嫌い

 シュナイダーの努力は実りつつあった。若林に積極的に話しかけ、何かにつけ親しく接する事により、若林の関心は徐々にシュナイダーに向いてきた。単なるサッカーのライバル、チームメイトという認識ではなく、シュナイダーという個人を友人として受け入れるようになっていた。若林との話題の中心は相変わらずサッカーに関することだが、それ以外の雑談も交わすようになった。少なくとも、一足早く若林と打ち解け、仲良くなっていたカルツと同程度の友人にはなれたようだ。
 シュナイダーにとって嬉しい事に、既にチームメイトたちからはシュナイダー、カルツ、若林は仲の良い3人組と見なされていた。カルツが邪魔だが、周囲から若林と親しいと公認されている事がシュナイダーを勇気づけた。
 (もうちょっとだな)
 今の俺は若林にとって、カルツと同じただの親友に過ぎない。だが、もう少しで若林と友人以上の仲になれる筈だ。何しろ俺は若林の居残り特訓に毎日付き合ってるから、カルツより若林といる時間が長い。スタートは出遅れたが、勝負はこれからだ!
 ところが、思わぬ障害がシュナイダーを待ち受けていた。
 いつものようにチーム練習が終わった後、若林と居残り練習をする気でピッチに残っていると、若林が駆け寄ってきて申し訳なさそうに言った。
 「悪ぃけど、急用が出来ちまったんだ。今日は帰るよ」
 「え・・・?」
 今までも居残り練習を取り止めた事はある。しかしそれは天気が崩れたとか、整備の為に練習場を使わせてもらえなかったとかの理由である。若林の都合で居残り練習を中止するのは、これが初めてだった。
 シュナイダーは興味を持った。サッカーが大好き、練習大好きの若林を、サッカーから遠ざける急用とは何だろう。
 「判った。でも、急用って何だ?」
 「それはちょっと・・・今は言えないけど、そのうち必ず話すよ。じゃあな!」
何故か若林はシュナイダーから逃げるように、クラブハウスへ駆け戻っていってしまった。一人取り残されて、シュナイダーは呆気に取られる。
 「なんだ、あいつ・・・急いでるにしても、途中まで一緒に帰ったっていいじゃないか」
こんな風に若林の方から距離を置かれた事がないので、シュナイダーは落ち着かなかった。若林が秘密を持っている。そして自分を遠ざけている。そう思うと、気になって仕方がない。
 若林より遅れてロッカールームに戻る。丁度ドアの傍で若林と鉢合わせした。慌てて着替えたらしく、どことなく服装が乱れている。
 「あっ、シュナイダー! お先に!」
それだけ言うと振り返りもせず、出口に向かって廊下を走っていった。若林の後姿を見送りながら、シュナイダーはいよいよ不安をつのらせる。ロッカールームに入り、まだカルツがいるのを見て若林のことを聞いてみた。
 「ゲンさんの用事? あぁ、聞いてるぜ」
 「!! カルツ、知ってるのか!?」
シュナイダーの声が焦りを帯びる。どうして若林はカルツにだけ、事情を打ち明けてるんだ!?
 「教えてくれ。若林の急用とは何だ?」
 「デート」
シュナイダーの形相が怒りで激変するのを見て、カルツは慌てて言い直した。
 「・・・とは限らないけど、女の子に呼び出されたんで、会いに行くって言ってたぜ。どこの誰かは聞いてねぇけど」
 「お、女の子と・・・!」
恐れていた事態だった。シュナイダーは敢えて考えないようにしていたが、至って健全な若林とシュナイダーの恋路を邪魔する者がいるとすれば、それはまだ見ぬ若林の「ガールフレンド」に他ならなかった。尤も肝心の若林がサッカー以外の事に全く興味を示さないので、大丈夫だろうと高を括っていたのだが・・・。
 「女の呼び出しにホイホイ乗るような奴じゃないと思ったのに・・・」
 「ああ。ワシも意外だった。でも、これで判ったろう。ゲンさんは女に興味を持つ、普通の男なんだよ」
カルツの言葉が、シュナイダーの胸にぐっさりと突き刺さる。
 (若林が俺に内緒で女と付き合い始めるなんて。しかも、その事を俺には言わずカルツにだけ打ち明けるなんて・・・)
若林は俺よりもカルツを信頼していたのだろうか。若林との距離が、一気に広がっていく気がした。

 翌日。シュナイダーの気分は相変わらず重かった。淡々とチーム練習のメニューをこなしていくが、気分は最低最悪だった。練習の合間に、いつもの癖で若林の姿を追い求める。一見したところ、若林の様子は普段と変わらない。しかし若林は昨日、女とデートをしているのだ。シュナイダーは、若林の初デートが気になってならなかった。 
 (若林は奥手そうだからな。相手の女にいいようにリードされて、キスしたり、抱き合ったり、まさか×××までヤっちゃったんじゃ・・・!!)
 セックスアピール満点のスれた女にたぶらかされ、ウブな若林が初体験を迎える姿を想像してしまい、シュナイダーは苛立つやら興奮するやらで一日中落ち着かなかった。そうこうしているうちに、チームの練習が終わった。
 連続でデートとは思えないから、今日は若林との居残り練習があるだろう。しかし一体、どんな顔で若林に接したらいいんだ!?
 いっそ今日は自分から居残り練習を断ろうか。しかしそれでは問題を先延ばしにしているだけで、何の解決にもならない。第一、昨日若林がどうなったのか気になって、とても先に帰る気になれない!
