実は生温かい眼であしらわれていたのだろうか!?
 「いや、他の連中は気づいてないと思う。ワシはおまえと付き合いが長いからな」
 「そ、そうか・・・」
ひとまず胸を撫で下ろしたものの、カルツの言葉は聞き捨てならなかった。シュナイダーは他のチームメイトに話を聞かれないよう、カルツを練習場の隅に引っ張っていくと、猛然と反論した。
 「俺と若林は特別なんだ! 俺と若林は結ばれる運命なんだ!」
 「何を根拠にそう思い込んだか知らんが、ありゃ朴念仁もいいトコだぞ。実は若林と色々話したんだが・・・」
 「おっ、おまえ! 俺を差置いて若林と親しく話したのかっ!?」
シュナイダーの掴みかからんばかりの剣幕に驚いて、カルツが慌てて言い訳する。
 「たまたまだって! トイレで偶然隣になったから、ちょっと日本の事とか聞いてみたんだよ」
 若林がチームに入ってから幾日も経つが、口が悪くて態度がでかくてとにかく生意気な若林と親しく口を利くものはいなかった。シュナイダーもクールを装って必要最低限の話しかしなかった為、若林は会話に飢えていたらしい。カルツが水を向けると、日本のサッカー仲間のことやら、胸に抱える大きな目標やら、ドイツ留学にかける意気込みやらを話しまくったそうだ。
 「とにかく、サッカーの話しかしねぇんだよ。ワシはおまえさんの事が頭にあったから、聞いてみたんだ」
 「聞くって・・・俺の事を!?」
 「いや、イキナリじゃ引かれるだろうから、『彼女とか作んないのか』って聞いた。そしたら・・・」
 『俺はドイツにナンパに来たんじゃない。一流のサッカー選手になるために来たんだ!!』
若林はキッパリとそう言いきったのだった。これを聞いたシュナイダーは目の前が暗くなりかけたが、すぐにポジティブ志向に切り替わり再び反論した。
 「そ・・・そりゃあ、そう答えるだろう。サッカー留学に来てるんだからな。だからって、この先本当に恋をしないとは限らないぞ!」
 「恋はするかもしれないが、問題は・・・あ、丁度いい。若林が来た」
カルツの言葉に視線を巡らすと、若林がこちらに向かって歩み寄ってくるのが見えた。シュナイダーの動悸が早くなる。
 (俺がいるのを見て、声を掛けるつもりなんだ。やっぱり若林は・・・)
 「カルツ、こんな隅っこで何してんだよ。サボりかぁ?」
 「そう言うゲンさんこそ、サボってんじゃねぇよ」
親しげに若林と雑談を始めるカルツに対して、シュナイダーは殺意を覚えた。
 (この野郎、いつの間に若林を仇名で呼ぶほど親しくなったんだ!)
シュナイダーの無言の圧力に気がついたせいか、カルツが急に話題を変えた。
 「シュナイダーに、おまえが女嫌いだって話してたんだ。もしかしてホモなのかも、ってな」
カルツの言葉に、若林は大袈裟に顔を顰めた。
 「気色悪ぃこと言うなよ! 誰が好き好んで男と付き合うかっての!」
それから若林は、自分は女嫌いでもホモでもなく今はサッカーに集中したいだけだと、真面目くさった顔で主張した。
 「カルツが言ってるのは冗談だからな! 俺に変な趣味はないから、今日の居残り練習も宜しく頼むぜ、シュナイダー!」
 「・・・・・・あぁ・・・」
 「じゃ、俺は戻るぜ。おまえらもあんまサボってんじゃねぇぞ!」
キーパーの練習エリアに駆け戻っていく若林を見送りながら、シュナイダーは茫然自失の態だった。カルツはシュナイダーの肩に手を置き、静かに慰めた。
 「ま、こういうこった。早く忘れるんだな」
 『気色悪ぃこと言うなよ! 誰が好き好んで男と付き合うかっての!』
 『誰が好き好んで・・・』
 『気色悪ぃ!』
若林の言葉はパワーシャベル並の豪快さで、シュナイダーの心をえぐりとっていた。
 
