好き

 若林に絶交を言い渡され、一時は落ち込んだものの、シュナイダーの心にはまだ楽天的な希望があった。
 カッとなって喧嘩をしてしまったが、そのきっかけは些細なものだ。時間が経ってお互い冷静さを取り戻したら、また元のように親しく話せる筈だ。
 (何といっても、俺と若林は結ばれる運命にあるんだからな・・・・・・)
 そうだ、こんな喧嘩で本当に一生縁が切れることなんて有り得ない。若林には毎日の居残り練習の相手を頼まれているのだし、早ければ明日には仲直りできる筈だ。
 シュナイダーはそう考え、なるべく悪い事は考えないようにして一日を過ごした。
 そして喧嘩をした翌日。不安な気持ちを抑えつつ練習場に行くと、いつものように一番乗りをしている若林が一人で柔軟をしているのが眼に入った。シュナイダーは若林の傍に歩み寄り、至って自然に声を掛けた。
 「よう。相変わらず早いな」
若林を下手に刺激してはいけないと思い、昨日の件には触れなかった。
 「・・・シュナイダー。あの、昨日は・・・」
 若林がどことなく固い表情で口を開く。そらきた。シュナイダーは若林が話すのを待った。
 しかし若林は、何故かそれっきり口をつぐんでしまった。黙々と柔軟を続ける若林を見て、シュナイダーの胸に不安がよぎる。
 若林は俺が思っている以上に、昨日の一件に腹を立てているのだろうか。だとすれば、このままではまずい。ではどうすれば、若林の機嫌が直るのだろう。ひたすら詫びるべきだろうか。しかし自分がそれほど悪い事をしたとも思えない。形だけ謝っても、却って若林の癇に障るかもしれない。ここは若林から口をきいてくれるまで、じっと待つべきなのだろうか。だが、こんな宙ぶらりんの状態で、若林とぎくしゃくしたままでいるのも嫌だ。
 よし、やっぱり昨日の事を、ちゃんと話し合おう!
 「おい、わかばや・・・」
 「よーし! 集合! 始めるぞ!!」
タイミングの悪い事に、監督の声が掛かって練習が始まってしまった。キーパーの若林は、無言のままキーパーの練習エリアに行ってしまった。シュナイダーはため息をついた。
 (仕方ない。若林と話すのは、居残り練習の時にしよう)
練習が早く終わって欲しいような、ずっと終わって欲しくないような、どっちつかずの苛々した気持ちでシュナイダーは練習をこなしていた。そしてやっとチーム練習終了の時刻を迎えた。
 (よし、今度こそ若林と話をするぞ)
 バラバラとチームメイトが練習場から引き上げていく。後に残ったのは、いつもどおり若林だけだった。シュナイダーは待ちかねたように、若林に話しかけようとした。
 「シュナイダー、昨日は済まなかった」
シュナイダーの言葉を遮るように、若林が先に謝った。
 「おまえの都合も考えず、俺が身勝手だった。本当に悪かった」
 「え・・・・・・?」
若林がこんなに素直に謝ってくれるとは思わなかったので、シュナイダーは意表を突かれた。
 「いや、いいよ。俺もおまえが好意でしてくれたのに、素気無い態度を取ってしまって悪かったと思っていたんだ」
シュナイダーがホッとして言葉を返す。だが若林の表情はパッとしない。何かを思い詰めているようにも見える。シュナイダーは若林と和解出来たというのに、却って心配になってきた。
 「なぁ、シュナイダー」
 「なんだ?」
 「誰かを好きになるって、難しい事なんだな」
シュナイダーの心臓が止まりそうになった。サッカー一辺倒の若林の台詞とはとても思えない。若林の思い詰めた態度での、この台詞。これはもしかして・・・・・・?
 (若林は俺に告白してるのか?)
 昨日は見知らぬ女と俺をくっつけようとしていた若林だが、そのことがきっかけで自分の本当の気持ち=俺に対する恋心に気づいてしまった。若林は途惑っただろう。そして丸一日、一人で悩みぬいて、やっと俺に告白する決心がついた。そういう事ではないのか?
 (やっと、この時が来たんだ!)