 「シュナイダー!」
若林がシュナイダーの傍に近付いてきた。
 「昨日はサボッちまって悪かったな」
 「別に・・・」
若林の肩を掴んで真っ向から問い詰めたいのを我慢して、シュナイダーはさりげなく尋ねた。
 「まさか、今日もサボリじゃないだろうな」
 「それが・・・ちょっと大事な用があって、今日も特訓は中止したいんだ」
 「な、なんだとっ!?」
シュナイダーは耳を疑った。まさか本当に若林が連続で居残り練習を休むなんて! そんなに昨日の女がよかったのか!? しかしシュナイダーの動揺に気づかないのか、若林は照れ臭そうな笑みを浮かべて言った。
 「それで・・・実は今日、シュナイダーに会わせたい人がいるんだ」
シュナイダーは目眩を覚えた。
 (『俺の彼女、紹介するよ』ってか・・・?)
そんなご対面は死んでも御免だった。シュナイダーは暗い声で、言った。
 「若林、悪いが俺も今日は用事があるんだ。帰らせてもらう」
 「ちょっ、ちょっと待てよ! すぐ済むから頼むよ、な?」
若林が慌ててシュナイダーを引き止めた。
 「彼女に約束しちゃったんだ。必ずおまえを連れて行くって。だから会うだけでも・・・」
 「断る。俺はおまえの彼女に挨拶しに行くほど暇じゃない」
 「はぁ? 俺の彼女じゃねぇよ。おまえの彼女になるかもしれない相手だって!」
 「・・・・・・俺の彼女!?」
 若林の説明によると、その彼女というのはシュナイダーに密かに想いを寄せているのだと言う。そしてシュナイダーに告白したいのだが、その勇気が出せず、誰かにシュナイダーとの仲を取り持って貰おうと考えた。そこで白羽の矢が立ったのが、居残り練習などしてシュナイダーと最も親しいように見える若林だった。
 昨日、彼女はチーム練習に一番乗りする若林を待ち伏せ、相談を持ちかけた。彼女の真摯な態度に心動かされた若林は、彼女に言われるままにチーム練習の後、詳しい話を聞いて相談に乗る約束をした。その事をカルツにはちょっと話してしまったが、当事者であるシュナイダーには話せなかった、というわけだった。
 「俺に何を隠してるのかと思えば、そういう事だったのか」
若林が女にうつつを抜かしたのではないと判り、シュナイダーは安堵した。若林はニコニコしながら、シュナイダーに話し続ける。
 「その子に会ってやってくれよ。すごく真面目で純情ないい子なんだ。顔も可愛いし、シュナイダーにお似合いだぜ!」
 「いや、会うまでもない。俺は今、女と付き合う気はない」
 「それじゃ困る。第一、彼女に会いもせず断るなんて失礼だろう!」
 「付き合う気がないのに、会うほうが失礼だ」
 「会ってみれば気が変わるよ。話してみて判ったけど、頭も良さそうだし、絶対気に入るって!」
真相を知って安堵したのも束の間、シュナイダーは段々面白くなくなってきた。若林が件の彼女を褒めちぎり、自分にくっつけようとしているのが気に障った。シュナイダーは冷たく言い放った。
 「とにかく、俺は会わない。もう帰らせてもらう」
 「何だ、それ? 俺がこんなに頼んでるのに! 彼女の何が気に入らないんだよ!?」
若林の語気も荒くなった。シュナイダーも負けてはいない。
 「気に入らないのは若林の態度だ! おまえが気に入った女と、どうして俺が付き合わなきゃいけないんだ! 俺は・・・」
言いかけた言葉を、シュナイダーは飲み込んだ。
 俺は若林が好きなのに、どうして若林は俺に女を押し付けるんだ。
シュナイダーは、そう言いたかった。だが、この台詞はまだ言えなかった。当然の事ながら、シュナイダーの真意が若林に伝わる筈もない。若林はムッとして言い返した。
 「俺は、シュナイダーにお似合いのいい彼女だと思って話を持ってきたのに・・・もういいよ! おまえみたいな分からず屋とは、絶交だ!!」
 「絶交!?」
売り言葉に買い言葉で、とんでもない事になってしまった。シュナイダーは、事態が悪い方向へと進んでいる事に気づき慌てた。
 「待てよ、俺たちは友達だろう? これしきの事で絶交は・・・」
 「これしき? 一途におまえのことを想っている女の子の気持ちを踏みにじることが、これしきの事かぁ!?」
若林は本気で怒っていた。自分が好感を抱いた女の子に、シュナイダーが無関心なこと。シュナイダーの為を思って二人を取り持とうとしたのに、シュナイダーが全く感謝してないこと。シュナイダーの言葉も態度もなにもかもが気に入らなかった。
 「見損なったぜ、シュナイダー。おまえなんか、大っ嫌いだ!」
若林はそう吐き捨てると、さっさと練習場から出て行ってしまった。
 シュナイダーは今の出来事が信じられなかった。ほんの数分の会話で、若林と喧嘩になってしまい、若林に絶交を言い渡されてしまった。
 『おまえなんか、大っ嫌いだ!』
 落ち込むシュナイダーの耳に、若林の声が繰り返し甦る。
 (俺は・・・嫌われたのか? 本当に若林に嫌われてしまったのか!?) 
 こんなことなら女の子に会うだけ会うんだったと後悔しても、後の祭りだった。シュナイダーの心には、ぽっかりと穴が開き、ぴゅーぴゅーと風が吹き抜けていくようだった。
つづく