 ふと気がつけば練習は終わり、解散の時間になっていた。チームメイトたちはクラブハウスに引き上げていくが、若林だけはシュナイダーの傍に駆け寄り、個人練習の開始を促した。シュナイダーが毎日待ち焦がれていた居残り練習だが、今日ばかりは気乗りしなかった。
 しかしやる気満々の若林の顔を見ると、練習を止めたいとも言い出せず、結局今日も若林の練習に付き合った。腐る気持ちをボールにぶつけて、思いっきりゴールに叩き込んでいると、少しだが気が晴れた。普段にも増して気合の入ったシュートの数々に、若林はついていくのがやっとだった。
 居残り練習が終わり、ピッチから引き上げようとしたところに意外な客が現れた。チームの正GKハンスと、彼の親しい友人たちである。彼らは若林がシュナイダーと特訓を積んでいるのを、快く思っていないらしかった。彼らは若林に難癖をつけると、シュナイダーの目の前で若林をボコり始めた。
 しかし失恋の痛手が大きいシュナイダーは、目の前で若林が袋叩きに遭うのを見ても何も感じなかった。
 (俺は若林にサッカーの練習相手としてしか必要とされていない。今日の練習は終わったんだ。帰ろう・・・)
 シュナイダーは何も言わず、その場から立ち去った。
 帰宅してからもシュナイダーの気持ちは晴れなかった。食も進まず、家族と団欒の時間を過ごす気にもなれず、シュナイダーは早めに床に入った。しかし瞼を閉じれば浮かんでくるのは若林の顔ばかり。
 初めて出会ったときの、柔らかな笑顔。
 ゴール前でシュートに食らいついてくるときの、闘志に満ちた顔。
 そして、『気色悪ぃ!』と言い放った時の、嫌そうな顔・・・・・・。
ベッドの上で悶々と思い悩むばかりで、一向に眠る事ができなかった。シュナイダーはため息をつく。
 (・・・なんで、若林を好きになってしまったんだろう・・・)
 シュナイダーは過去の恋愛を振り返ってみた。ハンサムでサッカーの上手いシュナイダーに告白してきた女の子は、いちいち思い出せないほど大勢いた。熱意にほだされて、そのうちの何人かとは交際をした。しかしシュナイダーが本気で相手を好きになる事はなく、それが原因で結局どの子とも長続きしなかった。
 (女と付き合ってたんだから、俺はホモじゃないんだよな。でも、若林に惚れちまった・・・・・・)
シュナイダーの頭の中に、何かが閃いた。
 (そうだ、ホモじゃなくったって男に惚れる事はあるんだ! 今の俺のように、若林が将来俺に恋心を抱く可能性は・・・全くないとは言えなくもないんだ!)
 自分に都合のいい理屈だという事は、充分判っていた。しかし脈がないからといってスパッと諦められるくらいなら、初めから恋などしない。僅かな光明を見出して、シュナイダーは漸くその日眠りにつくことができた。
 そして翌日。ハンブルクJr.ユースチームの練習場で、ちょっとした事件があった。
 練習開始直後に、若林がハンスに殴りかかってボコボコにしたのである。どうやら若林は、昨日自分を袋叩きにした奴ら全員を一人ずつ待ち伏せして、タイマン勝負でカタをつけていたらしい。最後の一人がハンスだったというわけだ。虐めに屈せず実力行使で立ち向かってきた若林に対して、チームメイトたちの見る目が変わった。
 「すげぇな、あいつ」
 「フツーじゃねぇよ」
コーチに腕を掴まれて、ハンスから引き離されていく若林を見ながら、チームメイトたちは口々に囁きあった。そしてくすぶっていたシュナイダーの気持ちも、新しく生まれ変わっていた。踏みつけられてもはね返す、雑草のような逞しさに満ちた若林の新しい魅力を見い出して、改めて惚れ直したのだ。
 その通り。若林は普通の奴とは違う。特別なんだ。
 そして俺も、若林にとって特別な男になるんだ!
シュナイダーが薄笑みの下で恋の炎を燃やしていることに、カルツだけが気がついていた。カルツは諦めたように肩をすくめた。
つづく