「じゃ、お前の部屋で昔話でもするか」
「おう、そうしろそうしろ」
若林は石崎の厚意に甘える事にして、彼の泊まっている部屋に入れて貰った。選手用に取ってある部屋は全てツインルームなので、石崎の部屋にも誰か同室者がいる筈なのだが、二人が部屋に入った時部屋は無人だった。石崎のルームメートが誰なのか知らないが、若林たち同様に飲みに出掛けてまだ戻ってきていないのだろう。
「若林ー、水でも飲むかぁ?」
「ああ、頼む」
石崎にそう答えると、若林は背もたれと肘掛のついた椅子に近付き、そこにどっかりと腰を下ろした。外にいる時は酔いながらも気が張っていたのだが、居心地のいいホテルの一室に入れて貰った途端、緊張が解けてしまったようだ。瞼が自然に重くなってきて、つい身体が傾きかける。うっかりするとこのまま眠り込んでしまいそうで、若林は慌てて背筋を伸ばし、眠気醒ましに目を瞬いた。
「ほれ、水」
石崎が差し出したコップを、若林は礼を言って受け取った。冷たい水を口に含むと、眠気が遠ざかっていくようだった。よし、これなら大丈夫だ。
その後若林は石崎と差し向かいで、さまざまな雑談に花を咲かせた。古くは小学校時代の思い出話に始まって、若林がドイツに渡ってからの話、その間日本で頑張っていた石崎の話、翼ら同世代の選手の活躍話などなど、付き合いが古くて気の置けない相手なので、次々と話題が出てきて話が弾む。若林が、そういえば彼女とは仲良くやっているのかと石崎に問うと、途端に石崎の顔はだらしなくにやけた。そしてその後は延々と、熱々のノロケ話を披露するのだった。
「そういや、若林。お前は彼女いねーの?」
自分の彼女の自慢をひとしきり終わらせると、石崎が思い出したように若林に尋ねた。
「いねー訳ねぇよな? ドイツには金髪の可愛子ちゃんがいっぱいいんだし。正直に言えよ〜」
興味津々に話し掛けられて、若林は返答に詰まる。シュナイダーという大事な恋人がいるにはいるが、彼は女ではないから彼女とは言い難い。しかし実は彼氏がいるとは言えず、若林は言葉を濁す。
「うーん。いなくはないけど・・・彼女って訳では・・・」
「なんだぁ? それって、特定の相手は作らないで、取っ替え引っ替え遊んでるって事か?」
何を勘違いしたのか、石崎の目が好奇心に輝き鼻息が荒くなる。
「違うって! そうじゃなくて、えーと・・・何て言ったらいいんだ・・・」
日頃の若林ならば、苦手な話題を巧みに逸らす事など造作も無いのだが、今夜は酔いが残っているせいか、石崎を丸め込めるようないい言葉が浮かばない。口の中でブツブツと言い訳を考えていると、石崎の方から質問をしてきた。
「その相手とは、結婚を考えて付き合ってんのか?」
「結婚? うーん、向うはその気だけど・・・」
「何ィ!? 向うは結婚する気満々なのに、お前からしたら彼女じゃないってのか?」
石崎の口調が、急に非難めいたものに変わった。若林の言葉が煮え切らないせいで、石崎は若林が女性を弄んでいるかのように誤解してしまったらしい。見損なった、なんて悪い奴だと声を荒げて若林を非難する。見当違いの罵声を浴びせられて、若林は顔をしかめた。
「そうじゃない! 俺だってゆくゆくはあいつと結婚したいと思ってるさ。でも同性婚には色々問題が・・・」
言ってしまってから、若林はしまったと口を押さえたがもう遅い。
「どうせいこん?」
石崎が首を傾げて聞き返す。
「どうせいこんって、何だ?」
「え、えぇっと、それは・・・結婚して一緒に住み始めた途端に相手の嫌な所が見えてきて、すぐに離婚なんて事になったらお互い傷つくだろう? そういう事にならないよう、結婚前に同棲して相性を確かめる、っていうやり方があるんだ。同棲してから結婚するから『同棲婚』さ。それを彼女と始めようかどうしようか迷ってる、って話・・・なんだ」
若林は内心の動揺を悟られないように、思いつくまま出任せを捲くし立てた。言葉を切って石崎の様子を見てみると、なるほどといった感じで頷いている。どうやら、うまく誤魔化せたようだ。若林はホッと息をついた。
安堵と共に咽喉の渇きを覚えて、若林はテーブルの上のコップを手に取ると中の水を口に含む。するとそれまで無言で頷いていた石崎が、大声で言った。
「俺はまた、若林がホモで男と結婚するから『同性婚』なのかと思ったぜ〜!」
若林は口に含んでいた水を、ぶはっと思いっきり吹きだした。
この動転しまくりのリアクションが怪しまれない筈がない。
「きったねぇ〜なぁ! 若林、何焦ってんだよ?」
「・・・べ、別に何も・・・」
「もしかして、若林マジでホモ!? 彼女はいないけど彼氏がいます、とか、そういうオチ!?」
「ちっ、ちっ、違ぁーう!!」
その後も石崎の『若林のホモ疑惑追及』は容赦なく続き、若林は一晩中言い訳に頭を悩ませる羽目となったのだった。