息もできない

 若林との仲は着実に深まっている。シュナイダーはそう思っていた。喧嘩をしても、ちゃんと仲直りできた。ちょっとだが、恋に関する話などもした。このまま親友として付き合っていけば、いつかはその先の関係に進める筈だ。
 そう、いつの日か若林に想いが通じて、きっと二人は恋人になれる。
 いつの日か、きっと・・・・・・
 いつの日か・・・・・・
 「いつの日かって、一体いつなんだぁーーーっ!!」
 若林と知り合って、はや一年近くが経とうとしており、シュナイダーの辛抱は限界に近づいていた。サッカーを通じて、若林と信頼に満ちた友情を築くことは出来た。今ではサッカーを抜きにしても、親友と言える仲になったと自分でも思う。
 しかし、若林との仲が恋愛方面に進展する気配は微塵もなかった。
 しかもシュナイダーにとって面白くない事が起きていた。居残り特訓などで腕を磨いた若林は、正GKのハンスとスタメン争いをするほどに成長していた。若林のプライドに漸く実力が追いついてきた格好だ。渡独当時は口先だけの生意気な奴と見くびられ、チームメイトから虐めを受けたりした若林だが、最近では仲間に頼られるようになっていた。若林は過去を根に持つ性格ではないらしく、かつて反目した相手とも今では親しく口をきいている。それがシュナイダーの癇に障った。
 チーム内の空気が良くなるのはいい事だが、いろんな奴が若林と親しげに話している所を見るのは、シュナイダーには気が揉める。今日の紅白戦でも、二人が違うチームに分けられてしまった為、若林はシュナイダーから離れた敵陣で仲間と親密そうに話している。遠くから見守るしかないシュナイダーには、若林がチームメイトに顔を近づけて何かを話している姿が気になって仕方がない。
 「ゲンさんは調子を上げてるからな。点を取るのはシュナイダーに任せよう。ボールを取ったら、シュナイダーに集める。それでいいな?」
試合前の作戦会議で、同じチームになったカルツがメンバーの顔を見渡して提言する。皆はカルツの言葉に頷いたが、シュナイダーの視線は若林に釘づけだった。
 声までは聞こえないが、若林は盛んに「守ってみせる!」とチームメイトにアピールしているっぽい。そんな若林に「頼むぜ!」という感じで、チームメイトたちが声を掛けたり肩を叩いたりしている。シュナイダーの嫉妬心に思いっきり火がついた。
 ・・・・・・・・・・おまえら、この俺を差置いて、若林にベタベタするんじゃない!!
 「おい、シュナイダー、聞いてるかぁ?」
 「聞いてる。必ず若林から点を取るから、確実にボールを俺に廻せ!」
敵陣を食い入るように睨みつけながら言い放つ姿に、皆はシュナイダーが闘志満々だと囁きあうのだった。

 紅白戦が始まった。
 嫉妬に駆られたシュナイダーの猛攻は凄まじかった。チーム内の紅白戦とは思えない全力プレイに、相手側は圧倒されている。フィールドはシュナイダーの独擅場と化した。気迫に満ちて攻め込んでくるシュナイダーを見て、若林は味方DFに大声で指示を出した。
 「簡単に打たせるな! コースを塞げ!!」
すぐさまディフェンダーが、シュナイダーを囲むように迫ってきた。しかしシュナイダーとて、相手の動きはお見通しだ。ノーマークだったもう一人のフォワードに一旦ボールをパスして、敵の守備陣形を崩す。
 DF連中をやり過ごしたところで、作戦通りシュナイダーにボールが戻ってきた。これであとはキーパーの若林と一対一だ。
 (俺以外の奴と仲良くするなあぁーーーっ!!)