シュナイダーの心に、じわじわと幸福感が染み渡ってきた。

 「誰かを好きになるって、難しい事なんだな」
そう言いながら、若林は昨日の出来事を思い出していた。
 シュナイダーに絶交を言い渡したあと、若林は止む無く女の子と待ち合わせている喫茶店に一人で向かった。必ずシュナイダーに引き合わせるからなどと安請け合いをしてしまった事が、悔やまれてならなかった。
 シュナイダーに思いを寄せる少女、グレーテは若林が一人で来たのを見て全てを悟ったようだった。若林はグレーテに頭を下げた。
 「ごめん。とにかく一度会って話してみろって言ったんだけど、シュナイダーの奴付き合う気がないから行かないって言い張って・・・」
 「・・・そう」
 「ったく、失礼な奴だよな。会いもせず、断るなんてよ」
失恋の悲しみに沈んでいるであろうグレーテを慰めたくて、若林はシュナイダーの依怙地な態度を責めた。しかしグレーテは、若林の顔を見て不思議そうに言った。
 「あなた、何を言ってるの? 最初から付き合う気がないのなら、会わなくて当然でしょう?」
 「えっ・・・・・・ああ、まぁ、それもそうだけど」
振られたグレーテがシュナイダーと同じ事を言ったので、若林は内心驚いていた。グレーテは若林に構わず、さっさと店を出て行こうとする。若林はグレーテが心配で声を掛けた。
 「これからどうするんだ?」
 何しろシュナイダーを想うあまり、知り合いでもない若林に仲介を頼んできたほどなのだ。シュナイダーに振られた後、気落ちした彼女がどうなってしまうのか、彼女の役に立てなかったキューピッド役としては気になって仕方がなかった。
 「これから? 家に帰るわ」
 「そうか・・・・・・あの、俺でよければ一緒にいてやろうか?」
自分がシュナイダーの代わりを務められるとは思っていなかったが、傷心の少女を慰めたくてそんなことを口走ってしまった。するとグレーテは呆れ顔で言った。
 「あなたが? もしかして、私に気があるの?」
 「そうじゃないけど、何か俺で役に立てればと思って。ほら、シュナイダーを連れてこられなかったお詫びにさ」
 「余計な気を廻さなくて結構よ。あなたに付きまとわれたら、他の男の子を口説けないじゃないの」
 「他の男? 他にも好きな男がいるのか?」
若林は驚いた。シュナイダーに密かな恋心を抱き、自分一人では告白する勇気も持てない内気で一途な少女だと思っていたのだが、なんだかイメージが違う。若林の戸惑いを他所に、グレーテは平然と語り始めた。
 「カールはサッカーのスター選手でハンサムだから、一番狙いだったけどね。でも端から全く付き合う気がないんじゃ仕方ないわ。その気のない相手に付きまとっても時間の無駄だから、これからは他の男の子に狙いを移すの」
 「ちょっと待てよ。シュナイダーが好きで、あいつと付き合いたいと思ったんだろう? そんな簡単に諦められるのか?」
てっきり振られた事に落ち込み、泣き出しでもするのではないかと思っていたので、若林にはグレーテの態度が理解できなかった。
 「カールのことは好きだけど、何が何でも彼じゃなきゃ駄目って程じゃないし、他にも素敵な男の子は一杯いるもの。あなたはちょっと子供っぽいから、願い下げだけどね」
 「俺が、子供っぽい?」
恋の橋渡しを頼まれた事で、自分はグレーテに頼りにされていると思っていたので若林はますます混乱した。グレーテがクスクス笑いながら説明を始める。
 「あのね、カールと付き合いたいって思ってる子は大勢いるの。ただでさえライバルが多いのよ。実際にカールと付き合ったことのある子も何人かいるんだけど、どの子も長続きしなかった。これがどういう事か判る?」
 「いいや」
グレーテが何を言い出すつもりなのか、若林には見当すらつかない。
 「つまり、カールは落としにくい相手ってことよ。ただ彼に付きまとっても、上手くいかないと思ったの。それで搦め手を使ってみたというわけ」
 「搦め手って・・・」
 「そう、あなたよ。見たところ、あなたがカールと一番親しそうだったわ。男の子って、同性の友達の意見は取り入れるものよ。だからあなたに仲介して貰えば、カールも私と本気で付き合ってくれる筈、って思ったんだけど計画は失敗だったみたい」
グレーテは言葉を切って肩をすくめると、さっさと店から出て行った。
 頼りにされるどころか利用されただけだと判り、若林は腹が立った。彼女をシュナイダーに紹介しようとしていた自分が間抜けに思えて面白くなかった。
 「それにしても、誰かを好きになるって結構難しい事なんだな」
若林はつくづくそう思った。
 自分はこういう方面では修行が足りないようだ。グレーテに頼みごとをされた時、てっきりグレーテを奥手だけれど一途な恋心を秘めた純情な少女だと思い込んでしまった。しかしグレーテはそれほど単純ではなかった。シュナイダーを好きには違いないのだろうが、盲目的に恋するのではなくかなり冷静だった。
 「シュナイダーは判ってたのかな? グレーテの話じゃ随分モテるみたいだし」
サッカー以外に興味のない若林だが、今日の出来事は勉強になった。 よし、明日はシュナイダーに「誰かを好きになる」という事について聞いてみよう!