 気合一閃、シュナイダーの豪快なシュートが決まろうとした時。
 ゴツッと嫌な感触が脚に感じられた。
 ボールの感触ではない。周囲がどよめいた。
 「わっ、若林!!」
 シュナイダーが蹴るより早く、飛び込んできた若林が腕を伸ばしてボールを掴んでいた。
 そして若林はボールを身体に引き寄せるように抱え込んだ。
 シュナイダーはボールの代わりに、若林の頭を蹴ってしまったのだ。
 ボールを抱え込んだ若林は、倒れたまま動かない。試合は中断された。蹴られたのが頭なので、すぐにチームドクターが呼ばれた。ドクターはてきぱきと、若林に応急処置をすると監督に向かって言った。
 「大丈夫、脳震盪を起こしてるだけですよ。呼吸も脈拍も正常ですから、このまま寝かせておけば意識が戻るでしょう」
 若林を取り囲んで、処置を見守っていたチームメイトたちから口々に安堵の声が漏れた。しかし若林に怪我を負わせた張本人のシュナイダーは、そう簡単に安心することは出来なかった。ドクターを威圧するように睨みつけ、激しく詰め寄った。
 「おい、本当に若林は大丈夫なのか? ちょっと見ただけで簡単に診断したようだが、あんた腕は確かなんだろうな? こんな所に放置して、若林に何かあったらあんたのせいだぞ!」
 「放置じゃなくて、安静に寝かせておくんだよ」
シュナイダーの態度は極めて不躾だったが、チームメイトを傷付けた罪悪感からだろうと思い、ドクターはソフトに応対した。そしてこう考えた。
 友人を負傷させたことで、流石の若き皇帝もナーバスになっているようだ。エースストライカーのシュナイダーに、精神的負担を残さない方がいいだろう。若林の病状に問題はないが、ここはシュナイダーの気が済むようにしてやろう。
 「心配なら、若林を医務室で寝かせておこうか?」
 「医務室? 病院に運ばなくていいのか?」
 「それほどじゃない。休ませておけば、すぐに気がつくよ」
担架が用意され、倒れたままの若林の身体が乗せられた。それでもまた焦燥した様子のシュナイダーは、監督に告げた。
 「監督。俺は若林が気がつくまで、付き添いますから」
 「なにぃ? 怪我なんて日常茶飯事だろう! 勝手な事を言うな!」
監督はシュナイダーの我侭を一蹴した。しかし、ドクターが監督に何事かを囁いた。
 「え・・・このままだと・・・シュナイダーのメンタル面に悪影響? そうか・・・」
監督はシュナイダーに言った。
 「わかった。若林が気がつくまで付き添ってろ」
 「はい!」
ドクターと担架を運ぶシュナイダーを見送りながら、監督はあることを思い出した。
 「待てよ。シュナイダーの奴、先週の練習試合で相手と接触して、相手の脚にヒビを入れたときにはケロッとしてたよな?」
敵とチームメイトでは、こうも態度が変わるのだろうかと首を傾げるのだった。

 広々とした医務室の一番奥にある、窓際のベッドに若林は寝かされた。シュナイダーは壁際にあったパイプ椅子を開き、ベッドの傍に置くとそれに腰掛けた。
 「何かあったら私を呼びなさい。奥の執務室にいるから。まぁ、何もないと思うけれど」
ベッドの周りのカーテンを引くと、そう言い残してドクターは姿を消した。シュナイダーは無言でドクターに会釈をし、すぐにベッドの上の若林に向き直った。
 「悪かったな・・・おまえを酷い目に遭わせる気はなかったんだ・・・」
聞こえていないだろうとは思ったが、謝らずにはいられなかった。
 「早く眼を覚ましてくれよ。若林にもしもの事があったら、俺だってまともじゃいられない」
若林は眼を閉じたままで、何の反応も返ってこなかった。心配でたまらず、シュナイダーは若林の顔を覗きこむ。
 若林の表情に、苦しげな様子は見当たらない。気絶というより、安らかに眠っているようだ。若林の気の強さを色濃く表している、特徴的な黒の瞳が閉じられているので、なんだか普段より大人しそうに見える。
 好戦的で生意気で、良くも悪くも常に目立っている若林。敵も作るが仲間も多い。敵だった者が、いつの間にか仲間になっていることもある。とにかく個性が強くて、周りを何らかの形で巻き込んでしまう。普段の若林はそういう奴だ。でも、こうして瞳を閉じていると、幼さが残る顔つきのせいなのか、むしろちょっと頼りない印象だった。か弱く愛らしいものを庇護してやりたい、そんな気持ちがシュナイダーに芽生えていた。
 (おまえを守ってやりたい、なんて言ったら、バカにされたと思って怒り出しそうだな・・・)
守るどころか自分が医務室送りにしたことも忘れて、シュナイダーは若林の寝顔にしばし見惚れていた。早く意識を取り戻して元気になって欲しいと思う一方、こうしていつまでも可愛い寝顔を見ていたい気もした。
 (このまま、ずっと若林の傍にいられたらいいのに・・・)
 そして、ある重大な事に気がついた。さっきの去り際のドクターの言葉。
 『何かあったら私を呼びなさい。奥の執務室にいるから』
 「・・・・・・って事は、ここにいるのは俺と若林だけ・・・・・・?」
 若林と二人きり。
 しかも若林は意識を失ってベッドの上。
 これは、長らく進展のなかった若林と、一気に恋人になれる千載一遇のチャンス!?