 ここで若林は、自分がシュナイダーに絶交を言い渡していた事を思い出した。カッとなってつまらぬ事を言ってしまった。自分が悪いとは言え、昨日の今日で絶交を撤回するのも、ちょっと決まりが悪く思えた。
 そうした意地があったので、練習前にシュナイダーが話し掛けてくれた時には、うまく話が出来なかった。しかし練習中に若林は腹を括っていた。居残り練習の時に、シュナイダーにちゃんと謝ろう。そしてシュナイダーに「好きになる」という事について色々教えてもらおう。

 「誰かを好きになるって、難しい事なんだな」
厄介な謝罪を終わらせると、若林は早速聞きたい事を聞くことにした。
 「シュナイダーは、誰かを好きになったことがあるよな?」
グレーテの話では、シュナイダーは今まで何人かの女の子と交際したことがあるらしい。その時どういう気持ちだったのか、後学のためにも具体的に聞いておきたいと思った。若林の問いに、シュナイダーは真剣な瞳で頷いた。
 「ちょっと聞きたいんだけど、その子のこと、どれぐらい好きだった?」
グレーテの場合は、好きといってもすぐに代わりが見つけられる程度の好意だったらしい。シュナイダーはどうだろう? 何人もの相手と付き合ってたらしいから、やっぱりグレーテと同じ様な考えなのだろうか。クールでカッコいい、とも言えるが、若林には打算的に思えてあまり共感できなかった。 
 若林の興味津々な態度に、シュナイダーは確信した。やはり、若林も俺の事が好きなんだ。そして、遠回しな言い方で告白をして、俺の気持ちを測ろうとしているんだ! 今こそ俺の深く、熱い想いを伝える時だ! シュナイダーは勢い込んで口を開く。
 「若林、俺も・・・」
 「昨日紹介しようとした女は、おまえに振られたって判ったら、あっさり他の男に乗り換えるみたいなこと言ってたからさ。シュナイダーはどうなのかなって思って。俺は誰かを好きになったことがないから、そういうのよく判んねぇんだよな」
 シュナイダーは咽喉まで出掛かっていた『おまえが好きだ!』という台詞を飲み込んだ。若林が純粋な好奇心だけで恋愛話を始めたのだと判り、シュナイダーの高揚感は急速にしぼんでいった。シュナイダーの落胆には気づかず、若林が答をせっつく。
 「なぁ、どうなんだよ?」
 「俺は・・・俺は振られたからって、簡単に乗り換えたり諦めたりは出来ない」
 「えっ、そうなのか?」
若林が意外そうに言った。シュナイダーは、若林の瞳を見据えて言った。
 「例え相手が俺を嫌ったり、俺を気持ち悪いと思っていても、俺の気持ちは変わらない。俺は・・・」
シュナイダーが言葉を切った。そして口の中で小さく「・・・若林が・・・」と呟いてから、言葉を続けた。
 「・・・・・・好き、だから・・・」
 「そうかぁ。うん、やっぱり『好き』って、そういうもんだよな! お陰で勉強になったよ、シュナイダー」
シュナイダーがグレーテと違って情熱的な心を持ち合わせていると知り、若林は何となく嬉しくなったのだった。
 「妙なこと聞いて、時間取っちまって悪かったな。じゃあ、始めようぜ!」
シュナイダーの答を聞いて納得がいったのか、若林はいつもの元気を取り戻していた。ゴール前に駆けて行くと、シュナイダーがシュートを打つのを待ち構えている。そんな若林の様子を見ながら、シュナイダーは心の中でため息をつく。
 (若林が俺を好きになってくれるのは、いつのことなのだろう・・・)
 当分はこの調子で、若林の一挙一動にやきもきさせられそうだった。
つづく