 シュナイダーは急に辺りをキョロキョロと見回した。そして窓のカーテンが全開なのに気づき、慌ててカーテンを引く。ザーッという音と共に差し込む光が遮られ、ベッドの周りがうっすら暗くなる。シュナイダーはベッドの上の若林の様子を見守った。
 しかしベッドに横たわった若林は、相変わらず全く動かず、目を覚ます気配もない。シュナイダーの決意は固まった。
 「若林・・・・・・」
 今なら若林にキスできる。
 抱きしめても、それ以上の事をしても、きっと若林は抵抗しない。
 シュナイダーは、若林に覆い被さるようにして、ゆっくりと若林の唇に顔を近づけた。愛しい若林の顔が、日常生活では有り得ないくらい間近に迫っている。
 昂奮のあまり、異様に唾液が湧いてきた。それを飲み込むとゴクッと音がして、シュナイダーは焦った。自分の鼓動が早くなっているのが判る。息も試合直後のように荒くなってきたが、若林に気配を悟られ気づかれるのが怖くて、シュナイダーは息を止めた。
 息を止めたまま、しばらく若林の顔を見つめていた。双眸を閉じた若林の表情に変化はない。
 大丈夫だ。
 シュナイダーは自分も瞳を閉じて、そのまま顔を近づけた。
 唇に、ほんのり暖かい柔らかい感触のものが触れた。
 そしてすぐに、「はぁ・・・」と弱弱しい吐息が漏れるのが聞こえた。
 シュナイダーは電撃でも食らったかのように、若林の身体から飛びのいた。
 先程までの狼藉を気づかれぬよう、わざと大声で呼びかけた。
 「若林、若林! 気がついたんだな! 大丈夫か?」
 「う・・・シュナイダー・・・ボールは・・・?」
 「ボール? あ、ああ、おまえが守りきった。ファインセーブだったぞ!」
シュナイダーの大声を聞きつけたらしく、ベッドの周りのカーテンが開かれ、ドクターが姿を見せた。二言三言若林に問診してから、笑顔を見せる。
 「大丈夫そうだね。では二人とも練習に戻りなさい」
 「はい、どうもご厄介をお掛けしました」
若林はドクターに頭を下げ、密かに動揺しているシュナイダーを促して医務室を出た。
 「脳震盪とは、我ながら情けねぇな。シュナイダーにも心配かけちまって、悪かった」
 「いや、気にするな。元はと言えば俺のせいだし、それに・・・・・・」
お陰で若林にキスが出来た、と言いかけて、シュナイダーは慌てて誤魔化した。
 「それに、まだ試合は終わってないぞ。今度こそシュートを決めてやる」
 「張り切ってるな。でも俺だって、簡単にゴールは割らせないぜ!」
若林は、すっかりいつもの調子を取り戻している。しかしシュナイダーの方は若林と話しているようで、実は上の空だった。
 (今日はもう、貴重な先取点=ファーストキスを奪ったんだ!)
そう思うと残りの紅白戦の事なんかどうでもよく、シュナイダーの気分は上々なのだった。
つづく